第一儀式が終わって 2




 二日後には、新たな儀式がある。

 ご馳走を平らげ、眠れるだけ眠って身体を休めたから、これは、もうトンズラ展開しかない。なにか金目のモノをいただいて逃げちまおう。


 こんなの、やってられない。何回でも言ってやる、やってられない!


「スー、そこにいる?」

「なんでしょうか」

「ずっと、ここにいるの?」

「もちろんでございます」


 それは困る。逃げる算段をしたいのに、見張るように付き添われては困るから。わたしはスーリに向かって、にっこり最強の笑顔をつくった。


「ねぇ、スー。あなたの身体も参ってしまうわ。明後日の儀式までは、のんびりしていればいいでしょ。わたしはもう大丈夫だから」


 必殺、最高の笑みでスーを見つめると、彼女もにっこりしている。暖かな笑顔で、ほっこりしてくる。

 あれ?

 なんか、負けた気がするのは気のせいだろうか?


「ほら、見て。手も問題ないわ」


 そう言って、両手の包帯を取った。

 傷は残っているが、こんなものかすり傷だ。貧民窟の仲間なら、傷とも思わないだろう。


 両手をパッと開いて、もう一度、にっこりほほ笑んだ。


「ほら、もう大丈夫だから」

「まあまあまあ、こんなに痛々しくて。お気の毒なシャオロンさま。わたくしたちのために、こんなになるまで頑張ってくださったんですね。どうぞ、お休みくださいませ。わたくしが見守っておりますから」


 くぅ〜〜、この真面目女、まったく意味が通じていない。


「スー。わたしね……、貧民窟では、いつもひとりで寝ていたの。だから、ひとりじゃないと眠れなくて」

「まあまあまあ、シャオロンさま。お気の毒に、それはお寂しい生活をなされていたんですね。いつもおひとりなんて、なんて孤独な人生だったのでしょう。これからは、このスーが常にお側でお守りいたします!」


 豊かな胸を手でドンって叩いて宣言された。やっぱり話が噛み合わない。

 最初から、そうだ。同じ会話をしていても、焦点がまったくズレているって、スーリは気づいていないのだろうか。それとも……。


 いや、ちがう。まさか、そんなことはない。

 がんばれ、わたし。もう、上品にとり繕っている場合じゃない。


「あのね、ひとりで寝たいの」

「ご遠慮なさらずに。はじめての場所は恐ろしいものでしょうから。わたくしもそうなんですよ。シャオロンさまはお優しい。こちらにまで気遣っていただいて、その優しさに、スーリ、感激いたします」


 ちがう〜〜〜!

 間接的にも直接的に言っても、ぜんぜん通じない。


「お手洗いに行きたい」

「すぐにたらいをご用意いたします」

「いや、あのね、小便だから」

「置便のご用意もいたします」


 スーはいそいそと片隅においてあった四角い箱を持ってきた。


「こ、これにしろと」

「さようにございます。お手伝い申し上げます」

「いや、いい!」


 手強い。スーを部屋から追い出す手がない。

 いっそ首に手刀をくらわしてやろうか。


 殺気をこめて睨むと、なぜか、スーリの身体が反応している。

 え?

 まさか、この女、わざとやってる?


「スーリ、あ、あんた、まさか武芸の有段者?」

「ふつつか者にございますが、多少は心得が」


 彼女の身体から気合いの入ったオーラが発せられている。額にうっすら汗が浮ぶ。

 

 こ、こいつは、かなりの凄腕。か、勝てないかも。


「眠るわ」

「それが、よろしゅうございます。シャオロンさま」






 翌朝、目覚めるとウーシャンがいた。

 御簾の向こう側、寝台前に椅子を出し、上質な白い装束を身につけ腰を下ろしている。


 御簾越しだけど、ずっと寝相を観察していたのか。上布団をはぎ、大の字に開いていた足を閉じた。


 丸窓の障子から、朱鷺色ときいろに輝く朝陽が、影と光のくっきりしたコントラストを描いている。

 建具の金属ひとつひとつを輝かせ、それでも、足りないのか、彼の鼻筋の通った完璧な横顔を浮かび上がらせている。


 こんな見惚れるような男に、寝顔や寝相を見られるって、まちがいなく嫌がらせ。


「お目覚めですか」


 憂いがこもった声が発せられる。

 その隣では、スーリが献身的に朝の御膳を用意しており、茶を入れるジョボジョボという音が聞こえた。


「ほんと暇なの。朝から、ここに訪ねてくるほど」

「あなたを心配しています」

「嘘っぽい」

「ともかく、第一段階を頑張ってくださった、その、お礼に来ました。それに、あなたの知らない事実をお教えすべきだとスーリの忠言もありましたから」


 スーリが絶妙なタイミングで、入れたてのお茶を手渡してくれた。無意識に受け取って、茶を口に含んだけど、ウーシャンの言葉が気になる。


 まったく心配してないようなウーシャンの声。いや、ここの注目点は、そっちじゃない。


「各国の参加者は、それぞれの国で、この儀式のために育てられた強者たちです」

「そのようね。わたしを選ぶなんていう間違いを犯したのは、この国だけ」

「いいえ。あなたが最適解だったのです。ご説明します。まず、ムーチェンですが、近衛隊長であると同時に、フー王国の群主ぐんしゅ(王族の血を引く女性)です。現王の姪のひとりにあたります。それから、付け加えれば、北栄ベイロン王国のメイリーンは、かの国の王弟の庶子(正妻以外の妻に生まれた娘)です。ふたりともそれぞれ王家の血を引いています」


 なに、それ。参加者はみな王族の血縁ってこと。


「それじゃあ、わたしなんて……」


 嫌な予感がした。

 カンカンカンカンって、頭のなかで警報がなっている。

 ねっとりとした汗が背筋を流れていく。こういう汗が流れる時って、いい事はないんだ。


「あなたも群主のひとりです。この儀式に参加するには厳密な規定があるのです。年齢的に合致する白龍の血をひく者です。白龍の血を引く系統の者が、王族としての責務を果たす。それが、この儀式なのです」


 手がすべって、ガチャンという音とともに、その時、飲んでいた茶の椀を落とした。

 スーリが、手際よくこぼれた茶を拭く。


「あ、あ、あ……、あのね、冗談よね、悪い冗談。わたしは、貧民窟育ちのシャオロンよ」

「そうです。そして、儀式の入り口を通り抜けることができました。王族の血縁でなければ、あの障壁バリアを通り抜けることはできません」

「バカにしてる。だって、だって」

「申し訳ないとは思います。あなたは何もご存知ない。最初から説明すべきだったかもしれません……、が、ヘンスに黙っていろと言われておりました」


 いやだ、いやだ。ここで、ヘンスの真実を暴露したいってわけか。そんなこと聞きたくもない。

 ずっと、幼い頃から真実なんて聞きたくなかった。


 ああ、知っていたとも、彼が貧民窟出身じゃないってことは、うすうす感じていた。

 何かを必死に耐え、ときどき、わたしを見る目が悲しげだったことも。


 なにも言うな、ウーシャン。

 聞きたくないんだ、そんなこと。

 なのに、わたしは茶で濡れた膝を、それが、一番の重要なことのように、眺めているだけ。

 ただ、手が震えている。



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