第一儀式が終わって 3
「十二年前のことですが。幼いあなたを連れてヘンスは貧民窟に向かったのです。ちなみに、ヘンスは本名ではありません。公には、儀式で敗北した責任をとり自殺したことになっている、この国の第二皇子です」
聞きたくないって!
彼の言葉を、全力で心が拒否した。
言っている意味がわからない……。
あのヘンスが、孤独な目をして、いつも肩を斜めに曲げ、生きているのか死んでいるのかわからない、そんな男が王族の地位を捨てて貧民窟に落ちたなんて。
そんな与太話、誰が聞きたい……。
「我が国は儀式に負け続けております。このままでは国体が持ちません。苦肉の策でした」
「ヘンスは」
「バイリーです。正確にはバイリー・ワン第二皇子。わたしの大切な兄です」
「それは、嘘ね。なんていうか壮大な嘘を考えたわね。バカらしくって、笑ってしまいそうなんだけど」
ヘンスの憂いを秘めた顔。その顔が、この男に重なっていく。あの野郎、すずしい顔をして、毎日、わたしに訓練を課した。
それが、このためだったというのか。わたしは何を信じればいいのだろうか。いや、信じてはいけないのだろうか。
心臓がズキっと痛む。
「もし、その話が事実と仮定してよ……、わ、わたしに、父さんと母さんがいるの?」
そう聞きながら期待をしないのは、そして、感動もしないし、涙も出ない理由は、たぶん、現実的じゃないからだ。
貧民窟では子を捨てる親は多い。
ウーシャンは淡々とした態度を崩さない。『今日はいい天気ですね』というような口調で、とんでもない暴露話をしている。
なんともいえない感情に押しつぶされそうだ。
わたしは、必死に虚勢をはる。
もし、わたしが群主だとしたら、この男が、わたしの遠い血族になる。
ありえない!
「ご両親は、お亡くなりになっております。政変の犠牲でお命を失いました」
「政変、これはまた都合のいい物語が出てきたわ。ちなみに、どういう関係なの、その王族とやらと」
「わたしの曽祖父の姉にあたる方が、あなたの曽祖母になります。そこから血筋をたどった子として生まれたのがあなたです」
「ずいぶんと遠い関係ね」
いろんな思いが駆け巡った。
あの日、貧民窟にある『あかずの門』が開いたとき、ヘンスは他地区を牛耳るワンヨに襲われた。
なぜ、ワンヨが襲ったのだろう。
なんて言っていた。
(俺の選んだ女が行くぜ)
まちがいなく、そう叫んでいた。
王家の血筋が条件ならば、ワンヨの女も王族関係者になる。そんなの、あまりに非現実的だし、でまかせばかりだ。
バッカバカしい。
何も知らないと思って、いい加減な嘘ばかり。美しい顔をして、どんな女も自分に夢中だなんて、甘やかされた経験しかないんだろう。だからって余りにバカげている。
おととい来やがれ!
