らいらいらい!!
伊早 鮮枯
第1話 勇者と魔王 1
ギィンッ
重量のある鋼が弾かれ火花が散る。
勇者は息を飲んで、目の前の魔王と呼ばれる存在を見た。
――同じ顔。
同じ顔なのだ、自分と。
魔王の端麗な眉が寄せられ、勇者の顔を不快そうに眺める金の双眸。
ひゅうと喉が鳴った。
誰のものだ? 自分か。それとも、魔王か。
瓜二つの顔が距離を測りながら睨み合う。
感情のない忌子と呼ばれた自分にはわからない。
この胸の内を渦巻く、もやもやとした言いようのない感情が。
勇者は剣を構える。
魔王も剣を構えた。
「ぅおおおおおおおおおおおおっ」
「ぁぁぁああああああああああっ」
二つの咆哮が朽ちた石の城内に響く。
二人を止める存在は、そこにはいなかった。
+
曇天の空を見上げる。
吐き出した息が白い。
ようやく町に着いた喜びはない。五日ぶりだというのに。
はぁ、と息を吐きだして周囲を見渡す。
牧草を食む三つ目の家畜が呑気そうに、ぼく――アーティアを一瞥した。
「ああ……」
意味もない声が漏れる。
一緒に吐き出された息は、やはり白い。
重苦しく分厚い黒の雲がぼくの気持ちを表しているかのようだ。
町の中では子どもが楽しそうに鬼ごっこをしているのが見える。知らず、右目の眼帯に手を添える。ずれていない。安心した。
くつり、と背後で男が笑った。
ぼくは振り向かずに白い息を吐くだけ。
くつり、くつり。男がしつこく笑う。
「……なぁに、せんせい」
呼んでやると、ゆらりと影が動いた。
せんせい、と呼ばれた男はおそらく口角を上げてにんまりと嗤っている。
学者然とした男はやれやれとわざとらしく息を吐いた。
「ヴァーレンハイトくんには困ったものだね。わたしとしては、まぁ、死んではいないと思うのだけれど……アーティアはどう考える」
「……馬鹿のことを考える時間がもったいない」
ヴァーレンハイト、という名前に眉をひそめる。
同行者の名前だ。
横にいるはずの彼は今、ぼくの横にいない。
何故か?
簡単な話だ。
道中、魔獣と呼ばれる野生化した魔物に襲われた際に橋から足を踏み外したのだ。
――歩きながら半分(というよりも七割ほど)寝ていた彼が魔獣に驚いて。
完全なる自業自得だ。
歩きながら寝るとはどれだけ器用なんだ、あの馬鹿者は。
下は綺麗な水の流れる川だったし、彼が落ちた水柱を見るにそれなりの深さがあるだろう。ヤツがカナヅチでなければ生きて岸に着けるだろう。
それさえ面倒くさがっていなければ。
――面倒くさがりな同行者を思い出して苛々する。
まぁ、死んでいたら死んでいたで、また別の同行者を探すだけだ。
(いつも通り)
そう、いつも通りだ。
息を吐く。
息を吐く。
息を吐く。
白い息がもわもわと上空に消えていくのを見て、町へと一歩踏み出した。
鬼ごっこをしていた子どもたちに宿の場所を聞き、礼を言って別れる。
冷たい風が外套を揺らす。
背後で、子どもたちがこそこそとこちらを見ながら話すのが聞こえた。内容まではわからない。
ぱっと子どもたちは身を翻し、どこぞへと去っていった。
(……感じ悪い町だなぁ)
「それはアーティアが言えたことではないのではないかね」
「……アーサー、他人の心を読まないでくれる」
おや、合っていたか。せんせいはくつりと笑った。
宿の扉を押すとチリンチリンとベルが鳴った。
荷物を置いて熱い湯に浸かる。大きな街のようにシャワーがないのが不便だが、五日ぶりのまともな風呂だ。贅沢は言えない。
さっぱりしたところで、髪を一括りにして新しいシャツに着替える。上着は羽織るだけにしておいた。
最低限の護身用ナイフだけ足に括り付けて部屋を出る。
そろそろ夕食の時間だ。
久々にただ焼いただけの獣肉や名前もよくわからない植物の実ではない料理が食べられるであろうこともあって、浮足立っていた。
油断していたことは認める。
けれどこればかりはぼくのせいではない。……はずだ。
宿の食堂に顔を出したぼくを待っていたのは、ゴマすりでもしそうな胡散臭い笑顔の中年男だった。
後ろにも何人かの町の住人が詰め寄っていて鬱陶しい。
聞けば丁度、旅人を待っていたのだという。
にたりと微笑んだ中年男はこの町の町長であると名乗り、旅人であるぼくに仕事を頼みたいのだという。
「仕事?」
はい、と手を揉むようにして頷く町長とその後ろの住人たち。
全員耳が丸い。魔力も感じないことから、おそらく人間族だろう。
何人かはぼくの尖った耳を珍しそうに見ているのを感じる。
それを無視してぼくは町長に目を向けた。
「仕事っていうのは」
