第47話 『親友』は夜のロビーで話をする
「ほれ、よく分からんからオレンジジュースでも飲んどけ」
「えっ」
ロビーの自販機で紙パックの飲み物を二つ購入した俺は、そのうちの一つを渚に手渡した。
俺? 俺はもちろんコーヒー牛乳よ。
コーヒーも牛乳も摂取できるんだぜ?
こんなにお得な飲み物、この世に存在していいの?
渚はわけがわからない様子でオレンジジュースを受け取る。
「……あんた、なんで」
俺は先ほどまで蓮見が座っていたであろう場所に座った。
俺と向かい合う渚は、元気が無さそうに目でこちらを見てきた。
いつもやる気が感じられない目をしているが……今はより一層その輝きを失っている。
これは……とても穏やかな話し合いだったとは思えないな。
「え、なに? まさかコーヒー牛乳のほうが良かった? 交換する? なんならオレンジジュースとミックスする?」
コーヒーオレンジ牛乳になっちゃう。
絶対マズいじゃんそれ。
俺のおちゃらけムードに、渚は小さく息を吐く。
「いや別にそういうわけじゃ……」
途中までそう言うと、渚は「どうも」と小さく呟く。
静かにストローを飲み口に刺した。
よかったよかった。
『こんなマズいの飲めるわけないでしょ? 舐めてるの? もう一回買ってこい。もちろんお前の金でな』って言われてたらもう号泣してた。
号泣しながら自販機にある飲み物全部買うところだった。
ありがとうオレンジジュース。
渚が無事に飲み始めたことを確認し、俺はコーヒー牛乳を口に含む。
うま。やっぱ世界一うまいわこれ。
「……」
「……」
静寂。
気を抜くと、シーンとした虚無の時間が流れる。
夜という時間帯も相まって、余計に静けさを感じた。
まるで今この瞬間、世界には俺と渚しかいないような――
そんな風に思ってしまう。
いやもちろん、みんないるけどさ。
比喩みたいなもんね。
その静寂を破るように、俺は口を開く。
「俺さ、さっきまでそこのテラスにいたんだよ」
ピクッと渚が反応する。
恐らく、自分たちの会話が聞かれていなかったのか気になったのだろう。
だけど安心しろ。
なにも聞こえてなかったし、どうして渚だけが残ってるのかもよく分からん。
話が終わったっぽい雰囲気を察知してロビーに戻ってきたら、そこにいたのは渚だけで。
それも、凄まじい負のオーラを漂わせて座り込んでいた。
こんな姿の渚、俺は初めて見た。
「でよー、意外と心地良くてさ。風も気持ちいいんだわ。ありゃ間違いなくサボりにピッタリだね」
「……なにそれ」
「月ノ瀬大明神から逃げるにはあそこしかねぇ! って確信したね。――あ、お前。もし俺がいなくなっても場所教えたりするなよ?」
「教えたらどうなるの」
「そりゃもう夜叉の怒り炸裂よ。山菜として植えられてるかもしれない」
お手上げポーズで言う俺の言葉に、渚は少しだけ……笑った気がした。
とはいえ、鼻で笑う……といったニュアンスのほうが正しいけども。
あれ? それだとしたら失礼じゃね?
俺バカにされたってこと?
けれど、いつもの渚だったらここで一言入れてくるはずだ。
そんな山菜絶対食べないわ。無理。……みたいな。
なんかアレだね。
罵倒を想像できちゃうって悲しいね。
それを言ってこないってことは……やはり渚の精神状態はなかなかのレベルにまで落ちていることになる。
「……あんたさ」
元気の無い声で俺を呼んで。
俺はストローを咥えたまま首をかしげた。
「戻りなよ、部屋に」
「おん?」
「なんでここに居たのかは知らないけどさ、用がないから放っておいてくれる? わたしは今あんたの話に付き合う余裕は――」
「それは困るなぁ」
俺は渚の言葉を遮る。
部屋に戻れ、と来たか。
その言葉に大人しく従うわけにはいかない。
ニヤリと笑い、話を続ける。
「だってさ、部屋に帰ったらどうなると思う? 広田たちのしょうもない話に付き合わされるんだぜ? 誰が好きなんだよとか、誰を狙ってるんだよとか」
「そういう話大好きでしょあんた」
「それはそう!」
俺は深々と頷く。
マジでそれはそう。大好き。
女子の名前出すまでしつこく聞くからね俺。
だけど、今回はそうはいかないんだよなぁ。
部屋のメンツ的になぁ!
