なんとか逃げなきゃ 2




 わたしの行動は、さらに事態を悪化させただけの悪手になった。ずるずるっと身体から力が抜け、崩れ落ちそうだ。


 罪人を引っ立てるように、わたしの腕をつかんで歩くウーシャン。その顔は、以前にも増して威厳と、強いて言うなら怒りに満ちている。


 どうしたらいい。


 いや、いっそ、いかに自分が役立たずか証明して逃げるってのも、アリかもしれない。


 アホの証明って、別の意味で難しいけど。この際、生き残るための手段だ。


 部屋に入ったのを見計らって、ウーシャンに振り返り、顔をくしゃくしゃにした。そのまま、絶妙なタイミングで床に膝をつき彼の美しい衣装にすがりついた。


 突然の行動に、ウーシャンは目を見開いている。こいつは、自分がコントロールすることには慣れていても、逆の経験はないはずだ。


 人を支配するにも、いろいろな方法がある。


 上から目線で命じるのも一つだが、逆に、誰も手がつけられない人間、いわば、下から目線の狂気行動も相手としては手こずる。

 貧民窟の下卑たチンピラがやる手。うん、それしかない。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 バカみたいに甘ったるい鼻にかかった声で、盛大に泣きながら謝罪した。


 ついでに泣き叫ぶを、これ以上はないってほど多量投入。この最終兵器、すれっからしの貧民窟ひんみんくつの男たちでさえ、案外と弱い。


 ここは王城だ。


 ウーシャンはみなが崇める神のような存在だから。

 そんな高貴な男が貧民窟ひんみんくつまで自ら降りてきて、わたしを確保したなんて矛盾は、ええいっ! この際、後で考えよう。


 まずは、泣き落とし作戦で、この逆境を乗り切る!


 第一段階、まずは序の口の『泣き落とし』


 流れ出る涙とともに鼻をすすりながら、美しい絹の衣装にすがりつき、潔癖ウーシャンのほうを汚してやりながら、とりあえず大泣きした。


 ウーシャンは驚いたのか、言葉がでないでいる。


 よし! いけるか!


 第二段階、必殺『アホ活』


「だって、だって、だって、廊下が長くて。ヒック、ヒック、だって、ウーシャン。ずっと運動してなくてね、ヒックとウェ〜〜ン、身体が鈍って、ヒック。あ、そうだ。ねぇ、ウーシャン、わたしと廊下で競争しない? 勝ったほうがお菓子を食べるとか」


 走りだそうとすると、首根っこを抑えられた。


「逃げようとしましたね」


 容赦ないウーシャンの声に思わず身が引き締まる。切れ長の目は美しいだけにより冷酷だ。

 こんな贅沢三昧の生活しているくせに、貧民窟ひんみんくつの人間よりも甘くない気がしてきた。


「め、滅相もございません。逃げるなんて、あなた。あはは……、あは、あは」


 あんまり効果がないようだ。よし、次!


 第三段階、どれも効かなかった場合の必殺『ほめ殺し』


「冗談がわからない男? クスン、ちがうわよね。ちょっとした悪ふざけしたって、怒らないわよ。ヨッ、いい男! さすが。この世界の王者。麗しすぎる。美しい、最高の男、世界の女をとりこにしてる」

「その汚い鼻水をわたしの着物に擦りつけないでください」

「え? わあ、信じられない。わたしったら」

「おい、誰か。このアホをベッドに縛りつけよ」


 アカン、この男。すべての必殺技を完璧に無視しやがった。


 部屋の隅で固まっていたスーリアンとズースーが、わたしの腕を掴み、ウーシャンにしがみついた両手を強引に外した。そのまま、ベッドにくくりつけられてしまった。


「では、冷静にお話ししましょうか」

「いや、できないから。聞く耳もってないから」

「先ほどから、愚かな行動をなさっていますが、あなたを選んだのには理由があるのです」


 まずい、このままでは敵の作戦にハマってしまう。


 ウーシャンが悪い顔でほほ笑んでいる。どうも、調子が狂う。


 この態度に慣れていないせいもあるだろう。なにをしても品を失わない。気品ある所作は優雅であると同時に威厳もあって、こちらが目一杯構えていないと気後れしてしまう。

 その上、愚かじゃない。

 愚かじゃないどころか、相当に知恵者のようだ。小手先じゃあ通じないかも。


 貧民窟ひんみんくつに住む者はみな無学だ。

 文字を読める者は少ない。だから、罪人とはいえ、王都から追放された犯罪者が、官吏として我がもの顔に振る舞えるのも、一応の教養を身につけているからだ。


 わたしは、ヘンスから文字を習ったが、教養という経験値において、まったく敵わないようだ。


「王都に呼んだ理由ですが……。ある儀式に参加してもらうためです」

「いやよ」

「何も聞かずに否定するのは、愚か者のすることです」

「やっと、理解したんだ。だって、その愚か者だから」

「それでは、それで良しとしましょう。そこまで否定なさるなら、もとの世界に戻して差し上げます。育ての親であるヘンスとかに渡した金貨一両も、しっかりと返していただくことになりますが」


 き、きん、金、金、金貨一両?

 信じられない大金だ。ヘンスがどんなに飲んだくれても、一年は確実に遊んで暮らせる。


「そして、儀式に参加して、見事成功したあかつきには、金貨五十両を賞金として与える予定でしたが、それもなくなりますね」

「い、いま、いま、なんと、き、き、き、金、金、き、金貨五十両?」

「金貨五十両です」

「やる! 誠心誠意、やらせてもらいます!」



(つづく)

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