第36話 青葉花は自由人である

 青葉花。

 御年四十四歳の女性。


 スーツでビシッと身を固め、藍色の髪を後ろで纏めるポニーテールスタイル。


 身長は高く、活力を感じるエネルギッシュな雰囲気などから、まだまだ三十代前半で通じそうな見た目をしている。


 そんな『仕事のできるOL感』を醸し出すこの女性が――。


 不肖わたくし、青葉昴の母親である。


「え、なにしてんの」


 戸惑いの気持ちで、俺は母さんに尋ねる。


 いや、母親だから家にいるのは当然なのだけど。

 この時間に家にいることに対して戸惑いを感じているのだ。


「なにって……料理だけど?」

「いや分かっとるわ。いつもならまだまだ帰ってこない時間でしょ」


 壁掛け時計に目を向けると、時刻はまだ四時ほどで。

 

 スーツ姿であることから分かるように、母さんは所謂会社員だ。

 毎日朝早くから夜遅くまで働いている。


 なのにも関わらず、こうして家に帰って来ていることに疑問を抱いた。


「あーそういうこと? 会社の都合でみんな今日は帰れ~ってなってね。ヨッシャ! って思いながら帰ってきたわけ」

「ほぇーそうなのか」

「そそ。だからたまにはママが可愛い息子のために手料理を振る舞ってあげようと――」


 なるほどなぁ。

 今日はたまたま早く帰れたから料理を――


 ……ん? 料理?


 ……。


 ってこの人料理してるやん!!!!


 ヤバ!


「ちょ、母さん!? なに勝手に料理なんて――!」


 俺は慌ててキッチンに向かう。


 そこには――


 この世のものではない『なにか』が煮込まれた鍋が出来上がっていた。


 いや……これを鍋と呼んでいいのか?

 

 グツグツと沸き立つその鍋は、まず明らかに色味がおかしい。

 紫色の液体ってあれなに?

 

 そして、匂いもヤバい。


 食材も異常で、もはや原型を留めていなかった。なんなの? 異世界の食材でも使ってるの?

 

 絶対に関わってはいけないものだと、本能が語りかけてくる。


「……なにそれ」


 顔を引きつらせて尋ねると、母さんは俺を心配そうな顔で見つめる。


「なに……って、大丈夫? どこからどう見ても鍋でしょ?」

「鍋だったもの、じゃなくて?」

「むしろ鍋以外のなにに見えるってのよコレ」

「少なくとも鍋には見えねぇよ!?」


 ……ていうか待って。

 なんか鍋の縁溶けてない?

 

 なんか『ジュウウウ』とかいう鍋という料理からは絶対にしない音が聞こえてくるんだけど?


 いやもうこの人さぁ!


「中止! 料理中止!」

「え、ちょっと昴ー! なんなのー!?」

「なんなのー!? は俺の台詞だが!?」


 俺は火を止めると、鍋を持ってそのままシンクに流そう……と思ったのだが……。


 ……これ? 流して大丈夫なの?


 シンクごと溶かさない?

 排水口を腐敗させたり浸食したりしない?


 ……ふーむ。

 もしなにか起きたらアパートの大家さんに半殺しにされてしまう。


 ……そっと、手に持った鍋をコンロの上に戻した。

 

 この呪物はあとで専門家の指示のもと丁重に処理を施すとしよう……。

 専門家って誰か知らんけど。


「ちょっとちょっとー。せっかくママが料理してたのに〜」


 不満げに抗議する母さんにシッシッと手を振る。


「あのなぁ。あんなん食べたら俺一瞬で天国よ? お陀仏よ?」

「……南無」

「こら! 息子に南無とか言わない!」

「はーい。じゃあ着替えてこよーっと」


 母さんは楽しそうに笑い、そのまま奥の部屋へと入っていった。

 

 ったく……。

 やれやれ、とため息。


 先ほどのやり取りで察しが付くと思うが……。


 青葉花は壊滅的に料理ができない。

 しかも、自覚無しという最悪のコンボだ。


 息子に料理を作ってあげたいというその気持ちは嬉しい。

 嬉しいんだけど……俺はまだ死にたくないわけで。


 いやー……危なかった危なかった……。


「親父もこんな気持ちだったんかね……」


 呆れて笑いがこぼれる。


 俺はキッチンから離れ、壁際に設置している棚まで歩いていく。

 高さ的には俺のお腹程で。


 棚の上にはさまざまな雑貨のほか、一つの写真立ても置かれていた。

 その中には眼鏡をかけ、優しそうに微笑む男性の写真が収められている。


 俺はその写真を手に取り、口を開く。


「そのあたりどうだったんだよ。――


 当然、返事なんてあるわけなくて……。

 

