安息の日々

第5話 廃棄都市の現状

 沙耶の体力は、程なく歩ける程度には回復した。

 実は最初に沙羅の家で目が覚めたとき、沙羅が沙耶を見つけてから五日ほど経過していたらしい。

 その間沙羅はずっと看病していてくれたのだろう。正直、なんでそこまでするのだろうと思うのだが、それは、沙耶の感覚が違うだけで、沙羅には当たり前のことらしい。


 沙羅の家に来て十日目、つまり沙耶が目を覚ましてから五日目に、沙耶は初めて家の外に出た。無論、沙羅と一緒にである。ただの買い物であったのだが、沙耶にとって、外はなぜか全てが新鮮に見えた。


 その日は天気も良く、文字どおり雲一つない青空が広がっていた。風にはやや冷たさを感じなくもないのだが、それもまた沙耶には心地よい。


「今日はちょっと気持ちがいいわね。暖かいし」

「いつもは、もっと寒いのですか?」

「そうね。やっと冬が終わって春になるところだしね」


 確かに肌寒さを感じるが、時折吹く風には暖かさも感じられた。


「ま、春と言ってもすぐ秋になっちゃうけどね」

「……すみません。私の知識だと、春の次って夏って季節では……?」


 ここ数日でわかったことだが――あれから意味不明の記憶に苛まれることはなくなったが――沙耶はかなりの知識を保有していた。

 自身の記憶はないわりに、知識は多い状態だ。

 ただ、それは科学的知識などに偏っており、社会に対する知識は皆無に等しかった。


「沙耶は物知りね。まあ、本当は『四季』っていって、この地域には春夏秋冬って四つの季節があったとされているんだけど」


 沙羅が空を見上げる。

 晴れ渡った空は、わずかな雲以外は遮るものがなく、眩しい光を地上に投げかけていた。


「じゃ、沙羅さんの現代講座ね。まあ私も伝聞でしか知らないのだけど。だいたい五十年くらい前、この地球全体を天変地異が襲ったの」


 沙羅の話によると、西暦二〇四八年から数年間、突如として世界中で天変地異が連発したらしい。

 地球環境の悪化によって『まるで風船が割れるように』自然が暴威を振りまいたともされ、現在では『大天災カタストロフ』と呼ばれている。

 さらにその影響か、地球環境自体が激変。

 地軸まで歪んだとされているらしい。


「で、その結果、この地域では夏なんて季節はほとんどなくなっちゃってわけ」

「夏がなくなった?」

「うん。昔の記録だと、夏って気温が摂氏三十度とかになるらしいけど、現在この辺りは春で一番暖かい時でもせいぜい二十度くらい。稀に三十度近くまで行くこともあるけど、それも七月から八月ごろにかけてのみで、そこからまたすぐ気温は下がり始めるわ」

「下がり始めると、秋?」

「そうね。とても寒い季節がずっとあって、ちょっとだけ暖かい季節があるだけって感じ」


 そういっている間に、市場マーケットに着いた。

 初めてみる市場マーケットは活気にあふれており、沙耶はこれまで沙羅以外の人を見たことがなかったのもあって、目を丸くしている。


「人が怖い、とか言い出さないか心配だったけど……大丈夫そう?」

「……はい。大丈夫だと思います。こんなにたくさん、人がいるんですね。この辺りの中心都市なんですか?」

「いや、そういうわけでもないっていうか……廃棄都市スラムって言われる地域だけどね。まあでも、この廃棄都市スラムじゃ一番人が多い場所ではあるか」

廃棄都市スラム?」


 単語の意味は分かる。

 だが、スラム、つまり廃棄された都市というのは、もっと荒れ果ててるという知識があるが、今見える街は、確かに古く一部崩れたような家もあるが、荒れ果ててている、という風には見えない。


「うん、まあ……普通の街だと思っていいわよ。けど、あの大天災カタストロフの後、ほとんどの国家は崩壊したの。この地域を治めていた国、『日本』っていう国だったらしいけど、それも崩壊。今じゃ昔の都市機能なんて、企業管理都市キャピタルと呼ばれる場所以外はほとんど残ってないそうよ」

「きゃぴたる?」

「そ。そして多くの企業は自身の傘下にある企業をまとめ上げて、巨大企業群メガコーポレーションになったわ。で、その企業が支配する都市を企業管理都市キャピタルとして統治してるの。流通や通信なんかを、企業が支配した。そしてその企業の支配から見捨てられた街を、廃棄都市スラムというのよ」

「ここは……廃棄都市スラム?」


 沙耶は不思議そうに街を見回す。

 確かに雑然とはしているが、瓦礫が積んであったり、壊れたら建造物ばかりの廃墟とは思えない。確かに建物はどれも古いし、あちこちに破損の後も見えるが、かといって今も現役の建物ばかりで、廃棄都市スラムと呼ばれるような都市とは思えなかった。


「まあ、この廃棄都市スラム……元の地域の名前そのままに『横浜』って呼ばれてるけど、ちょっと特殊でね。廃棄都市スラムの中では特に大きな街よ。廃棄都市スラムって言ったって、人は住んでるのよ。むしろ全体から見れば、企業管理都市キャピタルに住んでいる人より、廃棄都市スラムに住んでいる人の方が多いのよ」


 そうしている間に、二人は市場マーケットの中を進んでいく。

 やがてついた場所は、見たこともない、同じようなものが大量に並んでいた。


「大体、食べ物はここで買うの」


 沙羅は、物珍しさにきょろきょろする沙耶に、一つ一つ説明していく。

 実際、沙耶には何もかも珍しかった。年相応――いや、それ以上の好奇心を最大に発揮して、次々に沙羅に質問する。

 知識としては、沙耶も野菜や果物、あるいは肉類などについては知っていても、それを実際に見るのはすべて初めてだと思えたからだ。


「よかった、人見知りとかしなくて」

「え?」

「ううん。なんでもないわ。じゃ、次はこっち」


 続いて別の店に行こうとしたところで――ふと、沙耶は雑踏のはるか向こうに見える、巨大な建造物に気が付いた。


「あれは?」


 上部がやや歪な、巨大な柱にも見える。

 よく見ると、上層の一部が大幅に補修された巨大なビルだと分かる。

 ただ、とにかく大きい。


「あれはかつて、この横浜の象徴とまでいわれた建物ね。確か建造当時は、この国で一番目に高い建物だったそうよ。もう百年近く昔の建物だけどね」


 度重なる補修は、百年の歴史という事だろうか。逆に言えば、百年近く残ってるだけでもすごいと思う。


「入れるのですか?」

「あそこは立ち入り禁止。どこだったかの企業が管理しているらしいわ。何しているか知らないけどね」


 ちょっと残念だなと思ったが、そのビルはそれ以上少女の好奇心を引き付けはしなかった。

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