はい、と再度頷く町長たち。
内容は近くの塔に住み着く魔物を倒してほしい――のではなく。
「倒しに行くのを見届けてほしい」
「はい。実は明日、ある者の成人の儀として魔物を倒しに行くことになっているのですが、塔の魔物は余りにも凶暴で近付くだけでも危険なのです。ですが誰かが見届けねば、偽りの報告をするやもしれません。そのために、腕の立つ旅人さまに、わたくしどもの代わりに見届け役をしてほしいのですよ」
報酬はこれくらいでいかがでしょうか、と町長が懐から重たそうな袋を取り出す。
中を改めれば、こんな小さな町にしては大金だろう銀の硬貨がみっしりと詰まっていた。数枚、小さな金も見える。
こくりと喉が鳴った。
それほどの金を出してもいい依頼なのか。
町長としばし見合う。
町長はにまりと笑い、さっと重たそうな袋を懐に仕舞った。
「……前金で六割」
「いえ、これは成功報酬としてのものなので」
「五割。出せないならこの依頼はなかったことに」
「そんな……いえ、では三割なら」
ふざけてんのか。
「無理、五割。あとでなにか言われたら面倒だからね」
「……四割」
「五割」
「四割半……いえ、わかりました。……前金としてこの五割、お支払いします」
勝った。
再び懐から出された袋から半分の硬貨がテーブルに滑り出される。
一枚一枚を手早くチェックして、自分の懐の財布に仕舞い込んだ。
サービスでにっこりと笑ってやる。
自分で言うのもなんだが、母親似のぼくの顔はけっこう整っている。普通にしていれば目付きが悪いと言われがちだが、笑うと可愛いのにとは同行者の談だ。
釣られたのか、町長たち数人がへらりと笑った。
「明日の朝、町の広場においでください」
そう言って町長たちはぞろぞろと宿を出ていった。
一人残った初老の男が、仕事を請け負ってくれたからという理由で宿代を出してくれるという。
(金払いが良すぎて不気味)
椅子に座ると、待っていたかのように女将が夕食を運んできた。
根菜のスープに青葉のサラダ、焼き立てのパンとメインはよく煮込まれた家畜のクリーム煮だ。
一緒に出されたのが酒ではなく果実のジュースなのは少々不満だが、仕方ない。
人間族の多くは成人しないと飲酒が禁止されているようだし、そもそもぼくの見た目が人間族で言う十二、三才程度しかない。仕方ない。
仕方ないと思いながら飲み込んだ果実のジュースは思いの外、美味しかった。
腹を満たして満足したぼくが部屋に戻って見たのは、くつりくつりと笑うせんせいの姿だ。
外が暗くなって、窓が鏡のようにぼくらの姿を映し出す。
「なにか用、せんせい」
いいや、と笑うせんせいはゆっくりとベッドの淵に腰かけた。
「あの依頼、胡散臭いのではなかったかね」
「胡散臭いよ。でも、金払いはいい。前金も貰ったし、宿代もタダだ」
おやおや、とせんせいは肩をすくめる。
ぼくが重要視するのは対価が釣り合っているかどうかだ。
今更せんせいがそれを知らないはずもない。
ではなにが言いたいのか。
わかっている。
「どうせ、裏があるのにホイホイ請け負っていいのか、ってところでしょ」
いかにも。せんせいが頷く。
「あれはどう見ても小物。ぼくになにか出来る器じゃないし、能力もない。なら、どう裏があるのか。それは流石にわからない。でも前金だけでもこんな町で請け負う仕事としては上物だ。だから請けてもいいと判断した。……ダメだった?」
「いいや。……いいや、悪くないとも。あの手の輩は碌なことを考えてはいないだろうさ」
くつくつと楽しそうにせんせいは笑う。
なにがそんなに楽しいのだか。
「……さて、ぼくはもう疲れたから寝るよ」
せんせい退いて、とベッドへ目を移すと、せんせいはもうどこかへ行っていた。
相変わらず神出鬼没なことで。
上着を脱いで遮光幕を閉める。
シーツの中に身を滑り込ませて枕を叩く。ふかふかだ。
「……おやすみ」
おやすみ、とせんせいが返した気がした。
+
翌日。
日が昇ったころに目を覚まして着替えたら、宿の庭を借りて日課の素振りをする。
自分の身長ほどの大剣を振る様子は町の人間には物珍しかったらしく、朝早い大人たちにじろじろと見られたのが不愉快だった。
部屋に戻って軽く柔軟。せんせいは手伝ってくれないので一人で出来るものだけを三セットほど繰り返した。
荷物をまとめ、大剣を背負う。髪は三つ編み。いつでも出発出来る恰好だ。
鏡で右目の眼帯がずれていないことを確認する。
「張り切っているようだね」
鏡越しにせんせいがにこりと笑った。
おはようとだけ返すと、おはようと返ってくる。
