国の希望と絶望:前編
ウーシャンは部屋を出て行こうとして、振り返った。
珍しいことに迷っているようだった。彼は迷い、わたしは待った。なんとなくだが、聞くべきだと思ったのだ。
「話して。わたしに対して、知っていることを黙る権利は、あなたにないと思う」
「兄について、誤解を解いておきたいのです」
「そう」
「あの不幸な儀式の日、当時の医官は、兄が毒に侵されていたと証言しました。おそらく食事に混入された緩慢に効く毒によって、兄は第二儀式の最中に昏倒しました。その後、儀式で襲われ大怪我をしたのです。意識不明で戻ってきた兄は第三の儀式には出られず、わが王国は最下位になりました。当時、兄の世話をしていた、あなたの家族が毒を盛ったと後に疑われたのです」
「でも、なぜ、毒のことが公に漏れたの。儀式の詳細は秘密でしょう」
「その噂が公になった経緯はわかりません。ただ、儀式を妨害するなど、あってはならないことです。死罪となる大罪です。その娘である、あなたの命もないはずでした」
「つまり、わたしの両親の謀略によって、儀式が失敗したというの?」
「真相は闇のなかです。兄が失敗したという事実だけが残りました。それも最後の儀式に出られないという屈辱的な内容でした」
ぽっかりと宙に浮かんでいるような、覚束ない気もちになった。
「兄は、儀式の参加資格者を持つ王族として生まれました。幼いころから厳しい訓練に耐えて挑んだのです。それが、儀式ではなく毒によって妨げられた」
「わたしの親が毒をもったから」
「わたしは、まだ幼かった。ただ、もしご両親が毒を盛ったとすれば、それは、あまりに稚拙な行為です。次の儀式の資格者が、あなたでありましたから。あなたの両親や兄弟は最後まで無実を主張しながら処刑されました。兄は責任を感じて自殺したことになりましたが、実際は、あなたを連れて消えたのです」
彼の言葉を信じるなら、ヘンスは両親によって貧民窟に落ちたことになる。なぜ、わたしを救ったのだろうか?
わたしには幼いころの記憶がない。
ただ、時おり恐ろしい夢を見る。
その夢はいつも同じものだ。
ポツンポツンと水が漏れる音が聞こえ、気味の悪い虫に囲まれた暗い牢獄。あたり一面が、真っ赤な血に染まっていた。
わたしは恐怖で叫び声をあげて目覚める。そんな夜は、ヘンスが必ず胸に抱いてくれた。
「怖くない。俺はここにいる」と、言われても泣き止まないわたし。
そうすると、ヘンスは適当に節をつけ下手な子守唄を歌う。そのメロディも歌詞も寂しげで残酷なものだったが、ヘンスの低い声が夜のしじまに響くと、いつも安心した。
『🎵生〜きろ、生きろ、生きのびろや
さ〜けべ、さけべ、泣き叫けべや
眠って、地獄に怯えて
生〜きろ、生きろ、生きのびろや
ん〜〜んん、ん〜〜んんんんんんぅ🎵』
あのメチャクチャな子守唄に、わたしは安心できた。
寂しい歌なのに、なぜか安心できた。
「いいわ。次の儀式に参加して勝利してみせる。話はそれからよ」
「勝ってください。参加者はそれぞれ国の重い期待を背負っています。失敗すれば敗残者、勝てば英雄です。優勝、あるいは、せめて二位になることです」
『戦闘において、いかなる時も、冷静さを失うな』と、ヘンスは言っていた。
ヘンス……。
ウーシャンが部屋を出ていくと、叩頭していたスーリが顔をあげ、おずおずと口を開いた。
「差し出がましいことを申し上げてよろしいでしょうか、シャオロンさま」
「……」
「どうか皇子さまをお責めにならないでくださいまし。ずっと苦しまれていらっしゃったのです」
スーリの顔がかすかに曇る。
この王都は、みな自分が住む世界の法則が正しいという先入観をもっている。もっとも恐ろしいのは、正しいと思う先入観の方だなんて考えもしない。
「ウーシャンさまは、言葉足らずにございますけれども。殿方というのは、そういうところがございます。言わなくてもわかってくれると、勝手に思うものでございましょう」
「スー、わたしはヘンスに怒っているの」
「シャオロンさま……。わたくしは覚えております。よく覚えております。第二皇子さまとウーシャンさまは、とても仲の良いご兄弟でらした。十二年前、儀式に向かう兄を誇らしそうに見送ったウーシャンさまの、そのお姿を忘れられません。第二皇子さまこそ、この王国の『希望』でしたから。でも……」
「最下位になって、『呪い』になったのね」
ヘンスは顔にも身体にも恐ろしい傷が多かった。いったい儀式で何が起きたのだ。
わたしが二回目の儀式に出れば、わかることかもしれない。
「儀式の間は、今回もですが、この『紫菖蒲の間』も、他の宿舎も厳重に警備されております。他国のものが手を出せるはずはございませんのに」
「それって、身内に犯人がいて、それが両親だったのね」
「さようにございます」
「じゃあ、なぜ、ヘンスはわたしを救ったの?」
スーリは何も答えなかった。しばらく考え、ぽつりとつぶやいた。
「復讐のためかもしれません」
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