「けど今戻っても、どうせ司の無自覚モテエピソードに巻き込まれるだけだぜ?」
司の名前を出した瞬間、紙パックを持つ渚の指先が動いた。
なるほど。
やっぱりそういう系の話だったか。
スッと細めた瞳をすぐに戻し、ヘラヘラっとした表情に切り替える。
「そんなの俺、嫉妬して爆発しちゃうもん! 昴爆弾になっちゃうもん!」
「……わたしに関係ないし。勝手に爆発してれば?」
お、ちょっと調子戻ってきた?
「だからロビーでお前を見つけたとき、これはキタぜ! って思ったね」
は? って顔で渚が俺を見る。
「だって、いいカモ――じゃない、話し相手が見つかったしな」
「あんた今カモって言わなかった?」
「……ナンノコトカナ」
「……はぁ。言ったでしょ。今あんたの話に付き合う余裕は――」
いけ! 今だ!
俺はその瞬間、とてつもない勢いで頭を下げた。
ブオオン! と空気が震える音がした。
正に神速の頭下げ。いやダサ。
「どうか! 何卒! かわいそうな非モテ男子の話し相手になってはくれないでしょうか! 助けると思って! そこをなんとか!」
「……あんた、自分で言ってて悲しくないの」
「え、超悲しいけど?」
自分の身を削ってまでお願いするなんて……昴くん素敵!
ってなってくれる女子いない? いないですよね。
「んで、ナイドラの新キャラなんだけど――」
俺は頭を上げ、何事もなかったかのように話を始める。
「え、なにサラッと話し始めてるの?」
「実は自由時間のときに単発で当てちゃってさぁ」
「だからわたしの話を――は?」
俺はポケットからスマホを取り出し、ナイドラを起動した。
そして所持キャラクター一覧画面を開き、渚に見せる。
渚はその画面をじっくり見て……再び「は?」と声をあげた。
「いや、え……単発? また?」
「そう。また。いやー運が良くて困っちゃうよねぇ。ちなみに渚は……あっ、その様子だとまだ引けてないかー! ごめんごめん☆」
てへぺろっ!
ムフフといやらしい笑みを浮かべる。
渚は無言で俺の手からスマホを奪い取り、そのまま両端を持ってへし折ろうと――
「いやいやいや待って!? なにしてるの!? 今絶対折ろうとしてたよねキミ!?」
俺は慌てて渚からスマホを奪い返した。
「ついうっかり」
「うっかりで人のスマホ折ろうとしないで!?」
真顔で折ろうとしてたからねこの人。
全然悪びれた様子ないんだけど?
「いいでしょ。減るもんじゃないし」
「減るわ! いろいろガッツリ減るわ!」
俺のこれまで積み重ねてきたデータたちが吹き飛ぶでしょ!
みんなと話した楽しい記録も無くなるでしょ!
あー怖かった。マジで怖かった。
「……ちっ」
「ねぇ今舌打ちしなかった? 気のせいじゃないよね?」
恐ろしいわぁ。
やっぱり調子戻ってない?
俺はスマホを我が子のようによしよしとさする。
おーよしよし。怖かったねぇ。
鬼のお姉ちゃん怖かったねぇ。
もう大丈夫だよぉ。
「……ま、別にどうでもいいけど。今回のキャラはわたし好みの性能じゃないし」
「――と、引けなかった者が吠えております」
「は?」
「なんでもないですごめんなさい」
ヒョエエエエ……。
なんか渚の顔が生き生きしてきたんだけど。
「……はぁ」
ふと、渚が大きなため息をついた。
今の時間だけでもう二回もため息ついてますよこの人。
俺、何回渚にため息させればいいねん。
「なんか──」
渚は俺から顔を逸らし、俯いた。
紙パックを両手で持ち、ポツリと呟く。
「あんたと話してると……悩みとかどうでもよくなりそう……っ」
「おいおい、失礼すぎ――」
いつものようにツッコミを入れようとして……言葉を止めた。
俯く渚のか細いその声は、震えていて。
華奢な肩は震えていて。
紙パックを握る小さな手は震えていて。
その小さな手に……一粒の雫がこぼれ落ちた。
二粒。三粒。
一度零れ落ちたその雫は……堰を切ったように溢れてきて。
その主は、我慢するように声を抑えて……静かに、泣いていた。
まるで今にでも消えてしまいそうな……。
そんな、儚い雰囲気に包まれていた。
「……」
その様子を俺は……なにも言わずに眺めている。
きっと
どうしたの……って、悩むことなく手を差し伸べるのだろう。
アイツにとってそれは、当然のことなのだから。
泣いている人がいたら寄り添う。
困っている人がいたら支える。
理由なんて必要ない。
お腹が空いたらご飯を食べるように。
朝起きて、夜眠るように。
彼らにとってそれは、『そういうもの』なのだから。
けれど。
俺にはその感覚が分からない。
ゆえに、目の前で泣いている少女にかける言葉が……見つからなかった。
ここでなにを言えば、『望み』に近付けるのかが……分からなかった。
この状況での相応しい言動を……持ち合わせていなかった。
大丈夫?