「依頼を請けるのは構わないが、ヴァーレンハイトくんのことはどうするのかね。きみのような子どもと組んでくれる人材など、そうはいないよ」
「わかってるってば。……依頼の塔はあいつの落ちた川の川下にある。ついでに探すことくらい出来るでしょ」
そうかい、とせんせいは身を翻した。
肩をすくめて得難い同行者について考える。
どうせ何事もなければまたこの町に戻ってくることにはなる。川がどこまで続いているかわからないが、岸へ辿り着いたなら近場のこの町に目を向ける確率は高い。
(どうせケロッとした顔でひょっこり出てくるだろうさ)
朝食を食べるために部屋をあとにした。
町の中心にあるちょっとした広場が待ち合わせ場所だ。
ぼくが着いたころには野次馬なのか、暇そうな住人がいくつかのグループを作って話し込んでいるのが見えた。
井戸の淵に座っていた町長がぼくの姿を見て破顔する。
「やぁ、おはようございます。よくぞおいでくださいました」
昨日より幾分すっきりとした顔。
どうも、と頭を下げると、町長の影に小柄な姿があるのに気付いた。
町長はその小柄な人物の腕を掴んでぼくの目の前に放るようにして突き出す。……なんだか嫌な仕草だ。
「この者が本日、成人の儀を迎える者です」
ぺこりと小さく頭を下げた人物を見る。
身長はぼくとそう変わらない。体格は少々骨ばっていて、ぼくが掴んだら簡単に折れてしまいそうだ。
そんな腕に大切そうに抱かれた古そうな一振りの両手剣。なんの装飾もない武骨なそれは、まだ年かさもない子どもが持つには不似合いだ。
灰色のパサついた髪は肩口で切り揃えられ、同じ色の目は眩しそうに何度も瞬かれている。
服装はこれまた古そうな胸当てと篭手、あとは町の少年たちと変わらない質素なシャツとズボン。皮で出来た簡素な靴は少々子どもの足には合っていないようだ。
(……女の子)
そう、どう見てもその子どもは少女だった。
成人の儀というから、もう少し年上の青年だと思っていたのだが。
(こんな子どもが、魔物退治?)
驚いて町長を見た。
町長はにこにこと嬉しそうに微笑んでいる。
「さぁ、勇者よ。この町の英雄となる者よ。今日からお前の名前はモゥルだ。いいな、勇者モゥル」
はい、とモゥルと呼ばれた少女が小さく頷く。
(……うっさんくっさぁ)
ある意味、せんせいの好きそうな人間族だ。
町長は頷き、確認するように塔の魔物について喋る。
「あの魔物は不届きにも魔王を名乗り、我々の日常を脅かさんとしている。勇者として、この町の成人として、必ずあの魔王を打ち倒すのだ」
「……はい」
「では旅人さま、あとはどうぞよろしくお願いいたします」
にっこりと、だが有無を言わさぬ様子で町長はぼくとモゥルの背を押した。
ぞぞぞと背筋が総毛立つ。
振り返ろうとして、視界の端の人間族たちが笑っていないことに気付いた。
嬉しそうに笑っているのは町長だけだ。だが、それも瞳の底までは笑っていない。
嫌な感じだ。
結局、ぼくは振り向かずに町を出た。
その三歩後ろを少女が追うようにして歩く。
はぁ、と吐き出した息は白かった。
「……川沿い歩いていい」
「……はい」
会話終了。
町はもうだいぶ離れたし、町の住人は豆粒よりも小さい。
振り返って息を吐く。さっきよりも白い息が漏れた。
(この依頼、失敗だったかもなぁ)
残りの支払いは考えない方がよさそうだ。
はぁ、と何度目かの息が漏れる。
あの、と背後から声がかかった。
振り向くと、少女がじぃっとぼくを見下ろしている。
姿勢が悪いのか、背筋を伸ばせばぼくよりも頭半分ほど背が高そうだ。
「……おなまえ、きいても、いいですか」
人と話すことに慣れていない話し方。その喉はあまり声を出すことがなかったのだろう。
ぼくは思わず眉をひそめる。
それを勘違いしたのか、少女はすみません、と頭を下げた。
「……別に怒ってない。名前……きみは、モゥルだっけ」
はい、と戸惑いながら頷く少女。
無理もない。あのやり取りから察するに今日いきなり付けられた名前だ。
馴染みがないのは仕方ない。
「ぼくは……」
言いかけて、止まる。
どう名乗るべきなんだろう。
少し考えて、
「リヒャルト」
とだけ答えた。
少女は「リヒャルト、さん」と小さく繰り返す。
「……リヒャルト、さん……あの、見届け、よろしくおねがいします……」
ぺこりと頭を下げる勇者と呼ばれた少女。
(魔王を倒すのはいつでも勇者、か)
ほうと吐いた息が嫌に白かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます