皇都への道 2



「利害が異なる王国が競うことに、意味づけなど全く無意味です。個々の思惑など誰も顧みないのが国家という存在です……。集合体となった国家に個人は関係ありません」


 ウーシャンは醒めた声音で語る。

 その彫刻のような横顔は人間味に欠けている。


 そうか、こういうところがヘンスと似ていると思うんだ。


 絶望から目を背け、やり過ごすことで孤独に耐える者特有の気配。ひとりは貧民窟のやさぐれたボス、ひとりは王家の皇子で境遇はあまりに遠いのに、ふたりが似ていると思ってしまう。


 汚れのない高価な衣装を身につけ、傷ひとつないきめ細かい素肌を保ち、飢えることのない日々を暮らすウーシャン。


 甘えているじゃないか?


 いっぺん貧民窟ひんみんくつに住めばいいと思う。この世界で、いかにいい思いをして暮らしているか骨の髄から理解させてやりたい。

 

 でも、そこは矛盾しているけど……。

 わたしもこの贅沢な世界から逃げたいと願っているのだ。

 あの汚れ切った貧民窟に戻りたいと言えば、たぶん、誰もが不思議に思うだろう。


 薄汚れた街で、缶に薪をくべながら、ヘンスと言葉もなく過ごした掘ったて小屋。ときに戯言を言いながら、その実、大事なことなんて何も話していない。ただ、明日の食べ物をどうするかって以外、なんの悩みもない。


『腹が減った』と言うと、ヘンスはしゃがれ声で笑う。

『ああ、そうだな』と、そのまま薪の炎を見つめている。昨日も明日もない。あるのは、ただ、今という時間。


 南煌ナンフォアン王国での生活は──。


 朝はきまった刻限に起こされ、侍女たちによって衣服を整えられる。規律に従って顔を洗う。貧民窟で顔を洗うなんて、それ、いつのことってくらい稀だ。


 日々の食事は一汁三菜。

 栄養を考えた健康的な食事で、腹一杯なんて食べないのが決まりという。品格は食事する姿に現れるそうだ。


「腹八分目にございます。シャオロンさま。あ、そのように、がっつりと召し上がってはなりません。手づかみもなりません」


 まったく、規則、規則、規則で息がつまる。


 今もそうだ。身につけた贅をこらした衣装。


 真っ赤な下地に金の刺繍を施した襦裙じゅくんは、実用性にかける上に、帯がきつく苦しい。

 頭部には金細工でできた高価な冠。重すぎて首がひしゃげそうだ。それでも、背筋を伸ばしていなければならないって。


 儀式に必要だと言うが、なぜ、これほど華美に装うのだろう。

 これは新手の拷問か。


 この姿のまま逃げても、衣装や冠で金貨一両にはなりそうだと思った瞬間、「逃げるなどと考えないことです」と、ウーシャンに釘を刺された。


 同乗しているスーリアンが、そっと声をかけてくる。


「シャオロンさま。そのお美しさで、他国の競い相手を圧倒なさってくださいませ」

「美しさを競う儀式なのか」

「いえ、あの、そうではございませんが」


 三国から参加者が集結して行う儀式は、皇都の裏にある神の山が主戦場らしい。


 皇都の奥に佇む霊峰『瑞泉ずいせん山』。

 十二年に一度、山が開くらしいけど、具体的なイメージがまったくわかない。


「山が開くって、よくわからないけど、まさか、ドドドッて山が動くとか、冗談です」

「そのままの意味です。山が動いて割れ、その内部に入ることができます」

「ウーシャン。それ、危険な匂いしかしないけど」

「金貨五十両を甘くみないことです」


 しれっと、そこ、鼻の先に餌を掲げてない?


「他国も、貧民窟から選んだ娘たちなの?」

「十八歳の女性という条件は同じですが。フー王国から参加する方は、彼の地の王宮衛士隊長をしていた者です。名前をムーチェン。なまじの男など吹っ飛ばされるような逞しさです。北栄ベイロン王国の参加者はメイリーン。非常な切れ者と聞いております」

「じゃあ、下から来たの、わたしだけ? それはなぜなの」

南煌ナンフォアン王国は、過去、一度も勝ち残ったことがありません」

「負け続けってこと」

「そういうことです」


 ウーシャンの顔に苛立ちが見えた。この気位の高い男は負けることに我慢できないようだ。


「それは、また、ずいぶんと残念なことね。でも、わたしをなんて、いったい誰の案なの。なぜ、わざわざ貧民窟ひんみんくつから呼んだの」

「……ヘンスと名乗る者の推薦です」

「ボスのこと。ま、まさか、ボスと親しいなんて、ない、ない」

「あの方は……。いや、やめておきましょう」


 あきらかに口ごもった。


 ウーシャンとヘンスに共通項など、まったくないはずだ。

 ただ奇妙なことはある。貧民窟育ちなのに、ヘンスは字を書けた。書物の知識も豊富で、いろいろを教えてくれたし、弓や剣の扱いもうまい。


 貧民窟の人間は、武術の心得などまったくない。まして、文字など知らない。書物なんて読んだことも見たことさえないだろう。

 これまで、なぜ、それを疑問に思わなかったのだろうか。


「それで、何を三国で競うわけ」

「水です」

「水?」

「人が生きるに、もっとも必要なものは水です。山上に蓄えられた水の優先権を争うための儀式です」

「まさか、負けたら水なしって訳じゃないでしょ」

「皇国周囲にある堀の水は、ある水域に達するまで湧き出します。ほぼ十二年間、それぞれの国を同等に賄うには少し足りない。ですから、二分の一を儀式で勝利した国が手に入れ、残りの二分の一を三等分して、三分の二を二位の国、三分の一を最下位の国へと分配するのです。一度も勝ったことのない、わが国は、つねに水不足で、他国から水を買うしかない状況です」

「そんな大事なことを、まさか、わたしに」


 絶句した。



(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る