国の希望と絶望:後編
その時、部屋の戸口を守る侍女の声が聞こえた。
「ジャオンイー王弟殿下さまがいらっしゃいました」
え? 王弟? まったく、なんでこんな時に王弟が来るんだ。
「スー!」
「シャオロンさま、すぐさま衣装を整えます」
寝台前の
「どうぞ、このまま、お待ちくださいませ。お座りになったまま、なにもおっしゃいませんように」
スーリの動きは機敏だ。
「これは、これは、ジャオンイー王弟殿下」
絵に書いたような典型的なでっぷり太った男が、のしのしと入ってきた。貧民窟では見たことがない。金のある官吏や金持ちにしても、ここまで太るほど食料はなかった。
このオヤジが王弟。
背後にふたりの護衛がついている。
「活躍をね、知りましてな」と、身体つきの割に甲高い声で男は話した。
「わが国のために、頑張っていただきたく、陣中見舞いに参ったということです」
返事をしなかった。できる返事もない。
異様に威圧感があって、くすんだ顔は持病でも持っているのだろうか。年齢的には、五十代くらいに見える。こんな年寄りになるまで生きている貧民窟の人間はめったにいない。
この男──
傷んでいる。どこかと聞かれると困るが、人として何か欠落しているようだった。
恐ろしく残酷な一面を持っているにちがいない。
「申し訳ございません、殿下。シャオロンさまは先の儀式で傷を負い、まだ、お起きになることができません」
「おお、そうか、そうか」
王弟の額に脂汗が浮かんでいる。
空気に熱気が増しているようだ。
彼は背後を振り返ると、横柄に顎をしゃくった。
背後に控えていた従者が、王弟の前に
「国のために随分と活躍なされたようだ。儀式一回目の優勝は逃したものの、まあ、二位か。ようやった。わしからも礼をしたい。ささやかなものだが、滋養のつきそうな物を用意した」
すかさず、スーリが前に進みでて受け取った。そのまま箱を抱えて、
「開けてご覧ぜよ、シャオロン
「シャオロンさまは、まだお傷が癒えておりませぬ。代わりにわたしくが失礼をばいたします」
わたしは枕に肘を当て、スーリが箱を開いて中身を確認するのを見た。
「うおおお」
思わず声が出てしまい、スーリに口もとを抑えられる。だって、そこには、黄金に輝く金貨がいっぱい。いったい、いくらなんだろう?
口を押さえられ、ジタバタしながらも、つい、その輝きに呆然とした。
金、金、金。
王弟、なんていい人なんだ。こうなれば、これを持って逃げればいいだけの話になる。まさか、こんなところに、思わぬ味方が存在していたなんて。
この際、やつの容姿なんてどうでもいい。ケチくさいウーシャンなんかと違い、太っ腹だ。
「お気に召していただいたか」
ヌヒヌヒって、奇妙な声で笑っている。
赤ら顔に、でこぼこの肌が崩れている。どうやったら、ここまで太って、その上に、嫌味な顔になるんだろうか。
いやいや、黄金のお顔になるんだろう。
なあ、ヘンス。
「これ、もらっても、……本当にいいのか」
「何がいいのでしょうか?」
金貨に夢中になって気づかなかったが、ウーシャンのさわやかな声が聞こえた。いつの間にか、ここに戻って来た。
侍女が、わたしに案内を乞いもしない。
自由に出入りするなんて、やはり傲慢だ。いっそ王弟のほうが礼儀正しいぞ。
「叔父上。これは、どういうことでしょうか」
「ウーシャンよ。見舞いじゃよ。我が国のために、あの生きて戻るものが少ない儀式に飛び込んでくださる群主殿がいらしたのだ。敬意を表さなくては」
王弟の話し方は鼻につく。
いかんせん、その悪人ヅラは幼い頃からの蓄積が顔に出た結果なんだろうが。顔と態度が生き様の履歴書が、これほどあからさまなのも珍しい。
しかし、今は、そこ注目してる場合じゃない。
淡々と聞き流したが、ちょっと待て!
生きて戻る者がすくないって? ウーシャンからそうは聞いていなかったけど。
王弟とウーシャンのあいだに氷の吹雪が吹いている。間に入るには勇気が必要で、ちと迷うけど。ここは聞き捨てならない。
「ちょっと、いいでしょうか」
「なんだ」と、ふたりが同時に、こちらを向いた。
いや、やっぱやめようか。ふたりとも怖すぎる。
「あの、先ほどですが、生きて戻るものが少ないとは?」
「ほお、ウーシャンよ。そなた何も教えていないのか」
「叔父上、いい加減にお帰りになったほうがよろしいかと」
「いや、よろしくないな。シャオロンよ、あの儀式は過酷ぞ。そのか弱い身で、よくぞ出場を選んでくれた。我が国のために犠牲も厭わぬとは、尊いことだ」
間違いない、この儀式には命の危険がある。
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