美しい天上の王国と冷たい皇子 5




 数日の間、移動できる場所は自分の部屋と浴室と庭だけになった。

 これは軟禁?

 そう思わずにはいられない状況だけど、その気になれば抜け出すなんて訳ない。


 侍女たちは最初こそ怯えた様子だったが、親しく話すうちに打ち解けていった。

 ま、これは奥の手なんだけど。

 わたしは黙っていると冷たく見えるそうだが、顔をくしゃくしゃにして愛嬌を見せれば、その意外性からか、警戒心を解く人が多い。


 特に侍女たちは素直で、すれっからしたところが全くないから簡単だった。


 貧民窟ひんみんくつならすぐに餌食にされ、骨までしゃぶられ、生き延びることも難しいだろう。


貧民窟ひんみんくつって、ほんと怖い場所なんですね?」

「怖いってもんじゃないよ。こうね、エイヤって顔してないと大変なんだ。顔を傷つけてでも強面こわもてで生きていくしかなかった。ヘンスは、それこそ……」


 顔も身体も傷だらけだった。どんな過去なら、あれほど傷を受けるだろうか。そう思うと悲しくなった。

 ヘンス、肩を落として、今も飲んだくれているんだろうか。


「お可哀想に、シャオロンさま。とってもお美しいのに」

「チッチッチッ。ズースーよ、『さま』じゃなくてぇ?」

「シャオロン」

「そうそう。抱っこしたげる」

「キャー。おたわむれを」


 わたしは侍女たちと騒ぎながら、心の底でシンと冷めている。


 ウーシャンが罪人の住む場所だといった貧民窟ひんみんくつ。わたしはそこで育った。わたしの常識は、この世界では真逆だと笑うしかない。


 ヘンスは言っていた。


『やられる前にやれ! 誰も褒めてくれん。弱さなどバカにされるのがオチだ』


 侍女ふたりは優しさに満ち、庭木に集まる鳥にさえも感動して餌を与える。貧民窟ひんみんくつなら、その鳥を射落として食糧とする。だから、貧民窟ひんみんくつの生き物は少ない。

 優しさとは贅沢品なのかもしれない。


「王都は雲の上に浮かんでいるんです」


 ふたりの侍女は素直に言う。山上ではなく宙に浮かんでいると信じているようだ。


「浮かんでいる。どうやって?」

「ええ〜〜っと。だから浮かんでいるんです」

「本を読めるでしょう。文字も読めるんでしょう? それなのに知らないの?」

「学校では習わないんです」


 学校という制度は興味深い。

 そこで、この世界の仕組みや文字を教えてもらう。世界秩序に組み込まれる訓練をしているのだ。


 貧民窟ひんみんくつに学校などなかった。


 生きていくうえで必要なことは、歯を食いしばって自分で学ぶしかない。わたしに文字を教えたヘンスは、『貪欲になれ。この貧民窟ひんみんくつじゃ、ほとんどの人間が三十前に死ぬ。生き延びろ。生き延びる方法を模索しつづけろ』


 そう言った当時、ボスは二十歳だった。

 別れたときは三十歳前。貧民窟ひんみんくつの平均寿命に達していた。


 ヘンス、おまえこそ生き延びていろ。


「ねえ、シャオロンさま、ウーシャンさまって、本当に素敵だと思いませんか」


 ズースーが、恥ずかしそうに頬を染めて打ち明け話をする。

 キラキラとした目で言われると、こそばゆくなってくる。あの皮肉男は一般的には、あこがれの対象になっているのか。

 男にはもったいないほど美しい容姿で、それに騙されるんだろう。

 貧民窟で『美貌』なんて、不運でしかないんだが。


「あれが」


 目一杯の皮肉をこめただったが、素直なふたりには通じない。


「飛び抜けて、お美しい上に賢くてらして」

「単純に嫌味なやつだけど」

「お声を聞くだけでもう。もうもう舞い上がってしまいますわ。友だちに羨ましがられたんです。ウーシャンさまのもとで働くってことで」

「こそばゆいほどの、あの態度は嫌味でしかないだろう」

「素敵ですよね。あの、シャオロンさま。どうか、ご主人さまを恋しないでくださいませね」

「なぁ、どうも話が噛み合ってないと思わないか」


 ふたりは楽しそうにコロコロと笑う。


 哀れになった。

 王都の人間は皆、こんなふうに繊細で穏やかで優しいのだろうか。


 護衛のようなガルムさえも、身体付きは細くてひょろっとして華奢だ。貧民窟ひんみんくつの人間は、みながっちりして骨太で背が低い。わたしは背が高いほうで、貧民窟ひんみんくつでは華奢に見えたが、この地では目立たない。


「この世界は、本当に平和なのね」


 そう言うと、ふたりは顔を見合わせた。


「来られたばかりだから、ご存知ないのでしょうけど。実際は、わたしたちは怖くて仕方がないんです」

「怖い?」

「はい、他国に勝てなければ、水不足で困ることになるかもしれない」

「まさか、こんな豊かな国で、貧民窟ひんみんくつの縄張り争いみたいなことがあるの?」

「このお城は」

「城って、屋敷じゃないの?」

「はい、ここはウーシャンさまが統治する城なんです」と、スーリアン。

「実は隣国である北栄ベイロン王国との境にあり、要衝ようしょうなんです。ウーシャンさまが皇居にいかれた今は、なんだか不安で……。来年は玲暦の終末にあたり、なんとなく不安なんです」と、ズースー。

「この国の名前もあるの」

「はい、南煌ナンフォアン王国。ウーシャンさまは、第三皇子であらせられます」


 巨雲じゅゆん皇国は三つの王都にわかれ、それぞれの王が治めている。王家は、皇国から別れた帝の末裔だ。


 南煌ナンフォアン王国は、三つの王国のなかで最も南に位置し、高温多湿の気候で、穀物が豊富に育つ国だと言う。


 南煌ナンフォアン王国

 北栄ベイロン王国。

 フー王国。


 円を三等分して作られた三つの王都は、中心に円状の皇都があり、帝が住む城がある。それこそが巨雲じゅゆん皇国の中心部である。


 あの、嫌味男が王族で第三皇子とは。

 世の中、本当にわからないものだ。なんて、お花畑の感想を考えている場合じゃない。


「わたしを連れてきた理由は?」

「あの、この国を救う究極の乙女ですよね」

「そうですわ。間違いないって思います」

「なに、その乙女って」

南煌ナンフォアン王国を救ってくださる、英雄になられる乙女ですわ」


 こ、これは、まずい!

 ぜったい、まずい!



(第一章完結:次につづく)

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