「北門でワンヨって男が襲ってきた。あいつは、『俺の選んだ女も行くぜ』と叫んでいたわ。変でしょ。王族の血を持つのが参加資格なら、ワンヨの女など関係ないはず」
「それは王弟による罠です」
「なんなの、それ」
「この国は疲弊していることはご存知でしょう。水価格の高騰によって、民の暮らしは困難な状況です。貧民窟に比べれば、十分に水もあるし、あなたから見れば貧しいなどと言えば笑えるほど豊かな生活でしょうが。これは比較の問題です。周囲のより豊かな国に比べ、この国の民は我慢が多い。それは儀式で負け続けた結果ですが、王弟である叔父は、そこにつけこんでいるのです」
「だからといって、嘘の女をって、つじつまが合わない」
「ジャオンイー殿下は、わたしにとっては叔父ですが──、朝廷の権力を簒奪することに腐心しています。現王の失政を執拗に狙う。民にとって、儀式に勝てない現王は
その後、訥々と語る彼の言葉はやたら小難しいかったが、単純にいえば、現王は引きこもり、第一皇子は責任を負えない。だから、王弟が次の王位を狙っているということだ。
じゃあ、あげたら。
わたしはそう思う。
権力を簒奪した者は、自分の地位を脅かす者に怯える。現王と王妃、第一皇子、さらには、第三皇子であるウーシャンの命が危険らしいが、そんなこと知ったこっちゃない。まったく王宮ってのは魔物が住んでいる。
いや、本物の魔物はヘンスかもしれない。
どういう気持ちで、わたしを育てた。
「叔父は野心家です。現王から玉座を奪うために手段を選びません。たとえ、儀式に負けることになってもです。彼は野心と欲望のかたまりです。民にとって、あれほど苛烈な王になる存在はいないでしょう。ワンヨとかいう輩は叔父に雇われた男で、あなたの偽物を送ろうとしたのです」
「ワンヨったら……。わたしにとっちゃ、いい仕事してる。そうしてくれたら、わたしは貧民窟で今もヘンスと遊んでいたはず」
思わず本音がもれたが、次の言葉が思い浮かばない。
わたしが王家の血族で、王国を守るために戦う義務があるなんて、信じたくもない。
金貨五十両のほうが、よほど現実味がある。
この馬鹿げた目論見に比べれば、あのワンヨさえ、お人よしに思える。
「わたしには群主なんて、どうでもいい」
「地位も名誉も興味がないのですか?」
「ない」
「困りました。あなたにとって、この戦いは、ご家族の名誉がかかってもいるのですが」
「会ったこともない親のことなど知らない。貧民窟ではね、親に捨てられた子は山のようにいる。でも、みな逞しく生きている。それが普通だからよ」
「普通」
「わたしは、だから、自分の普通で生きたい。金貨五十両、覚えておいてよ。それをもらったら、帰るんだから」
ウーシャンが深くためいきをつく。その仕草があまりにもヘンスと似ていて、胸が波打つ。
「その……、首に下がったペンダントの意味を、兄から聞きましたか? それこそが、あなたが群主であることの証しです」
ヘンスがくれたものだ。
売るのかと聞いたら、そういうものじゃないと吐き捨てるように言った。
触れると、ペンダントが熱をもつ。
「そこには王家の印である白龍の念が込められています。あなたの手に反応している。あなたが、王家の血筋である証拠です」
ウーシャンは椅子から立ち上がると、いきなりわたしの手に触れた。
心臓が、さらに大きく高鳴る。なぜ、こんなに心臓が騒ぐんだ。これまで、男がわたしに触れることはなかったからだ。ヘンスがいつも守ってくれた。
「離して」
「ほら、聞こえるでしょう。わたしたちの鼓動です」
「離して」
ウーシャンの手が離れた。
大事なものが去ったような心細さを否定したくて、首を振った。
ウーシャンの目が何かを問うている。
彼もわたしを理解できないのだろう。わたしたちは同じ場所にいるが、立っている位置があまりに違うのだから……。
だから、そんな哀しげな罪悪感に満ちた目で見ないでほしい。
「わたしと兄は、そして、民も、あなたに負い目を持つことでしょう。許してほしいとは言えません。他に方法がなかったのです」
彼は椅子に腰を下ろすと、いつもの冷たい態度に戻った。
「次の儀式のために、こちらをお渡しします。皇都から配給された
ベージュ色の布袋が手渡された。
中身を確認すると、寝袋に縄や火種、革製の水筒と、携帯用の食料が三日分入っている。この用具から思うに、外で眠ることが前提の儀式のようだ。
「十二年前の儀式では、第二回の参加者が帰ってくるのに、少なくとも五日はかかりました。ただ、儀式の内容自体は異なりますから。三日で帰られることを祈っています」
ウーシャンはなにか嫌なものを飲み込んだような顔をしている。彼は、よくこうした顔つきをした。
その顔を見ると、わたしは砂漠の砂塵に揉まれたときのように、息が上手くできなくなる。
(つづく)
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