第3話 拡散ドミノ


あの掲示板での出来事を目撃してから、一週間が経過した。

どんなにニュースを探そうと、あれから特に「その肉を返せ運動」のことは誰ヅテでも耳には入ってきていない。利用客が何百人もいるようなジムが潰れる運動が、まだ話題になっていないのは妙だ。私は気になって仕方が無く、仕事以外のほとんどの時間、今にもマグマが噴出するのではないかと、神経が張り詰めていた。


一週間前、瞬く間に起きた脱力系ジムの閉鎖、あの掲示板上での出来事は、まるで真夜中に突然、電気の消えた廊下で物音がして、怖いのにどうしても確認をしに行ってしまうような強烈な引力を持って、旋風のように数センチ、私の日常を浮きだたせ始めた。"Maluma"マルマの曲を私だけが知っていた時のような、背徳感に似た疚しい喜びが背中をむずむずと駆け巡った。


懐かしい。脳内で自然と、"Maluma"の曲が再生される。


Hawái de vacaciones, mis felicitaciones

君は今頃、ハワイでバカンスを過ごしているんだね おめでとう

Muy lindo en Instagram lo que posteas

インスタでは凄く可愛い写真ばっかりでさ


相変わらず、陰湿な歌詞だよなあ……。ああ、あのジムが恋しい。地球の裏側の誰も知らない音楽、誰も知らない存在が凄い勢力をつけてこちらへ迫ってくる気迫が、あの狭い空間にはあった。赤シャツの言った「警告」が私の頭に鳴り響く。私は、脱力系ジムに変わるジムを探す為に、ベッドの上でもう1時間以上も、近くのジムの評判を確かめていた。音楽の趣味が悪いジムだけは、どうしても行く気になれない。

この後すぐに、閉鎖したジムの系列店の様子でも確かめに行ってやりたかった。「肉を返せ」運動はが知っている秘密のようであり、水面下で膨れ上がっていくドミノを止めるか別の場所へ方向転換するかを、決められるのは私だけかもしれない。ずっと、脳に虫が這いずり回っているようで落ち着かない。


だが、今から「ヴィ・ヴィ・ヴィーガン等デマです!」「肉を食べても何も起きません!」と私一人が嘆いたところで、何が起きよう?


いや、待てよ。

これは本当に、私の身の回りだけで起きているだけなのだろうか?


実際、ジムの閉鎖自体は珍しいことではないし、掲示板はいつでも燃える。だが、取るに足らない運動として一蹴してしまうには、勢いが強すぎる気がした。「ヴィ・ヴィ・ヴィーガン」という概念を突然生んだ掲示板上での出来事と、「肉を返せ」運動の関連性が怪しい。どちらにも共通するのは、くせに、ことだ。一体、誰に利益があって、そんなことを定めたというのだろう?


頭を抱えながら、ジムに行くはずだった時間帯の、家のベッドで静かに目を瞑る。独りよがりになってしまったら、「データに基づいたファクトチェックをするのだ」と新米コンサルタントの時にいやと言うほど聞かされた。だけど、現状をどう確かめれば良いというのだろう。途方もない作業だし、やはり面倒臭い。ちょうど眠いし、一回寝てから考えるか……。


ブーッ。ブーッ。 ブッ。


振動の種類が微妙に違う通知が、2種類届く。何故か最近、一日中全く音沙汰なかった通知が一気に時間を同じくして届くような……。でも、今はちょうどいい。外部からの刺激が無いと、眠くなってしまうから。今回も危うく寝てしまうところだった。通知は友人からのメッセージと、SNSの速報だ。表示されているメッセージを確認する間もなく咄嗟に画面を開く。