「あれ、昴? どうしたの? しゅんくんの写真なんて見ちゃって」


 スーツからスウェット姿に着替えた母さんがこちらにやってきた。

 ポニーテールも解かれ、腰くらいまで髪が垂れ下がっている。


 全体的にダラっとしたそのスタイルは、先ほどまでのスーツ姿とのギャップが凄まじい。


 俺は写真を元の場所に置き直した。


「いや? こんなダークシェフの奥さんを持って大変だっただろうなぁって思ってさ。親父に聞いてた」

「ダークシェフて。失礼な息子くんだなぁ。隼くんなにか言ってた?」

「そらもう言ってたよ。『僕も大変だったぞ昴~!』って」

「ありゃりゃ。隼くんにそう言われちゃママはなにも言えないぜ~」


 母さんは俺の隣に立ち、写真立ての縁を撫でる。

 軽口を叩きながらも、愛おしそうな表情を受かべて写真を見ていた。


 俺は再度写真の男性に目を向ける。


 依然として微笑んだままだ。


「やっぱ親父がビシッと言ってくれないと……母さん自由過ぎるって」


 青葉隼。

 母さんと同じ現在四十四歳の男性だ。


 ――生きていれば、の話だけど。


 親父は……俺が小学三年生の頃に病気で亡くなった。


 それ以来、俺と母さんはこのアパートで二人で暮らしており、女手ひとつで俺を育ててくれた。

 

 親父はいつも優しくて、元気な人で。

 気持ち的には元気な人だったけど……身体は弱くて。


 まぁ……とにかく、しっかり者の父親だったことを覚えている。


 適当な部分が多い母さんとは、よく夫婦漫才をしていたものだ。


 ――『ほら花、部屋の掃除くらいちゃんとやろうよ』

 ――『え~。別にいいじゃん。ちょっと散らかってるだけでまだ全然――』

 ――『ん? なにか言った?』

 ――『いえなんでもないです。隼くん様の仰る通り掃除頑張ります!』


 なんて。そのようなやり取りをいつもしていた。

 上手く母さんの手綱を握っていたんだなぁ。


 ……あれ?

 なんかそんなやり取りすごく身に覚えがあるぞ……?

 いや……気のせいだな。ないない。覚えなんてない。


「はいはーい。じゃあそんな息子くんにお願いがあります」


 母さんはビシッと手を挙げる。


「なんすか」

「――お腹が空きました!」


 だろうなぁ。


 本当なら『自分で作ったあの異次元物質食ってろよ』と言いたいところだが、そんなことをしたら殺人の容疑で捕まってしまう可能性がある。


 仕方ないが、ここはなんとかしてやろう。


「へいへい。いつも通り適当に作るから、母さんは――」

「お、これママの出番ある!? お手伝いとかしちゃうよ!?」

「うん、大人しく待っててくれればそれでいいや」

「そんな犬みたいにっ!」


 手伝いなんてされたら、まともに料理ができたもんじゃない。


 前に一度、どうしても手伝いたいというからお願いしたことがあった。

 そのときはもう……本当に…ツラかった。


 『絶対これ入れたほうが美味しいって!』と砂糖を無駄にぶち込むし、マヨネーズを大量に注入しようとするし……そんな感じで、助手としては無能の極みだった。


 だから昔は父さんがずっと料理してたんだなぁ……としみじみ思ったものである。


「ほんじゃ、ちょっと早いけど晩御飯といきますか」

「おー! 息子くん頼りになる~!」


 ……ホントに調子がいい母親である。


 × × ×


「あー美味しかった~! やっぱり持つべきものは料理上手の息子くんだねー!」

 

 時間は経って。

 夕食後、母さんはテーブルについてテレビを見ながら満足そうにニコニコしていた。


「へいへい」


 一方の俺はシンクに立ち、料理で使ったお皿や器具やらをカチャカチャと洗っていた。


 え? なんで母さんに皿洗いをやらせないのかって?

 え? そんなことしたら皿割れるよ? 器具壊れるよ? いいの?


 ちなみに作った料理はオムライスである。

 卵がちょっと余り気味だったことや、パパっと済ませたい気持ちもあったからだ。


 特に難しいことはなにもしていないが、母さんに的には満足できたようでなによりだ。


「まさか平日のこんな時間に、昴と一緒にご飯を食べられるなんてねー。今日は会社に感謝だ」

「まぁいつもは遅いもんな。……あ、明日の弁当はあとで適当に作っておくから。朝、勝手に持って行ってくれい」

「おーいつも美味しいご飯ありがとー! 任せっきりでごめんよ~」

「いやむしろ任せてくれ。頼むから」


 勝手に変なもん食べられてなにかあったら俺が困る。

 

「あ、そうだ息子くん」


 バラエティ番組の楽しそうな音声がテレビから聞こえてくる。


 それを見ながらケラケラ笑っていた母さんが話しかけてきた。


「今度はなにかね」

「彼女出来た?」

「出来たとでも思うのかね?」

「わはは、予想通りだぜ」


 なんだこの母親。

 急に喧嘩売ってきやがって。


 うっかりお皿にヒビ入れちゃいそうだったんだが?


