最終話:三人のバトルロイヤル




 雷は遠ざかり、かすかに音の残滓ざんしが残っている。

 それでも、雨は降り続けると決心したかのように、地上を濡らし続けた。


「生きているか」


 怯えを帯びたムーチェンの声が、切実に語っている。メイリーンに生きていて欲しいと。わたしは傍らにひざまずいて首もとの脈をみた。


「……生きている」

「そうか、よかった、よかった……、本当によかった。個人的には誰にも恨みはない。いや、むしろ親近感さえわいている。わたしは、危うくメイリーンを殺すところだった、シャオロン」

「今は失神している。このままのほうがいい。意識があれば痛みに耐えられないだろう。たぶん、肋骨あたりが折れている」


 降り続く雨は激しさが消え、肌にあたる水滴が温かかった。


「ムーチェン、そっちの手は、大丈夫か」

「ああ、気にするな。しかし、おまえは規格外だな。驚かされたよ。あんな戦い方があるなんて、完全に型から外れている」

「これは貧民窟の喧嘩だよ。おい、手、まだ血が出ている。貸して」


 わたしは衣の裾を切り裂いて、簡易的な包帯としてムーチェンの手に巻いた。


「メイリーンは、わたしが運ぼう」

「手は大丈夫なのか」

「これくらいのこと、訓練ではよく怪我をした」


 彼女はメイリーンを宝物のように、そっと両腕に抱える。と、額にシワが寄った。意識が戻ったのだろうか。


「痛むのか。すまない」と聞くムーチェンの声は柔らかい。

「……」


 ムーチェンは彼女を両腕に抱いたまま鳥居へと戻っていく。背を丸めた巨体が小さく見えた。その後ろ姿にも雨が降り注ぎ、細かく飛沫を跳ね返している。


 儀式が終わったのだ。


 ムーチェンとメイリーンにとっては、生まれてからの戦いが、やっと終わった。

 生まれた日から少女時代も、十六歳で成人したのちも、半生を、すべてこの儀式のために費やしてきた。儀式の候補者として身を慎み、感情を押し殺して、恋もせず、おしゃれもせず、ただ身体能力を高めるために生きてきたにちがいない。



 ムーチェン、二十二歳──


 フー王国生まれ。男兄弟の中で、ただ一人の皇女。王家の正統なる直系として、また儀式の候補者として極秘に訓練を受ける。

 現在の所属は王家直属の近衛隊。

 並外れた体力と戦闘能力から、女性ながら近衛隊長を務める。

 結果は最下位。



 メイリーン、二十一歳──


 北栄ベイロン王国生まれ。王家傍流の血筋。他の三人の候補者とともに儀式参加のために極秘訓練を受ける。明晰な頭脳を持ち、最終的に他の候補者を圧倒して儀式に参加する。

 結果は第二位。



 彼女たちは王国代表として、ともに戦った同士として、尊敬というには生やさしい複雑な感情を抱いていることだろう。


 わたしのように全く儀式など知らなかった者とは、根本的に違う。

 そんなわたしが勝ってしまった。

 

 ムーチェンが鳥居の外で待っていた担架にメイリーンを乗せた。


「メイリーン。死ぬなよ」

「い、生きるわ、よ……」


 言葉の途中でメイリーンは咳き込んだ。口もとから血を吹き出す。

 医官が、その場で簡易的な診察をしている。

 その様子を、年配の男が見つめていた。豪華な衣装から北栄ベイロン王国の王族のひとりだろう。


「ち、父上、も、申し訳ござい……」

「話すな。もう良い。医官よ!」

「すぐ治療に取り掛かります。まずは、戻ってから」

「父上……」

「二位だったのだ。たいしたものだ。そなたは、よくやった。誇らしいぞ」


 親族と医官に付き添われ担架で運ばれるメイリーン。


 その姿を、ムーチェンが静かに見送っていた。誰も声をかけられない。


 雨は降り続け、彼女の身体を濡らす。


 ムーチェンは仁王立ちしたまま、一度だけ背後を振り返った。

 雨が降り続く戦場、瑞泉ずいせん山を見つめる。霊峰は勇壮にして荘厳、木々に隠蔽され、人を寄せ付けず、色彩を失う。


 彼女は天を仰いだ。


「うおおおおおおおおおお」


 泣き声とも叫び声ともしれない、腹の底から絞りだすような声。山にむかって雄叫びをする姿に、かける言葉を失う。


 三人の男たちがムーチェンに近づき、その背に乾いた上衣をかけた。その手は慈しみに満ちている。

 おそらく、ムーチェンの男兄弟たちなのだろう。


 ムーチェンを取り囲み、優しく肩を叩いた。


「帰るぞ。おまえが死力をつくしたことはわかっている」


 彼らの中心で顔を伏せたムーチェンが、こちらを一瞥もせず去っていく。


 霊峰瑞泉ずいせん山に降る雨は、さらに激しさを増した。


「第一位は南煌ナンフォアン王国、シャオロン殿。第二位は北栄ベイロン王国、メイリーン殿。第三位はフー王国、ムーチェン殿。これにて、儀式を終会といたしゃんす」


 唐傘からかさを頭上にかかげた女官が甲高い声で告げた。


 その瞬間、山が鳴った。


 鳥居の外に雨は降っていない。雲は多いが晴れていた。振り返ると、瑞泉ずいせん山にだけ、やむこともなく、どしゃぶりの雨が降っている。


 白龍神の鳴き声が大地を揺るがす。




 儀式が終わった……。




(第5章:完結)

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