第一儀式が終わって 1




 ほこらから転がり出たあと、ウーシャンに抱きとめられたまでは、なんとなく覚えている。

 むりやり水袋を口に突っ込まれ、ガブガブと喉をうるおしたことも、なんとなく記憶に残っている。


 が、そこまでが限界で……、あとは全く覚えていない。さすが、わたしの記憶力。嫌なことは、すぐ忘れるという、ヘンスに言わせれば、水みたいな性格だ。


『どういう意味よ』

『貴重な財源ってこったよ』

『わかんないし』


 あれから、どれくらいの時間が過ぎたのか。まぶたを上げると、白龍の画が描かれた凝った造りの天井が見えた。

 紫菖蒲の間に戻り、寝台に横になっているのだろう。


 半身を起こすと、御簾みすの向こう側から声をかけられた。穏やかな悪意のない声、これはスーリアン。

 ああ、よかった。

 身体の節々が痛む上に、ぼうっとしていたが、それでも心底ほっとした。

 ウーシャンがいたら、どうしたらいいのか、態度に困ってしまうから?

 困るって……。

 なぜ? 冷静に考えれば困る問題じゃない。


「お目覚めですか。シャオロンさま」

「スー。いたの」

「心配で、心配で、本当に肝がつぶれましたよ」


 わたしは気を失ったままウーシャンに運ばれ、すぐに医官が呼ばれたという。

 ウーシャンの腕に抱かれたと聞いて、ドキッとした。

 あの冷血男が、そんなことをするのが意外だ。


「ウーシャンさまが、あれほど取り乱されたお姿を、はじめて拝見しました。本当にご心配なさって」

「まったく、スーは大袈裟よ」

「いえいえ、逆でございます。もうちょっと大袈裟でもよいくらいで、でも、お気がつかれて何よりにございます。医官からも、お休みになれば、すぐに良くなりますと。薬湯を煎じてありますから」


 医官なんて、貧民窟では詐欺師と同義語でインチキばかりだ。患者の治療は形ばかりのボッタクリが相場だ。


 この王都では、驚いたことに医官は医官の働きをするらしい。

 今は、でも、そんなこと構っちゃおれない。

 なにもかもが気怠いんだ。煎じ薬を飲み、わたしは再び気絶するように眠ってしまった。


 それから、どれくらい眠っていただろうか。柔らかく心地よい布団を感じながら目覚めると、スーリアンの穏やかな声がする。ずっと横についていてくれたんだろう。

 もし、わたしに母親がいれば、こんなふうにしてくれたのかもしれない。それは感動的で、でも、それに感動したくない思いも、わずかにあった。


「お目覚めですか? まずは、お水をお飲みください。お腹に優しいお粥もご用意しております」


 上体を起こすと、スーリアンが瓶に入った水を口もとに寄せてくれる。その時、両手が使えないと気づいた。白い包帯でぐるぐる巻きにされている。


 水を飲み干すと、さじで美味しそうな粥を口もとまで運んでくれる。


「無事に部屋にもどったのね……」

「さようにございます。お部屋にございます」

「この包帯、医官が手当してくれたの。それにしては大袈裟ね」

「それは、あの、ウーシャンさまがなさいました」


 ウーシャンは冷酷な顔しかみせない男だ。罪悪感もなく、死と隣り合わせの祠へ平然と追いやる男が手当てしたって?


 あの誇り高い男が……。


 ありえないことだが、ウーシャンとヘンスの姿が重なってくる。

 貧民窟に住む無頼者のヘンスと、高貴な皇子ウーシャンが似ているはずがないのに。


「ところで、儀式の結果は?」

「起きたようですね」


 いつからそこにいたのだろう。ウーシャンが御簾をかかげ中に入ってきた。いつものように表情のない顔をしている。


「起きたよ」

「なんとか無事に出られて、ほっとしました」


 いつもの冷たい顔ではなく、どこか優しげだ。さすがに後ろめたいんだろう。


「儀式の結果を聞きたいですか?」

「わたし、最下位だったでしょ。だから、言ったよね。役に立たないから別の者にしたほうがいいって、忠告したからね」

「いえ、二位です。よくがんばりました」


 二位? それは悪くもなく良くもなく、中途半端な成績だ。


「誰が一位なの?」

北栄ベイロン王国のメイリーンです。入り口の岩戸が閉じて、半刻もかからずに出てきました。おそらく、最初からほこらの謎を解いたのでしょう。真ん中の入り口から入れば、たぶん、あるいは、メイリーンの岩戸を破壊する音が聞こえるのではないかと僅かに希望を持ちましたが。入ってすぐに、通路を走ったのですね」

「嫌味?」

「そうです」


 ウーシャンは楽しそうな笑顔を見せた。

 それが、スーリアンを驚かせたようだ。後に、彼女から第三皇子が、心からの笑顔を浮かべるのを、はじめて見たと聞かされた。


「それで、フー王国のムーチェンは?」

「あなたが出てきたので、儀式は終了しました。ムーチェンの入った右の岩戸が開きました。彼女は、しばらくして、祠から出てきましたが、かなり憔悴していたと聞きます」

「そう……。じゃあ、あと二回を一位になれば、金貨五十両ってわけね」

「そういうことですが、金貨五十両が安くはないと思ってください。儀式は回数を重ねるごとに厳しくなります。おそらくですが、次は戦闘になるでしょう。得意な武器を丁寧に選んでください」


 こいつ、いったい何を言ってんの。品のいい言葉をつかっての爆弾宣言だ。第一回がもっとも楽って、じゃあ、次は死ぬわ。


 ないないないないない。

 金貨五十両より命だ。やっぱり逃げるしか道はない。


「忠告はそれで終わり?」

「そうですね。何か足りないものがあれば、なんなりとスーリアンに申し付けてください」

「なんでも?」

「そうです」

「じゃ、わたしの代替えの者をお願い」

「今日は、ゆっくりお休みください。二日後に、また対戦になります。それから、一応の注意ですが、この儀式が終わるまで、関係者は皇宮からでることを禁止されています」


 なんで、そういう大事なことを、後出しするんだ。


 最初の儀式があれでは、この先が思いやられるんだ。逃げろという警鐘が、ガンガン鳴っている。



(つづく)

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