第48話 青葉昴はやっぱり『そう』
「聞かないの」
渚留衣は、俺が手に持つスマホに目を落として淡々と問う。
少し間を置いて、俺は答えた。
「聞いてほしいなら聞くし、聞いてほしくないなら聞かない」
そんな、ありきたりで無難な答え。
「……その答えはズルくない? あんたの気持ちを聞いてるんだけど」
「俺?」
たしかに今の答えは渚に委ねているように感じる。
あくまで渚がどうしたいのかで、そこに俺の気持ちはなかった。
ふむ……答えとしては相応しくなかったかもしれないな。
俺の……気持ちか。
「そうだなぁ。俺の言葉で言うとすれば──」
「すれば?」
仕方ねぇ……俺の気持ちとやらを伝えてやるとしよう。
渚よ、これが俺の答えだ。
聞けい!
「そんなことよりナイドラのパーティー編成してほしい」
そんな俺自身の答えに。
渚はゆっくりと顔を上げてこちらを見る。
ポカーン……と、小さく口を開けて。
なんだその顔は。
眼鏡奪い取ってその口にねじ込むぞ。
「んだよ。文句あんの?」
しらーっと目を細めて渚に言う。
その渚は再び視線を落とし……というか、俺から顔を逸らすように斜め下を向いた。
そして。
「――ふふっ」
肩を震わせて。
「――ふふふっ。ははっ……!」
笑った。
………。
笑い出した。
……え?
なんで?
渚は肩を震わせ、俯いて。
お腹に手を当てて……笑っていた。
泣いていた姿と被るが、その様子は全然違くて。
ふふふ、と渚は楽しそうに笑っていた。
あの渚が。
感情をあまり表に出さない渚が。
声を出して……笑っていた。
その突然の出来事に俺は驚き、言葉を失う。
「――うん、そう」
ひとしきり笑って満足したのか、渚は呼吸を整えながら頷いた。
瞳に浮かんだ涙をもう一度、袖で拭う。
その涙はきっと、悲しみの涙ではないのだろう。
渚はこちらを向いて、ふっと笑った。
「あんたは……そう、だよね」
まるで自分に言い聞かせるようにそう言って。
なにやら一人で納得している様子である。
正直、なにがなんだか分からないが……。
ここは一言、返しておこう。
女の子の一挙一動にはしっかり反応してあげるのが良い男だって、俺のじいちゃんの友達の孫のいとこの姉が言ってた。
俺は「ほぇー」と感心して口を開く。
「お前、笑うって感情あったんだな」
「――は?」
あ、やば。
つい正直に言いすぎた。
鬼だ! 鬼がお怒りになるぞ!
鎮めなければ!
俺はニッコリと明るく楽しい笑顔を浮かべた。
「るいるいの笑顔可愛い♡」
「―――」
「待て! 一回待て! 落ち着くんだ! 話せば分かる! だからその振り上げた拳を下ろせ! な!?」
ゴゴゴゴ、と効果音が聞こえてしまうほどの威圧感を放ち、渚は拳を握りしめて振り上げている。
先ほどの微笑みはどこに行ったのか、目元まで影に覆われてすっかりその表情が分からない。
だけど、その瞳がギラッと赤く煌めいていることだけが分かる。
いやなんでだよ。
お前別に目赤くないじゃん!
あ、いや泣いたせいで充血してるから今は赤いのか!?
赤鬼ってこと!?
泣いた赤鬼……ってか! うまいっ!
