第55話 カレーは二人の距離を縮める……かもしれない


「──渚」


 俺は少し離れた場所に立っていた渚に声をかける。


 彼女はいつも集団から離れたところにいることが多い。


 恐らくはあの控えめな性格が関係しているのだろうが……。

 自分から話の輪に入ってくることもあまりない。


 まぁ今はそのことは置いておいて、と。


 渚は俺の呼びかけに対して「なに」と短く反応した。


「お前も食ってみるか? 俺様特製の最強カレー」


 ふふん、と得意げに笑って言うが渚は表情を変えずに首を左右に振る。


「わたしは……別に。自分たちのカレー食べたし」

「そう言うなって! 食べたら間違いなく俺に惚れるからさぁ。へへっ」

「絶対いらない。なに? あんたヤバい薬でも入れてるの?」

「そこまで言う!?」


 薬レベルじゃないと俺に惚れることないってこと!?

 コイツも月ノ瀬たちと同じようなこと言いやがって……!


 なぜだ! いったい俺のなにが邪魔をしているんだ!


 ……うむ。考えても仕方がないため、それも置いておこう。

 これはきっと哲学的問題なのだ。


 まぁ……渚からこう返答されることはしっかり想定済みである。

 というか、俺の言い方的に絶対断ると思ってたし。


 だったら――


 俺は蓮見にチラッと目配せをする。


 その視線に気が付いた蓮見は、少し間を空けたあとハッと表情を変えた。


 お、ちゃんと伝わったか?


 そうなると……俺の役目は一旦ここまでだな。

 

 ──あとは頑張れよ。蓮見。


「る、るいるい! せっかくだし食べてみてよ! すごいんだよ青葉くんのカレー!」


 へへ、褒めるなって。へへへ。


 おっと気が緩んだ。

 二人のことを見守らねば。


 集中集中。


「……そういえば青葉って料理できたんだっけ」

「あ、うん。るいるいも知ってたの?」

「うん。……ちょっとね」

「そ、そうなんだ……」


 ……ぎ、ぎこちね~!

 

 なんだこのお互いの距離を探るような会話は!


 ぎこちなさ半端じゃないなりよ~!

 おじさん心配で間に割って入りそうだよ~!


 思わず俺のキャラが変わってしまうほどの空気感だった。


 もちろん、そんなことは本人たちも自覚しているだろうけども。


「と、とりあえずさ! 本当においしいんだよ! るいるいにも食べてみてほしいなー!」

「はぁ……分かった。晴香がそこまで言うなら……」


 その熱意に折れた渚がため息をつき、蓮見のところまで歩いていく。


 自分のところまで来たことを確認すると、蓮見は自分のお皿を「はい!」と差し出した。


 二人は同性で幼馴染だ。月ノ瀬が司にやったような抵抗感はないだろう。


 男女はね……流石にね……。


 渚は蓮見からスプーンを受け取ったあと、今度は俺の方を向いてきた。


 え、なに。

 シュバッと思わず身構える。


「……いただきます」


 渚は少し不満そうな表情を浮かべながらも、俺に短くそう言った。


 あ、なるほど。それはちゃんと言うんだ。

 しっかり教育が行き届いているようで……素晴らしい。


 俺は「おうよ」と返事をする。


 でもなんでちょっと不満そうなんだよ。なにも変なもん入ってねぇっての。

 

 渚はスプーンでカレーを掬い、ライスと一緒に口に運んでもぐもぐと小さく咀嚼をする。


 一口ちっさ……。

 小さな口でもぐもぐしている姿が、なんだか小動物と被って見えた。

 

 こんなこと本人に言ったらぶっ飛ばされるね。きっと。


「ど、どう?」


 蓮見が不安そうに問いかける。


 渚は飲み込んだあと……その問いに答えた。


「……おいしい」


 おっ……と。


「えっ、本当!?」

「うん。……あんた、ホントに料理上手なんだね」

 

 渚は僅かに驚いた表情でこちらを見る。


「蓮見も手伝ってくれたんだぜ? 俺一人じゃねぇよ」

 

 これは嘘じゃない。


 蓮見の優秀な助手っぷりがなければ、順調に調理が進むことはなかっただろう。

 しっかり感謝している。ありがとう蓮見ちゃん……。


 ………。


 月ノ瀬が視線で『私は!?』と訴えてきているが、当然無視。


 お前実際なんもしてねぇだろうが!

 『ねぇねぇまだ?』って言ってるだけだっただろうが!


 まったく。ポンコツクッキングガールは大人しくカレー食ってなさい。


「そうなんだ……。すごいじゃん、晴香。昔から料理してたもんね」

「う、ううん! すごいのは作った青葉くんだから……私はそんな、全然だよ……」

「……」

「……えっ、と」


 いい感じに進んでいた会話も、一度詰まるとそのまま途切れてしまう。


 まだ以前の二人らしい空気感には程遠いが、ほんの少しくらいは良くなった……か?

