ほうじ茶をどうぞ

島本 葉

ほうじ茶をどうぞ

 買い物帰りお昼に何か食べて帰ろうかと寺町通りを歩いていると、ふと一軒の店に目がとまった。まだオープンしたばかりのお店のようで、店先には開店を祝う花が置かれている。そしてその横に色とりどりの和食器が並んでいた。

「へぇ」

 焼物の種類はよく知らないけれども少し厚ぼったい陶器の皿を見て、なんとなく柔らかさと温もりを感じた。全体に落ち着いた雰囲気なのは、茶系や青系の器が多いからかも知れない。貼ってある値札は数百円から千円程度で思ったよりも手頃な値段だった。観光客の多いこの通りで、少しでも手に取りやすいようにということなのかも知れない。

 店内に目を向けると、何組かのお客さんもいて、楽な気持ちで立ち入る。棚には茶碗や湯呑などの陶器が陳列されていて、小さなポップには「萩焼」と書かれていた。萩焼がどんなものかは知識がなかったけれど、絵付けなどもないシンプルで優しい雰囲気。僕が持つ焼物のイメージそのものだった。

 なんだかいいなぁと眺めていると、ふと、桜の花びらが舞ったような気がした。

 目を向けると、それは少し丸みを帯びた急須だった。ふっくらとした質感で、柔らかい風合い。そのクリーム色の胴体の半ばから底に向かうと、ほんのりとピンクに発色し、桜の花を感じさせる。淡い桜色がとても美しかった。

 その急須はセットの品物のようで、脇に置かれていた湯呑は急須とは逆に、呑み口に向かうほどに薄い桜色になっている。その湯呑を手に取ると、とても手に馴染んだ。手に伝わるのは冷やりとした手触りなのに、少し暖かく感じるのは桜を想起させるからだろうか。

 実家を離れて下宿をしているのもあって、お茶といえばペットボトル一択だった。今は急須どころか、湯呑も触らない。実家でも、マグカップにティーバックを放り込んで飲んでいたので、急須を使ってお茶を淹れたのは田舎のばあちゃんの所が最後だろう。

 田舎に行くと、食事の時のお茶汲みは僕の仕事だった。はっきりとは覚えてないけれど、たぶん小さい頃に僕がやりたがったのだと思う。

 淹れるのは決まってほうじ茶だった。

 ──この薫りがいいのよねえ

 ばあちゃんが僕の淹れたほうじ茶を飲んで、優しく笑っていた。思えば、僕がほうじ茶を好きになったのはそのせいかもしれない。

 僕は桜色の急須を手にとった。



「で、セットで買ってきたと」

「そう。思わず」

 スマホから渚沙なぎさのあはは、という笑い声が聞こえてくる。彼女の快活に笑うところがとても好きだなぁと思った。渚沙とは大学に入ってからの付き合いだったがとても話しやすい。そういえば初めて会ったときも、楽しそうに笑う彼女に惹かれたのだった。

「もう飲んでみた?」

「いや、まだ。この後淹れてみるよ」

かずのことだからさ、お茶っ葉もいいのを買ったんでしょ? あの商店街、お茶屋さんありそうだし」

「どうして分かるんだよ」

「そりゃねぇ」

 お見通しですよ、とまた渚沙が笑った。

 渚沙が言うように、せっかくなのでちょっと良い茶葉が欲しくなったのだ。通りには茶葉を量り売りしているお店があったのでそこでほうじ茶を買った。お茶屋さんに入った時の濃厚な茶葉の薫りを思い出し、あの落ち着いた雰囲気を彼女にもおすそ分けしたかった。

「まぁ、わたしはティーバックが楽でいいかなぁ。ずぼらだしね」

 何気ない一言に、僕は少し言葉を詰まらせた。いつもの渚沙だ。別に他意はないとわかっているけど「そう言わずに今度一緒に淹れて飲もうよ」という言葉を呑み込んで伝えることができなかった。 

「そういえば週末なんだけどさ」

 少し話題を変えて、僕は今のこの気持ちをそっと流す。

 お茶屋での薫りはいつしか記憶の中で霧散していた。


 ネットで検索すると、ほうじ茶の美味しい淹れ方は熱いお湯で三十秒ほど抽出するらしい。へぇ、熱湯でいいんだ。ばあちゃんのところではどうだっただろう? 湯沸かしポットのお湯を使ってたのでそこそこ熱いお湯だった気がするけれど、時間はそんなに短くはなかった。むしろ、よく出るように長めだった気もするし、なんなら急須を揺すったりしてたかもしれない。

 急須と湯呑をさっと水で濯いで、水切りかごに逆さに置く。急須と二つの湯呑。今は使わない二つ目の湯呑を見てさっきの渚沙の言葉を思い出したが、軽く息を吐いて余計な感情が沸く前に胸の奥に引っ込めた。

 電気ケトルでお湯を沸かし、急須は乾ききらないのでキッチンペーパーでさっと水気を拭き取った。

 購入したほうじ茶を開封する。紙袋を開けると、ふわりとお茶の薫りが広がった。お店ほどではないとしても、十分に心が落ち着く薫りだ。

 付属の茶こしを急須にセットする。茶匙などは当然持ちあわせていないので、ティースプーンで茶葉を入れた。調べたら、二杯くらいが適量のようだ。

「こんなもんか?」

 あまり堅苦しく考えても仕方がないと、沸騰したお湯を注ぎ入れる。更に香ばしい茶葉の薫りが部屋に広がった。

 湯呑を一つ用意し、じっと三十秒ほど待機。やっぱりかなり短いと感じる。これでいいのかと疑問も湧いたが、まずは調べた通りで。筒状になった急須の持ち手を握って、ゆっくりと注ぎ入れる。淡い茶色に抽出されたほうじ茶が桜色の湯呑に満たされていく。

 最後の一滴まで注ぎきって、そっと急須を置いた。

 集中してほうじ茶を淹れている間に、心は静かに落ち着いていた。

 そっと両手で湯呑を持つ。掌が温かい。

 ゆっくりと口を付けて──

「熱っ!」

 想像していたよりも熱いお茶に思わず声を漏らしたが、上品なほうじ茶の香ばしい薫りが口の中にふわりと広がる。

 ゆっくりともう一口含んで、胸の中に広がるほうじ茶の味と薫りを楽しんだ。

 美味しい。けど。

「これは上品すぎるな」

 田舎で飲んだほうじ茶はどんな味だっただろうかと思い出して、くすりと笑みが漏れた。

 自分の中の変なわだかまりがすっと溶けるのを感じて、田舎のばあちゃんと渚沙の笑顔が浮かんだ。


 撮影用にもう一度ほうじ茶を淹れて、桜色の湯呑を満たす。部屋には心地よい薫りが漂っていた。スマホでカメラを起動。少し角度を調節して、急須と二つの湯呑をフレームに収めてシャッターを切った。

『美味しいほうじ茶、こんど一緒にどうですか』

 思いつくままにメッセージを入力し、渚沙のトークルームに写真と合わせて送信する。

 すぐに既読が付き、ピコンと返信が届いた。

『ごちそうになります』

 次いでもう一通届いたメッセージを見て、頬が緩んだ。

『お花見みたいで、可愛いね! 楽しみ』

 どうやら、渚沙にもこの幸せな薫りを楽しんでもらえそうだ。ほうじ茶をゆったりとした気持ちで味わいながら、今年の夏は久しぶりに田舎に帰ろうかと思案した。

 

 完

 

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ほうじ茶をどうぞ 島本 葉 @shimapon

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