「……はぁ」
くだらないことを考えていると、渚はため息とともに拳を下ろした。
あぶねー……。
近くに武器になるものが無くてよかった。
ペンとかあったら俺終わってたわ。
あー怖かった。
「やっぱり……わたしにはこっちが合ってる」
呟くようなその言葉は、俺の耳に届いていて。
「んぁ? どっちだよ」
「こっちの話。あんたは関係ない」
「そうか」
「そ」
ま、渚なりに今いろいろ考えているのかもしれない。
こっちに話さないということは……特別気にする必要はないのだろう。
俺自身、深堀りするつもりはないし。
「で、ナイドラ」
渚は自分の太ももをポンポン叩き、俺に催促をしてくる。
早くキャラ一覧を見せろ、と。
「はよ」と、そう急かしてきた。
いやお前のせいで話脱線したんじゃん……。
とは言わず。というか言えず。
だって怖いもん。
俺は改めてスマホの画面を渚に見せた。
「ほい先生、お願いします」
「お願いされた」
その後、俺は渚先生の指示のもと現在所持しているキャラクターで一つのパーティーを作り上げる。
流石、と言うべきか。
俺が普段見向きもしなかったキャラクターたちを指定して、『このキャラはコイツと合うからおすすめ』と、丁寧に説明まで付けてくれた。
ほぇー……マジで組み合わせって無限大なんだなぁ……。
恐るべしナイツ&ドラゴン……。
「さ、というわけでマルチいくよ」
淡々とそう言うと、渚は自分もナイドラを起動した。
「え、今から?」
「当たり前でしょ」
「いやでもお前、さっきは部屋に戻れって――」
「文句あるの?」
「ないです! マルチいくぜぇぇ!!」
「よろしい」
……渚も今は部屋に戻りたくないんだろうな。
まだ完全消灯までには時間がある。
もう少し、こやつに付き合ってやろう。
そして俺は渚とともに過酷な戦場へと身を投じた。
――ま、いつもの如くキャリーされただけなんですけどねぇ!?
「あ、そうだ渚」
「ん」
「今さらだけど誕生日プレゼント、ありがとな。アレのおかげでお気に入りのキャラ強化できたわ」
「……そ。ならいいんじゃない」
「いやーやっぱり持つべきものは強いフレンドだよな! ハッハッハ!」
「はいはい……」
× × ×
それから渚とポチポチとゲームをやって。
気が付けばいい時間になっていた。
最後のステージのボスを倒し、無事クリアをしたことを確認してから俺は渚に話しかける。
「楽勝! さーて、と。そろそろ戻るか。部屋のヤツらも心配するだろうからな」
「……あぁ、うん。そうだね」
渚は声のトーンを落として返事をした。
なにを思っているのかは……なんとなく分かる。
「――戻れそうか?」
俺は短い言葉を投げかける。
あえて、具体的なことはなにも言わずに。
「……青葉」
渚は意外そうな顔でこちらを見て、俺の名前を口にした。
なにかを考えるように視線を落とし……小さく息を吐く。
そして、勢いよくソファーから立ち上がった。
「青葉のくせに心配とか生意気だから」
「なんだと!? 人がせっかく心配して――」
「ありがとう」
……え?
渚は淡々とそれだけ言い残して、階段に向かって歩き出した。
いやいやいや。
え?
コイツ今……なんて言った?
「あ、おい渚お前今――!」
思わず振り向いて渚を飛び止める。
渚は立ち止まるも、こちらを振り向かない。
ただ右手に持ったオレンジジュースを、俺に見せるように持ち上げた。
そして……一言。
「――オレンジジュース。ありがとう」
相変わらず自由で、気ままで。
あっさりとしたその様子に……俺は思わず苦笑いを浮かべる。
……ったく。
オレンジジュースに対する……ね。
へいへい。そういうことにしておいてやるよ。
どちらにしろ、あの渚の『ありがとう』が聞けたんだ。
滅多に聞けない超貴重な言葉だ。
今はそれで満足するとしよう。
どこまでいっても渚留衣は──
素直じゃない。
なら俺も、ここは──
「渚、最後に俺から一つだけいいか?」
「なに」
やはり渚は振り向かずに。
俺はその背中に向かって話を続ける。
「次はきっと……上手くいく。だから――」
今回、渚がああなってしまった原因の一旦は俺にある。
蓮見を焚きつけたのはほかでもない……俺なのだから。
「自分の気持ちを疑うな。お前の『それ』は……過ちじゃない」
渚がなにを思っているのか、なにを考えているのか、俺には分からない。分かるはずがない。
なぜなら俺は渚じゃないのだから。
けれど、これだけは分かる。
渚が抱える想いは。
感じる想いは。
手に入れた想いは。
きっと、間違いなんかじゃない。
紛れもない、本物の『想い』なのだ。
「……あと、アレだ。そういうことは俺の得意分野だっての。お前が変に考える必要はなし!」
それだけは、伝えたくて。
俺なりのけじめを……つける必要がある。
これで万が一、渚と蓮見に『なにか』があって最悪司から離れるようなことになってしまったら――
俺は俺を……一生許せないだろう。
「……」
それでも結局、渚からの返事はたった一言で。
「――余計なお世話」
渚はそのまま階段を上がって行った。
最後まで渚らしい一言だ。
だからこそ……逆に安心できる部分もある。
ああいう返しができるってことは……それくらいの余裕は生まれたってことだ。
少しは……気持ちが晴れたのかもしれない。
ほんじゃま、俺も戻るとするかね。
………。
あれ、よく考えてみれば……。
俺、今まで渚からありがとうって言われたことあったっけ。
……ない、よね?