由香里ゆかりからだ。大学からの知り合いで、同じジム仲間。


「ちょっとこれ見て」


そのメッセージの下には、一枚の写真が送られていた。私は、それを目にした瞬間、悟った。もう一本目のドミノは倒れていたのだ、ということを。

その写真に写っていたもの。


それは、拳を宙に突き上げ、ヘルメットと黒いジャケットで統一した集団だった。 

だった。


寝ぼけ眼が完全に冴え、私の脳内を鋭い伝達信号がほとばしった。


「これ……由香里の家の目の前だよね?」

「そう。数十分前いきなり始まった。何か変なこと言ってるんだよね」

「『その肉を返せ!さもなくば持っておけ!』じゃない?」

「え!?多分そう。マジで言っている意味分からなくない?このデモ、最近増えてるの?何事?うるさくてやばいんだけど」

「いや……多分今日からだと思う。ちょっと気になることがあるから、今からそっち行く」

「私もう家出ちゃうけど……あ、待って、また変なこと言ってる!『ダイエット禁止!ダイエット禁止!』だって。何これ?罰ゲームかな?」


ダイエットを禁ずる。


その言葉なら、この集団は確実に脱力系ジムの赤シャツが言っていたボイコットと関わりがある。一人でも話を聞いて、ジムについて聞かなければ。だが――デモのような大胆な手段で表明するなど、もう私が先回りして調査をする規模ではないかもしれない。それに、ヘルメットの着用……? どこかで聞き覚えのある集団武装だ。現代史の授業で習ったことがある。デモは、行う方法もその目的も色々あるが、その影響力は、かつて内閣を辞任させたり、メディアの連日報道で国民に危機感を与え、国政への正しい見識を授けたこともあるらしい。そこまでして、この運動を拡散しようとしているのか? 一体、今何百、いや何千の人がこのデモを目にしているだろう? 私は居ても立っても居られなくなり、スマホをロックして家を出ようとした……。

その時、もう一つの通知、の存在を忘れていたことに気づき、片方の靴を履きながらそのアプリを起動した。


通知マークに触れる。


「今急上昇中の動画です」


そう説明されたニュースには、MHKにインタビューを受けている様子の、若い青年の目から下だけが映し出されている。青年が口を開く前に、インタビュアーが尋ねる。


「今回、あなたが提唱した言葉が、多くの人の共感を呼び、ブームとなっているようですが、そのことについてどう思われますか?」


「はい……正確に言えば、私が提唱した言葉では無いんです。『ヴィ・ヴィ・ヴィーガン』というのは。『肉を食べても良い方法』があると私のパートナーに説明した私の思いに共感し、ネット上で提唱された言葉を、私が実際に試したのです」


まさか。


「多くの方にとっては、聞き慣れない言葉ですが、あなたの行動は、『ヴィーガン』を否定するものではないのですか?」


「私自身の希望もあって、あくまでも代替案として使用しただけですので、私にはヴィーガンの方を否定する気は全くありません」

「あなたは更にその結果を、ご自身で運用されているブログにまとめ、これまでの食に対する向き合い方に新しい風を吹かせる概念が生まれたとして、大反響を呼びました。なぜ、ここまで受け入れられたと思いますか?」

「はい。私のブログは、もともと、個人的に社会問題に関する考察を載せるパーソナルなブログでした。今回の掲示板での流れを受けて、その結果と動画を載せることによって、多くの方に読んでもらえたようです。私はもともと、ネットの掲示板を使ったこともなかったのですが、本当に悩んだ末、今回初めて投稿したんです。ここまで反響があったのは、私の悩みが、読者への等身大のもものだったからではないでしょうか」


最後に、実際に投稿された動画がほんの一瞬、放映された。

青年の隣にお揃いの白シャツで並ぶ、長い髪を明るく染めた細身の女性。


「こんにちは!マコトです。ハルです。今回、皆さまの期待にお応えして、話題の『ヴィ・ヴィ・ヴィーガン』を試してみました!一体、何が凄いのか? 本当に美容に良いのか? その有効性をお伝えします!」


一体、何だこれは……。

たまにメディアに対して珍解答をしたことでネットミーム化して一躍有名となり、芸人や芸能人デビューをしてしまうこともあるが、彼の行動は、あくまで売名行為に過ぎなかったのか?しかし、何故突然発生したような言葉があたかも価値のある言葉のように、視聴率5%の番組で取沙汰されたのだろうか?最近「世界で拡散されている動画」をただ流すだけの番組も増えたが、ネット上の「バズり」に盲目になったプロデューサーが、目敏く掲示板を見張っていたのか……?