 

 真実がどうであるかは分からないが、なにも会話をしないよりはマシだろう。


 まぁ、今回はここまでかな。


 このまま見ていてもこっちが気まずくなるだけだし、俺が適当に茶々を入れてこの場を収め――


「蓮見さんも結構料理するの?」


 ようと思ったが、先ほどまでひたすらカレーを食べていた司が二人の会話に入っていった。


 っと、ここで来たか……司。


 俺は開きかけた口を閉じ、再び会話を見守ることにした。


「あ、う……うん! お母さんの手伝いくらいだけどね」

「へぇ、それでもすごいよ。渚さんは蓮見さんが作ったもの食べたことあるの?」

「何度かね。お菓子とか……そういうのよく作ってたんだ、晴香」

「おお、お菓子も作れるんだ! それはもうすごいじゃん」

「そ、そんなことないよ! レシピ通りにやればみんな作れると思うし……」


 お前それ月ノ瀬にも言ってやってくれ。


 それにしても、今の司のムーブは……天然ものだなぁ。


 司が間に入ったことで、ぎこちなかった会話がスムーズになっていく。


 恐らく司には特別な感情などはなく、ただ自分が興味を持ったから会話に混ざっただけなのだろう。

 もちろん、二人が心配だって思う気持ちはある前提で。


 それでも単純にこれは……司がただそうしたいがゆえの行動なのだと思う。


 どこかの誰かさんと違って、そこには打算なんてきっと存在していなくて。


 

 ――だったら尚更、ここでの俺の役割はもうなにもない。



 司が上手く場を回してくれるのなら……それに越したことはない。

 本来であれば……それが正しい形なのだから。

 

 俺は三人の会話をただ黙って……聞いていればいいのだ。


 こうしてカレー作りは幕を閉じた――


 × × ×


 昼食後、俺は流し台でお皿だったり器具だったりを黙々と洗っていた。


 水道から流れる水のヒンヤリとした冷たさが気持ちいい。

 

 冬だったら食器洗いなんてただの地獄でしかないのに……ありがとう、夏。夏バンザイ。


 ほかの班員たちはテーブルや椅子の片付けを行っていた。

 少しばかり力が必要な作業であるため、女子である月ノ瀬に任せることには抵抗感があったが……アイツはまぁ、調理中無能だったからいいだろ。うん。


 まさかあの月ノ瀬に対して無能なんて言葉を使う日が来ようとは……。

 

 やっぱり人間って誰しも弱点が存在するものなんだなぁ……。


 仕方ないよ、人間だもの。――すばを。


 あ、蓮見?

 蓮見はねぇ……。


「楽しかったねー、こうやってみんなでご飯食べるの!」


 はい。俺の隣でニコニコしながら同じように洗い物をやっています。


 本来であれば、俺が一人でやると言ったのだが……。

 

 「私も手伝うから!」と、まるで昨日のような強情っぷりを発揮されちゃあ……なにも言えなかった。


 俺は「だなぁ」と緩く返事をして作業を続ける。


「あのさ、青葉くん」

「なんだ?」

「ありがとね。るいるいと話ができるように誘導してくれたでしょ?」


 予想していなかった言葉に洗い物をする手が止まった。

 

「それにさ、るいるいにもカレーを食べさせてあげたのって……」


 蓮見も同様に作業の手を止めて、俺を見上げる。

 

「青葉家の家訓……にも関係あるんでしょ? るいるいもきっと……悩んでるから」


 コイツ、さてはこの話をするために強引に手伝いを申し出てきたな?

 

 思ってもわざわざ口に出さなくていいのに……。

 どこまでいっても律儀なヤツだ。


 俺は小さく息を吐き、ニヤッと笑って蓮見を見た。


「それを言ったらつまらないだろ? モテる男ってのはなにも言わずにやるもんなんだよ」

「……モテ?」

「やめろ、そこに疑問を持つな」

「ふふ。なんだか青葉くんにはお礼を言ってばかりだね」


 蓮見が楽しそうに笑う。

 

 たしかに昨日今日と、よくお礼を言われているような気がする。

 別にそんな『ありがとう』って言う必要もないのに。


 一回言われればそれで十分だ。


 悪い気はしないけどね。


「気にすんなよ。思春期の男ってのは、女子からありがとうって言われるために生きてると言っても過言ではないんだぜ」

「それは……ちょっと過言じゃない?」


 実際問題、そこまで過言ではないと思う。

 女子から笑顔でお礼言われるだけでテンション上がるじゃん?


 男子諸君は分かってくれるよね!? 


「じゃあもう一回言っちゃお! ありがとう!」


 とどめの一撃と言わんばかりに、蓮見が笑顔でお礼を言う。


「おいおい、ありがとうのバーゲンセールですか?」

「ふっふっふ、今日だけ特別セールです!」

「なぬ! そいつはお買い得だぜ奥さん!」

「でしょでしょ?」


 ――事実。

 正直なところ、俺はそこまで蓮見にお礼を言われるべきことはしていない。


 蓮見からすれば『ありがとう』なのかもしれないが……。


 俺は――


 ふっと蓮見から顔を逸らし、作業に戻る。


「青葉くん……はさ」


 少し声のトーンを下げて、蓮見が再び俺の名前を呼ぶ。


「お礼を言われると絶対――」


 蓮見はそのままなにかを言おうとして……口を閉じた。


 そして首を左右に振り、もう一度笑顔を浮かべた。


「ううん、なんでもない! パパッと片付けちゃおっか!」

「おん……? まぁそうだな!」


 なにを言おうとしてたんだ……?

 

 まぁ、分からないことを考えても仕方がない。

 俺たちはテキパキと洗い物を進めていった。


 ――しかし。


 俺の頭の中には、先ほど蓮見が一瞬見せたが残っていた。


 『お礼を言われると絶対――』。


 蓮見はいったい――

 

 なにを言いたかったのだろう。

 

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