「昴はな〜」


 母さんは手を頭の後ろで組み、背もたれに寄りかかっている。


 テレビではなく天井を見上げながら言葉を続けた。


「私と隼くんという最強夫婦の子供なんだから絶対モテると思うんだけどなぁ」

「やっぱ喧嘩売ってるよね?」

「相変わらず司くんはモテてるんでしょ?」

「あぁもうモテモテよ。本人に自覚はゼロだけど」


 幼馴染であるため、母さんは当然司のことを知っている。

 というか、お互いの親同士も仲が良いため、よく知っている仲だった。


「司くんはもちろんいい子だけど……だったら昴もモテていいと思うのよねーママ的には」


 ……ずいぶん息子を買っている母親なことで。


「で、そのママが思うに昴に合いそうなタイプの子はねー」

 

 おうおう、次はなにを言い出すんだこの人は。


 俺は作業を優先して話半分で母さんの話に耳を傾ける。


 「うーん」と考え込む仕草をしながら母さんは話を続けた。


「まず、あんたは結構適当なところがあるから……尻に敷いてくれる女の子がいいかな。ビシッと言ってくれるような子ね?」

「いやそれ母さんが言う?」


 もうあんたやんそれ。

 

 てか俺、尻に敷かれること確定なのかよ。


 ビシッと言ってくれるような人ねぇ……。


 うーむ……。

 

「それって、まるで親父みたいな?」

「そうそう! 隼くんみたいな感じ。文句はいいからちゃんとやれ! って言ってくれるタイプ。いやー隼くんのおかげでママは成長できたなぁ」

「息子的にはもっと成長してほしいけどな」


 俺の言葉に母さんは「それほどでもないぜ~」と笑っていた。


 いや褒めてねぇし。

 

 相変わらずこの女、自由人である。

 

「あとはそうだなぁ……。昴は無茶しがちなところがあるから、優しくこう……すべてを包み込んでくれる子とか!」

「いやそんな聖母みたいな子いる?」

「うーん……あ、それこそ朝陽さんちの志乃ちゃんとか! あの子いい子だよね~! お義母さん! って呼ばれたいもん私!」


 「ぐへへ」と笑う様はもうただの変態だった。

 母さん、志乃ちゃんのことを娘のように可愛がってるからなぁ。

 

 この人曰く、司と志乃ちゃんは自分にとって息子と娘のような存在……とのことで。


 それほど二人のことを大切に想っているようだ。


「おい。もうそれあんたの願望じゃねぇか。志乃ちゃんを巻き込むなよ」


 たしかに志乃ちゃんはすべてを優しく包んでくれる聖母的な女の子だな……。つまり志乃ちゃんは聖母なのかもしれない。

 

 あーでもなぁ……そういうタイプだからこそ将来ダメ男に引っ掛からないか心配だな。

 『私がいないとなにもできないんですから、もう』とか言ってお世話してあげてそう。


 ダメダメ! そんな男に志乃ちゃんは渡しませんよ! お兄ちゃん許しませんよ!


 お世話するなら昴お兄ちゃんのお世話をしてっ!


「え~。案外いい線をついてると思うんだけどねぇ。ママってのは息子を良く見てるもんだぞー?」

「はいはい、そりゃどうも」


 でも、現に母さんは親父と結婚できていた。


 男の俺からしても、親父は良く出来た人間だと思う。

 正直不満は一つもなかった……記憶はある。


 そんな親父をしっかり捕まえて、離さないでそのまま結婚できたのは……母さんの男を見るセンスがあったからなのかもしれない。


 その母さんが言っているのだ。

 案外、今言ったとおりの相手が俺にピッタリなのかもしれない。


 ……が、肝心の俺自身はそう言われてもよく分からん。


 俺にお似合いな女の子のタイプ……ねぇ。


「あとはあとはー」


 このままだと一生話してるなこの人。


 ちょうど洗い物を終えた俺は、タオルで手を拭きながら母さんの話を遮った。


「もう分かったっての。とりあえず母さんは風呂でも入ってゆっくりしてくれ。ただでさえ休み少ないんだからさ」

「おお、たしかに! それじゃあお言葉に甘えてお風呂入ってこよーっと」


 母さんは椅子から勢いよく立ち上がり、お風呂場に向かおう……としたところで足を止めた。


 そのまま壁にかけられたカレンダーに顔を向けると……「あっ」と声をあげる。


 え、なに。

 なんかあるの?


「そういえば、息子くん」


 母さんは俺に身体を向けた。

 

「なんですの母上様」


 そしてそのままニッコリと笑顔を浮かべ――


「――明後日、あんたの誕生日じゃん」


 ……ほぇ。

 俺も母さんのようにカレンダーに顔を向ける。


 本日は六月十八日。


 明後日、六月二十日は――。


 俺の……十七歳の誕生日だった。


「……あ、そうですやん」

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