最終話



 わたしの上に、おおいかぶさったウーシャン。

 彼の切れ長の美しい目がすぐ近く……、心臓が飛び出しそうだ。静まれ、わたしの心臓。


 ウーシャンは呆然とした表情を浮かべ、それから、ハッと正気に戻ったのか、いつもの無表情な顔で起きあがり、几帳面に衣装を整えた。


 髪のあいだから見える耳が赤くなっている。


 感情を隠すことに長けている彼でも、身体の自然な反応は隠せない。


 わたしもだ。怒りが収まらないんだ。でも、これは純粋な怒りなんだろうか……。


「もうお休みください。慣れないことだったでしょう。明日からの儀式は楽なものではありませんから」

「うん、わかった」と、軽くうけあった。


 お互い、何もなかったかのように自然にふるまい、それゆえに緊張した。声がかすれる。


「ウーシャン!」

「なんでしょう」と聞く彼の声は微妙に性急だった。

「……なんでもない」

「お休みなさい」

「……」




 その夜も、スーリアンが世話をしてくれた。彼女は穏やかで温かい。それは、ウーシャンが巧妙に張り巡ぐらした罠のひとつかもと勘繰ってしまうほどだ。

 幼い頃から、ヘンスによって、すべてを疑えと教育されてきた。わたしは底なしの善意をまず疑う。


「まったく、腹が立つわ、スー」

「どうなさいましたか」

「だって、スー。なぜ、わたしが知りもしない国の代表になって戦うわけ。それで勝てなんて、あの皇子、勝手すぎる! あなたの尊敬するウーシャンって、人を怒らせる才能があるわ」


 言い出すとキリなく愚痴が続いた。なぜ、これほど怒りを感じるのか。


「ウーシャンさまは、そのような方ではないのですが」

「はい、はい。綺麗な顔をしてるから、評価も二割増しってやつね。でも、ああいう顔のいい男って、本当は最低なのよ」

「どうしてですか?」

「だって、最低だからよ。きっと、王国の女たちがみな列をなして彼の前にひざまずいているんでしょ。かっこいい上に権力まで持つ完璧男だけど、実は相当に嫌な奴とは、近くで見てないから知らないでしょ」

「わたしはお近くで接しておりますけど、知りませんでした」

「今だって、王国の人間じゃなければって、そういう思惑でわたしを選んだわけね。前の人、自殺したんだ。もう、ぜったい途中で、とんずらするから。金目のもの盗んで、あっ……」


 はっとして口を押さえた。

 あまりに興奮して、つい本音を漏らしてしまった。

 バカか、わたしは。


 顔を上げると、スーリアンが悲しげな表情を浮かべているので慌てた。


「ほとんどの者は、わたくしも含めて儀式について詳しくありません。その内容は極秘中の極秘、秘事なのです。儀式に出るには、資格もあるようですが、それを知る者は王族の方々のみ。代々、口伝によって語り継がれ、門外不出にございます。シャオロンさまには大変なお役目を押し付けて申し訳なく存じます」

「わたしは孤児よ。そんな大層な資格なんてあるわけないわ」

「ウーシャンさまが選ばれたのです。あの方は常に考え抜いておられます。シャオロンさまがお考えのような、そのような方ではございません」

「そのような方よ」


 いったい、どれだけ目が眩むと、あの勝手男を崇拝できるのだろう。

 怒りに任せて、その場で足踏みすると、スーリアンが困ったように眉を下げた。彼女を悲しませるつもりも、困らせるつもりもなかったので、罪悪感を覚えた。


「ウーシャンさまが、あの地位におつきになったのは、ひたすらに耐え忍んだからでございます。それはもう、お近くで仕えるわたくし共から拝見しても、お気の毒で胸が張り裂けそうなほどに」

「なぜなの、第一と第二の皇子はサボっているの?」

「実は」と、スーリアンは言葉を濁して口ごもり、再び、顔を上げた。

「実は、第二皇子さまは自殺なされ、第一皇子さまは生まれながらにご病弱で、お身体が成長なさらず幼いまま……、ですから、すべてはウーシャンさまの肩にかかっております」


 スーリアンは、南煌ナンフォアン王国の内情について秘密を打ち明けるように話しはじめた。


 現王は儀式によって次男を失い、王妃が先立ち、失意のどん底で後宮に引きこもってしまった。その後、政務はすべてウーシャンと朝廷に丸投げした。


 それを良いことに、ウーシャンの叔父である王弟が太政大臣として、宮廷を牛耳っているという。


 叔父による暴政と、慢性的な水不足もあって民の不満は限界であり、いつ、現王に対する暴動が起きても不思議はない。その状態を、ぎりぎりのところで食い止めてるのが、実質の皇太子であるウーシャンらしい。


「第二皇子が自殺って。まさか、十二年前の儀式に出たのは、第二皇子だったの」

「さようにございます。これも太政大臣さまの策謀にございます。ウーシャンさまは、三つ年上の第二皇子さまとは仲の良いご兄弟でございました。あの年、儀式を失敗なされた第二皇子さまが消えたとき、ウーシャンさまは、まだ十五歳でした。以来、今日に至るまで、ただ政務に没頭なされ、ひたすらに耐えていらっしゃるのです」


 眉根を寄せたスーリアンは心配性の母親のような様子で続けた。その間も休みなく、衣装の準備をしている。


「あの日以来、わたくしはウーシャンさまが心からお笑いになったお顔を拝見したことがございません。お辛いでしょうに、弱みも見せられず、おひとりで耐えてらっしゃるのです」


 だから、あんな感情のない、お面のような顔ばかりしているのだ。


「だったら、スー。国の行く末を左右するような大変な代表に、なぜ適当にわたしを選んだのか。心底、理由がわからない」

「あの方に限って適当などということはございません。ですから、シャオロンさまを選ばれたのには、相応の理由が……、あの、これ、お伝えしてよろしいかどうか」

「この際、言って」

「ウーシャンさまは病に倒れられた王様の代理として、朝議にご出席なさいます。その折、王弟さまであるジャオンイー太政大臣さまがご推薦なされた方を廃し、反対を押し切って、あなたさまを選ばれたそうです」

「そ、そんな、バカな。なぜ」

「第二皇子さまがお亡くなりになる前に、ウーシャンさまにお伝えなさったそうです。あの儀式は国の者では太刀打ちできない。次の参加者は貧民窟で育った、たくましい女をと」


 呆れて、モノが言えない。


 


(第二章最終話:つづく)

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