王朝流離譚 〜タフに生き抜く主人公は薄っぺらな愛情なんて欲しくない〜
雨 杜和(あめ とわ)
第1章 貧民窟と王都
砂漠の街に吹き荒れる砂嵐 1
どんよりとした空は
そんな場所で起きることは、たいがいが想像できる。
食べものを奪いあい、少ない水に群がる。生き延びるためだけに
崩れかけの掘立て小屋、水の涸れかけた井戸、死んだ動物、死んだ虫、死んだ者、枯れた木、どれひとつとして、まともに生きているものはない絶望の地に。
砂、砂、砂……。
顔をベールで塞ぐくらいでは砂はつき
砂漠化した土地は、つねに砂塵が吹き荒れ止むことがない。
幸福などという、小洒落た思考から切り離された乾いた地に、希望を持つ者。
その希望は呪いでしかなかった。
『呪い』は、百二十年という時を『希望』という名で語り継いだ。
誰のために、何のために。
生きる者のためという者もいる。
* * *
わたしの名前はシャオロン。
幼いころにドブ川に捨てられ、ヘンスに拾われたらしいが、その記憶はまったくない。たぶん、記憶するには、あまりに
まあ、そんなこんなの不幸自慢、この世界には腐るほど落ちている。同情してくれなんて言ったら、嘲笑されるのがオチだ。
ヘンスは言っていた。
「なぜ拾ったかって? おまえが俺の足にしがみついて離さなかったからだ。覚えちゃいねえのか。それに、よく見ると、可愛い顔をしてたからな。ある程度の年になったら、高く売れると思ったのさ」
美しい顔なんて、この貧民窟では、ほんと呪いでしかない。
だから、やるしかない。
小刻みに震える手でナイフを持ち、口に突っ込む。ナイフの先が
「やれ! 超弩級の力でもって、やりきれ! できる、わたしなら、できる! いや、できないかも……」
「さあ、シャオロン! ヤラれるだけの女になりたくないだろ。吐くタイミングだから、恐れるなよ!」
八重歯にあたったナイフの刃先が、カタカタ鳴っている。
いっきに唇から頬を裂けば、醜い顔になる。そのためにナイフを持ったが、実際となると勇気がでない。
愚かだった……。ヘンスが言った忠告が骨身に染みていないから、こんなことになったんだ。
『顔を隠しとけ。けっして他人に見せるんじゃない』
一年前くらい前か、ボスのヘンスがそう命じた。愚かなわたしは、その忠告を生半可に聞いていた。
ちょっとだけ言い訳をすれば、あの日は異常に暑かったのだ。
乾いた空気が熱気を含み、汗がダラダラ流れるが、すぐに乾く。これは砂漠特有の現象だけど、乾いた肌に塩がふきベールでおおった顔が
つい人目の多い市場で顔のベールを外してしまった。
運悪くつむじ風が吹き、マントが跳ねあがって全身を衆目にさらした上、なぜか顔見知りがいて、感嘆するように、わたしの名を呼んだ。
リズムよくポン、ポンと三段跳びで、男たちの欲望を危険水域まで
知り合いのチンピラは、ご大層にもわたしを名指して叫んだ。
「ま、まさか、シャオロンかぁ! おまえ、そ、その顔……、ヘンスのとこんのシャオロンだよな」
無駄に色っぽい身体付き、あどけなさの残る容貌は、男の下半身を強く
「お、おまえ、そんな顔だったのか。女神さまかよ」
「シャオロンやぁ。すっかり大人の女じゃねぇか。俺とやらねぇかぁ。優しくするぜ」
チンピラたちの愛ほど安いもんはない。その辺で売られる二束三文の粉饅頭よりも安い。
「おまえたち、わたしに指一本でも触れてみろ! 殺してやる」
「つれねえなぁ」
上から下まで舐めまわすように
……今更、後悔しても遅いんだけど。
そのまま、振り切るように市場から逃げ帰ったが、このままではチンピラだけでなく上の奴らに目をつけられる。そんなことになった日には、女奴隷として大金で買われちまう。
ボスのヘンスは気前よくわたしを売るにちがいない。
わたしの選択肢は二つだ。
その運命を受け入れるか、あるいは、抵抗するかだ。
そんなもの選択するまでもない。
頬を切り裂いて醜く
そう、それしかないと結論した。
唇の端にナイフの刃が当たっている。これを、真横に引けば、おどろおどろしい顔になるだろう。
さあ、さあ、さあ!
目を閉じ、腹をふくらませて空気を吸い込む。
ブハッと、息を吐くと同時に右から左へと唇の端を切り裂いた。いや、裂こうとしたんだけど。
ヂクッて皮膚を破る不吉な音がして。
「ギャアアア!」
喉からカエルが発するような酷い声がしぼりでた。唇を軽く切ったナイフを放り投げた。
血がドクっと流れ落ち、焼けるような鋭い痛みに気を失いそうだ。
「クソッ、痛えぇ〜〜、わたしはバカか! アホだ! きっと自覚のないアホだぁ……、い、痛すぎる!」
幸せになろうなんて贅沢は考えていない。冷酷なヘンスとふたり、なんとか生き延びる。
なあ、白龍神さま。
あんたが、そこにいるんなら、こんなことぐらい頼んでもいいだろ。
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