彼の彼女を想う言葉が、そこまで多くのネット民を動かしたというのか。どうも腑に落ちない。


だがこの様子、どこか聞き覚えがある……。

私は、「火星からの侵入」で米国民を恐怖に陥れた、キャントリルの研究をふと思い出した。確か、不確かな情報を鵜呑みにしてしまう条件の一つが、「個人が解釈に自信がなく、していること」だった。土曜の朝、皆何かと忙しくしている時だろう。「ヴィ・ヴィ・ヴィーガン」のようなキャッチーな言葉を一瞬耳にしただけで気になり、それが正しいかどうか等、この際関係ないのではないか?


私は震える手で、「ヴィ・ヴィ・ヴィーガン」に関する科学的に検証された記事を探した。その言葉を検索し、一番上に上がっている記事を開き、全体に機械翻訳をかける。


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「あなたはいくつ知っている? ヴィ・ヴィ・ヴィーガンの知られざる美容効果」


あなたは肉を食べます。そしてそれを減らしません。

そのことによってあなたの肌は若返り、健康になるでしょう。


・効果1「肌の角質の入れ替えサイクルが早くなる」

    …………。


-----------------------------------------------------------------------------------------------


「いかにも」な科学記事だ。だがやはりいつの間にか「肉を食べても良い」ことの制約は、「その肉を減らさない」ことで確定しているようだ。たった一本の記事。だが効果は絶大なのだ。私は知っている。世の中の多くの営業が、顧客を納得させる為にまだ一本しか出ていないウェブ上の記事を使って信頼を得ることを。


スマホを持つ手が震え、私は玄関にしゃがみこむ。一体、何が起きている?


「こんな言葉、いくらだって作れるじゃん……」


ネット上で、言葉は矢のように飛び交い、多くの心を射抜き、簡単に二次元と三次元測定の垣根を飛び越えた。数分前まであれだけ気になっていたデモを確認しにいく気など失せていた。たったの1週間前じゃないか。菌の根が静かに蔓延るように、「肉を返せ」運動は背後にしたたかに忍び寄り、ただ静かにそれがデモへと派生し、ネットミーム化した……。


「ねえねえ!」

私の手の中で、スマホが鳴った。


「来ないの?来るなら待っておこうと思ったんだけど」

由香里がいきなり沈黙した私を急かしていた。


「その肉を返せ! さもなくば、もっておけ!」

「ダイエット禁止!ダイエット禁止!」


地獄のような光景だ。ダイエット禁止という言葉が塊となり、そこらじゅうを蹂躙する。高熱を出した時の夢のような、ふにゃふにゃで吐き気を催す光景が、広がる。

怖い。体に力が入らなかった。思えば適当な食料が見つからず、昨晩から何も作らず、食べていなかった。あの運動が、もしこれからも拡散し続けたら、私は……。いや私だけじゃない。あの人達だって……。


一体、どこに解決の糸口がある。この運動の主導者は? 一体誰がデモを先導しているだろうか?「デモの主導者」と「ネットでの暗躍者」の行動の目的は同じなのだろうか?由香里にもう少し偵察してもらおうか?


「由香里、」


私がメッセージを打ちかけた、その時だった。


「デモの人達、行っちゃったよ……結局、来ないの?」


遅かった。デモ集団は瞬く間に雲散霧消していた。

デモは、まだどこかで起きるだろう。デモの主導者に聞かないことには、ジムの閉鎖の理由が分からない。明日、メディアの放送を受けて、視聴率5%内の人口、約500万人のうちどれだけがその言葉に魅せられ、試し始めるかもしれない。


ああ、どうせ運動は過熱してすぐに収束するのだ。そんなもの、放っておけばよいではないか。何故ここまで気になる?なぜ、どうかしないといけないと思うのだ?

私の目の前で起きた運動の連鎖を、どうしても止めることが出来なかったからか?


"Maluma"の哀愁漂う音楽が、もう聴けないからだろうか?

赤シャツの言う事が、現実になりつつあるからだろうか?

どうしたら、この騒ぎを鎮めることが出来るだろう?群衆の権利を保障したうえで、納得させた上で薦められる方法は何だろう?


歴史を遡る。毎回、人民を救ってきたわけじゃない。

悲劇を何度も繰り返してきた。だが、そこに一縷の望みがあるとすれば……。


政治……。


それが、ヒントになるんじゃないか?




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