泣かないで?
そんな、ありきたりな言葉は口にしたくないって。
なぜだか今は……そう、思った。
「……っ」
声を潜め、感情を押し殺して悔しそうに泣くその子を。
俺はただ、黙って見ていることしかできなかった。
× × ×
「……ごめん」
それから五分ほど経っただろうか。
すっかり空になった紙パックのストローを咥えてボーっとしていると、渚が小さく声をあげた。
震えは収まり、涙も止まっている。
俺はストローを口から離し、明るく返事をする。
「いや? むしろ世界平和について、改めて考える時間ができたから都合がよかったぜ」
俺の超絶適当返事に渚は顔を上げた。
「……なにそれ……っ」
涙で赤くなったその瞳のまま、呆れたように笑う。
それは、俺がいつも見ている渚留衣の『笑い方』そのものだった。
そうだよな。
やっぱ俺にとって渚の笑顔といったら……その『呆れ笑い』だよな。
ちょっと安心した気がする。
「それで? 世界平和の答えは出たの?」
「全然? やっぱ難しいわ、世界平和」
「……ふふ。それはそうでしょ。なに言ってんの?」
泣くだけ泣いて心が軽くなったのか――
その声は明るさを取り戻していた。
気だるそうな……いつもの渚の声だ。
渚は袖で目元を拭い、俺を見る。
「――なにも言わないところ、あんたらしいね」
なんのこと……なんて聞かなくても流石に分かる。
俺がずっと黙っていたことだろう。
「んだよ? 優しく励ましてほしかったのか?」
「……いや。むしろわたし的にはそのほうが――」
冗談めかして言ったつもりだが、渚の様子は穏やかなままで。
首を左右に振って返事をするが……最後まで言わなかった。
「なんでもない。それで? なんの話だっけ?」
「んぁ? あぁ、ナイドラの話よ。渚と違って単発で当てたって話」
「ムカつく。二回言わなくていいから。……で?」
「パーティー編成のアドバイス欲しくて」
渚って、俺より弱いキャラでパーティー編成してるのに難しいクエストクリアしてるんだよなぁ。
俺が下手なのか、はたまた渚のゲームスキルが高すぎるのか。
渚がゲーム上手いだけだな。
俺は下手じゃない。悲しくなるから考えるのやめよう。
「あぁ……そういうこと。仕方ないなぁ」
渚はやれやれ……と面倒そうにソファーから立ち上がり、紙パックを持ったまま歩き出すと――
そのままポフッと音を立てて、俺の左隣に座った。
あ、隣に座るんですね。
別にいいんですけど。
座った拍子にふわっといい匂いがしたなぁとか思ってませんから。マジで。ホントに。
……女子ってなんでいい匂いするんだろうね。
「なに?」
「いえなんでも」
ジトッと目を向けてくる渚から顔を逸らす。
危ない危ない。
これだから思春期男子は……。
ちょっと男子ぃ!? しっかりして!?
「パーティー、組んであげるからもう一回キャラ見せて」
「あ、はい。ちょっと待ってな」
「ん」
渚がストローを咥えながら俺のスマホを覗き込んでくる。
「ほれ」
「んー」
渚は紙パックを持たない左手を伸ばし、指先で俺のスマホを操作する。
いや、距離近いなオイ。
なんでコイツ抵抗感とかないの?
俺男ですよ?
男としてまったく意識されてないってこと???
そんなのお父さん心配しちゃうよ?
まぁいいけど全然。
「例えば今の限定クエストをクリアしたいなら、このキャラとあとは――」
渚がコレ、コレ、とキャラクターを指差していく。
こうして渚先生によるナイドラ講座が始まった。
――と思いきや。
ピタッ……っと、渚の指が止まった。
「――青葉はさ」
「なんだよ」
え、なに。
いきなり名前を呼ばれるとちょっと怖いんだけど。
「聞かないの?」
なにを?
なんて、聞く必要はないだろう。
なにに対しての『聞かないの?』なのかが、すぐに分かったから。
「わたしと晴香に……なにがあったのか」
スマホに目を落としたまま、渚は俺に問いかける。
「あんたのことだから分かってるんでしょ? わたしがどうして……ここに座ってたのか」
そして渚は……最後にもう一度言った。
「聞かないの」
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