王朝流離譚 〜タフに生き抜く主人公は薄っぺらな愛情なんて欲しくない〜

雨 杜和(あめ とわ)

第1章 貧民窟と王都

砂漠の街に吹き荒れる砂嵐 1




 ただれた腐臭が充満する貧民窟ひんみんくつ、さらに南。


 どんよりとした空は砂塵さじんにおおわれ、太陽を遮る岩肌によって、薄暗いなかに放置されている。


 そんな場所で起きることは、たいがいが想像できる。

 食べものを奪いあい、少ない水に群がる。生き延びるためだけに足掻あがく者たち。


 崩れかけの掘立て小屋、水の涸れかけた井戸、死んだ動物、死んだ虫、死んだ者、枯れた木、どれひとつとして、まともに生きているものはない絶望の地に。


 砂、砂、砂……。


 顔をベールで塞ぐくらいでは砂はつきまとい、噛めば口内でザラザラと不快な音を立てる。


 砂漠化した土地は、つねに砂塵が吹き荒れ止むことがない。


 幸福などという、小洒落た思考から切り離された乾いた地に、希望を持つ者。


 その希望は呪いでしかなかった。


『呪い』は、百二十年という時を『希望』という名で語り継いだ。

 誰のために、何のために。

 生きる者のためという者もいる。




*     *     *




 わたしの名前はシャオロン。


 巨雲じゅゆん皇国の貧民窟ひんみんくつに住む十八歳だ。

 幼いころにドブ川に捨てられ、ヘンスに拾われたらしいが、その記憶はまったくない。たぶん、記憶するには、あまりにむごい経験で無意識に記憶を消したのだろう。


 まあ、そんなこんなの不幸自慢、この世界には腐るほど落ちている。同情してくれなんて言ったら、嘲笑されるのがオチだ。

 ヘンスは言っていた。


「なぜ拾ったかって? おまえが俺の足にしがみついて離さなかったからだ。覚えちゃいねえのか。それに、よく見ると、可愛い顔をしてたからな。ある程度の年になったら、高く売れると思ったのさ」


 美しい顔なんて、この貧民窟では、ほんと呪いでしかない。

 だから、やるしかない。

 小刻みに震える手でナイフを持ち、口に突っ込む。ナイフの先が八重歯やえばにあたりカツンと嫌な音を立てた。


「やれ! 超弩級の力でもって、やりきれ! できる、わたしなら、できる! いや、できないかも……」


「さあ、シャオロン! ヤラれるだけの女になりたくないだろ。吐くタイミングだから、恐れるなよ!」


 八重歯にあたったナイフの刃先が、カタカタ鳴っている。

 いっきに唇から頬を裂けば、醜い顔になる。そのためにナイフを持ったが、実際となると勇気がでない。


 愚かだった……。ヘンスが言った忠告が骨身に染みていないから、こんなことになったんだ。


『顔を隠しとけ。けっして他人に見せるんじゃない』


 一年前くらい前か、ボスのヘンスがそう命じた。愚かなわたしは、その忠告を生半可に聞いていた。


 貧民窟ひんみんくつでは美しい顔など悪夢でしかないとわかっていたけど。


 ちょっとだけ言い訳をすれば、あの日は異常に暑かったのだ。


 乾いた空気が熱気を含み、汗がダラダラ流れるが、すぐに乾く。これは砂漠特有の現象だけど、乾いた肌に塩がふきベールでおおった顔がただれて、乾燥とかゆみに悩まされる。


 つい人目の多い市場で顔のベールを外してしまった。

 

 運悪くつむじ風が吹き、マントが跳ねあがって全身を衆目にさらした上、なぜか顔見知りがいて、感嘆するように、わたしの名を呼んだ。

 リズムよくポン、ポンと三段跳びで、男たちの欲望を危険水域までそそったのだ。


 知り合いのチンピラは、ご大層にもわたしを名指して叫んだ。


「ま、まさか、シャオロンかぁ! おまえ、そ、その顔……、ヘンスのとこんのシャオロンだよな」

 

 無駄に色っぽい身体付き、あどけなさの残る容貌は、男の下半身を強くうずかせるようだ。


「お、おまえ、そんな顔だったのか。女神さまかよ」

「シャオロンやぁ。すっかり大人の女じゃねぇか。俺とやらねぇかぁ。優しくするぜ」


 チンピラたちの愛ほど安いもんはない。その辺で売られる二束三文の粉饅頭よりも安い。


「おまえたち、わたしに指一本でも触れてみろ! 殺してやる」

「つれねえなぁ」


 上から下まで舐めまわすようにまといつく目、目、目。自分の目立つ容姿が危険しかないことを、市場のど真ん中で悟ることになった。


 ……今更、後悔しても遅いんだけど。


 そのまま、振り切るように市場から逃げ帰ったが、このままではチンピラだけでなく上の奴らに目をつけられる。そんなことになった日には、女奴隷として大金で買われちまう。


 ボスのヘンスは気前よくわたしを売るにちがいない。


 わたしの選択肢は二つだ。

 その運命を受け入れるか、あるいは、抵抗するかだ。


 そんなもの選択するまでもない。


 頬を切り裂いて醜く変貌へんぼうする。

 そう、それしかないと結論した。


 唇の端にナイフの刃が当たっている。これを、真横に引けば、おどろおどろしい顔になるだろう。


 さあ、さあ、さあ!


 目を閉じ、腹をふくらませて空気を吸い込む。

 ブハッと、息を吐くと同時に右から左へと唇の端を切り裂いた。いや、裂こうとしたんだけど。


 ヂクッて皮膚を破る不吉な音がして。


「ギャアアア!」


 喉からカエルが発するような酷い声がしぼりでた。唇を軽く切ったナイフを放り投げた。


 血がドクっと流れ落ち、焼けるような鋭い痛みに気を失いそうだ。


「クソッ、痛えぇ〜〜、わたしはバカか! アホだ! きっと自覚のないアホだぁ……、い、痛すぎる!」



 幸せになろうなんて贅沢は考えていない。冷酷なヘンスとふたり、なんとか生き延びる。


 なあ、白龍神さま。

 あんたが、そこにいるんなら、こんなことぐらい頼んでもいいだろ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る