砂漠の街に吹き荒れる砂嵐 2
わたしを育てた男はヘンスという。巷では『三本
ヘンスは顔も身体も傷だらけの上、全身を黒装束で包んだ厄介な男だった。
背が高いため、小柄な者が多い貧民窟では目立つ。
しかし、彼を、もっとも特徴づけるのは身長ではなく、その歩き方だ。疲れたように背中を曲げ、右肩を不自然に下げた姿は、世を捨てたような、いいようのない孤独を発散させている……。
普段は生きた
貧民窟生まれの者は武術など習ったことがない。ケンカもみな自己流で、力任せに棒を振り回すだけだが、ヘンスは違った。戦う姿に無駄な動きがなく、まるで舞踏のように洗練されていた。
わたしはヘンスから強制的に武術を教わった。
「俺の型をまねろ」と、鍛錬することを要求された。
「身体を支配するんだ。筋肉の動きに無駄が多すぎる。もっと鍛えろ」
ヘンスの訓練は過酷だ。
吐いて気を失うまで続くこともある。
「もう限界だ、ヘンス」
「そんなもんは限界じゃない」
傲慢不遜で勝手な男だと思う。
でも、その背中を見ていると、ふしぎと全てを許したくなる。冷酷な態度も、乱暴な物言いも、すべてひっくるめて許したくなる。
実は、ここいらの女たちはみなヘンスに惚れている。唇の端を曲げて笑うと、ぞっとするほどの魅力を発散するってことを、本人は気づいていない。
優しさの欠片もない男なのに、憎めない。わたしのヘンスは、そういう男だ。
あの日、唇を傷つけ、血を軽く垂らして帰った日、ヘンスはさらに呆れた。しばらくして、嘆息するように言った。
「アホなやつだ。顔を傷つけりゃ、売られないとでも思ったか」
「ああ、いつも高く売るって言うじゃないか……。うう、むっちゃ痛い。……痛いよ、ヘンス」
普段のヘンスは他人に関心をもたないけど、この時はちがった。心配そうに額にシワを寄せ、目を細めた。
「つける薬がない愚か者ってのは、おまえのことだ。さあ、手をどけて、傷口を見せてみろ」
「いやだ」
「化膿したら、夜中に泣くぞ」
その言葉に、なぜか心臓が痛くなった。自分のしでかしたことに、傷よりも胸が痛い。
「ヘンス。これで……、わたしを売ろうなんて、……思わないだろ」
「このバカが。おまえを育てて、ちょっとばかりいい思いをしても、バチが当たらんだろうが。まったく悲しくなるぜ」
「やっと……、本音を言ったか」
「痛むか」
「痛い! むちゃくちゃ痛い!」
「さあ、いつまでも隠してないで、見せてみろ。ま、根性なしだから、たいしたことはないだろうが」
わたしは口から、そっと手を外した。
「な、なんだ、これは」
「これはって、唇を裂いた!」
「これで裂いたつもりだったのか。呆れるというか、おまえと言う奴は。やるならもっと徹底的にやれ。軽く唇を傷つけただけじゃないか」
すでに手についた血が干からびていた。
「大袈裟な奴だ」というヘンスの声はめずらしく優しかった。
わたしの容姿は高く売れるからだと思う。
王都から来た官吏とか、一定数の金持ちだ。彼らは文字も読めるし、学もあって、美しい女たちを奴隷として飼っていた。
以前、ある屋敷にヘンスと訪問した。
悪趣味にも、その家の通路には、上半身を裸に剥かれた女たちが、両手を頭上に縛られた恥ずかしい姿で並んでいた。
あの女たちのひとりにはなりたくないと思った。
「なあ、ヘンス。わたしを売るな」
「ああ、売らないさ」
ゴミ溜めの山から食べものを漁るだけの日々でも。それが極貧生活などとは知らなければ、普通だと思うだろう。
永遠に陽はささず、臭気に鼻をおおうばかりの世界だが。この世界に生きることを願った。ただ、この世界の普通でありたいと思った。
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