生き残りゲーム:森のサバイバル対決 7
見てはいけなかった。
見るべきじゃなかった。
見なかったことにしたかった。
ムーチェンの巨体が、なんてこった。大蜘蛛の糸に捕獲されている。
メイリーンは先ほどよりさらに青褪めた顔をして、「ヒイッ!」と悲鳴をあげた。
この世界で生まれ育った者にも、それぞれの過酷な生き方ってあるんだろうけど、しかし、貧民窟に比べりゃ、カラスのくしゃみ程度でしかない、なんて思っている。
メイリーン、大蜘蛛が怖くて悲鳴をあげるなんて。なんなら、悲鳴を上げる余裕があるってことだ。
わたしとメイリーンは、ムーチェンの悲惨な姿に接して、あきらかに異なる反応をした。
人の二倍はありそうな図体のでかい大蜘蛛。
ムーチェンは、目だけを残して身体全体が白く巻かれている。声がでないのは、糸が口を塞いでいるからだ。
メリメリとか、ムシムシという音は、彼女がもがき苦しんで、身体を動かそうとしている音だった。
ほぼ全身が白い糸に絡め取られているので、まず、抜け出せないだろう。
だ〜から、言ったこっちゃない。
自分の力を過信して、抜け駆けしようとした、これが結果だ。
見なかった。
うん、わたしは見なかった。
ゆっくりと後ずさり、そっと、森を抜けようってした。無常にも、その首根っこをつかまれてしまった。
「助けなければ」
「メイリーン姐さん。あの、人が良過ぎて、びっくりです」
「それは、逆に驚きます。あなたの方が、そう言うのかと。でも、あのままでは殺されてしまいます」
わたしは弓とナイフに目を落とし、それから、メイリーンの鞭と剣を見た。
とても勝ち目はない。
わたしたちで巨大蜘蛛に立ち向かっても、結果として、あの糸の罠に三人で繋がるしかないのだ。
それに、毒でも吐かれたら(いや、きっと吐くから)、それこそ絶体絶命だ。ヘンスの教えは単純だった。勝てない相手からは逃げろ。
「勝てないって思う」
「勝てなくても、あのような状況においておくなどできません」
まったく……。
どうしよ、この姐さん。
メイリーンもムーチェンも、わたしに共闘を持ちかけるだけの狡猾さがあったけど、結局は甘い。
捨てるべきときに捨てられない。
人を助けるなんて言えるほど、この人たちは甘い生活が許されたのだ。
こんなやつら、貧民窟なら裸に剥かれて、金持ちの通路飾りになるのがオチだ。
もう一度、向こう側をうかがった。大蜘蛛は嬉々として最後の仕上げにかかっている。
もうすぐ完璧に捉えられる。ムーチェンの目が絶望を宿して左右にキョトキョト動いた。
「わが王家は騎士道を尊びます。たとえ、儀式での勝負とはいえ、あのような犠牲者を捨て置くことはできません」
そんな生半可な騎士道、いっそドブ川に捨ててやりたい。わたしをじっとりした細目で見つめないでほしい。
これ、期待してるよね。
自分では気づかずに、わたしに答えを望んでいるよね。
「逃げる」
「それは、できません。王族としての誇りが許しません」
「いや、だから、その誇りのために逃げる」
「わかりました。あなたはお逃げなさい。わたしの予想ですが、この先に試練はないと思います。あとは早い者勝ちです。最初に申し上げたように、あなたに今回の勝ちを譲ります」
わたしは大きくため息をつくしかなかった。
あの大蜘蛛と真っ向勝負をして勝ち目はない。であれば、逃げて勝つ方法しかないだろう。
ああ、バカバカ。
ヘンスがいたら、『このバカ』ってデコを叩かれるのがオチだ。
「いや、だから、逃げるのがムーチェンを助ける手段よ。今朝方、去った崖まで逃げるしか助ける方法はないと思う……」
メイリーンに、わたしの策略を伝えた。
「それは、単純に考えても成功率は薄いでしょう」
「他に成功する、いい方法があるなら教えてほしい。わずかでも全員を救う方法があれば」
ほんと、この女、要求が多い。結婚したら面倒な妻になりそう。
「ない……、でしょうね。それに考えている時間は少なそうです。わかりました。やりましょう」
「行くわよ」
「これは決死の覚悟のいる戦いになります。ですから、少しお時間をください」
「いいよ、時間が大いにあると思う。蜘蛛の習性としたら、すぐに食料にしないだろうし。いっそ、待ち続けたい」
「恐れ入ります。数分で終わります」
メイリーンは険しい顔つきをして、その場にひざまずいた。
つぎに、天に向かって高く両手を上げる。下唇をいっぱいに下げ、『あう〜ん』とでも叫んでいるかのように開いた。
「な、なにを、なにを始めたの」
「わが国の騎士道における『戦士の祈り』です。困難な戦いの前に行う白龍神への祈りとでも申しましょうか。声を出せませんので、そこはご容赦くださいませ」
ご容赦って、そんなもの必要ないから。
止める術もなく、わたしは木に囲まれた場所で、メイリーンのいう『戦士の祈り』とやらを見るはめになった。
彼女は両手高くあげ、なにやら無音で叫び。
そして、両手を胸の前に下げると、膝を曲げた。太ももを大地に、きっちり並行になるまで下げ、威嚇するように大口を開ける。
さしずめ、これは戦場で敵を脅すために叫ぶ雄叫びなんだろう。
蜘蛛に向かって、これでもかってほど大きく口を開いた。
ここは、たぶん「ゔおおおおおー!」って叫んでいる。
余りに大きく口を開くので、目が糸になり、頬や鼻、額と、顔中にシワが寄って、わたしは顎が外れるんじゃないかと心配した。
冷静で賢く、つねに知的な雰囲気の彼女が野獣になってる。
他人なんて、結局、永遠に謎だ。理解できないもんだ。
先ほど、メイリーンが妻になったらとか、結婚するとか想像したけど、もう無理。この女が誰かと恋愛するなんて、想像できない。
いや、同じような男と、いっしょに膝を曲げて、威嚇しあうんだろうか。
この祈りには特殊な型があった。
メイリーンは音を立てずに膝を叩き、両手を左右に力強く振りきり、一連の舞踏のような所作をしてから、最後に胸の前に手を交差して一礼した。
「失礼いたしました。では、はじめましょう」
そんな冷静な声で言われても、どうしたらいい。すっかり毒気を抜かれてしまった。
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