え、嘘でしょ?
× × ×
階段を上り、俺は部屋へと向かって歩いていた。
さて。
部屋に戻ったらなんて言って――
……ん?
「……え、なにしてんの」
自分たちの部屋まで辿り着いた俺は、扉の前に立っていた男子生徒を見て思わず目を丸くする。
ソイツは俺を視界に捉えるなり、笑顔で手を振ってきた。
「おっ、やっと戻って来たか昴」
「……司」
扉の前で待っていたのは、司で。
「お前が全然戻って来ないからさ、なにかあったのかなーって」
「別にそんな面白いことねぇっての」
「そうか? 俺には仲良く楽しそうな雰囲気に見えたけど」
「はっ……」
なにも言わない俺を見て、司は楽しそうに笑った。
コイツまさか……見てたのか?
いつからだ?
ひょっとして、俺と渚だけじゃなくてその前から――?
だとしたら、マズい。
「お前、いつから……」
こんな呆気ない形で蓮見たちの気持ちが――
「お前と渚さんが楽しそうにゲームしてたところ。邪魔するのもなぁ……って思って戻ってきた。なんでお前そんな焦ってるんだよ」
その言葉に俺は安堵のため息。
司は嘘が下手だから分かる。
これは本当のことを言っている様子だ。
「てかお前さー、渚さんとゲームする予定があったんならそう言えよ」
ニヤニヤする司の頭に俺はチョップを繰り出す。
おらっ!
「いたっ!」
「渚とはたまたまロビーで会っただけだっての。しょうもないこと言ってないで部屋に戻るぞ」
「ホントにたまたまなのかー?」
「そうだって言ってんだろ? あまり言うとお前、月ノ瀬に『司がお前のことなんちゃってお嬢様って言ってたぞ』ってバラすぞ」
「いやバラすなにも俺言ってないよね!? それいつも言ってるの昴のほうだろ!?」
まったくコイツは……。
蓮見も渚も、『誰』のせいでこんなことになってるのか考えやがれってんだ。
手間のかかる親友だぜ、ホントに。
「でも、よかったよ」
部屋の扉を開けようとしたとき、司がなにかを言い出した。
「なにが?」
「昴が楽しそうで。合宿が始まってから昴さ、少しいつもと様子違ったから」
「……。……違ってたか?」
「うん。何年昴と一緒にいると思ってるんだよ?」
――『何年一緒にいると思ってるんですか?』
やっぱりあの子のお兄ちゃんってことかね。
流石は朝陽兄妹。
よく俺を見てらっしゃることで……。
「バカだなぁ、司」
「いや心配したのにバカは酷くないか?」
俺なんかを見てる暇あったら、蓮見たちを見てやれっての。
普段はのほほんとしてるくせに、他人の違和感にはしっかり気が付いて。
悩むことなくすぐに声をかけて。
そこには当然、思惑や下心なんてなくて。
純粋な……優しさ。
でも、本人にはその魅力の自覚は無くて。
俺とお前の決定的な違いは……そこ、だよな。
まぁ……でも。
お前のそういうところに……アイツらは惚れたんだぜ。
「サンキュー、親友」
首をかしげる司をよそに、俺は扉を開ける。
こうして学習強化合宿一日目は終わりを告げた。
――いや一日目から濃いなオイ。
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