第35話 青葉昴はじゃれ合う(?)

 日向によるご褒美デートの一件から数日が経過した本日。

 

 いよいよ本格的に梅雨に入ったということで、俺たちは毎年恒例の六月の洗礼を受けていた。


 ジメジメと嫌な暑さに襲われ、気が滅入る。


 さすがに俺のキラキラクールパワーでも天候には勝てない。

 ジメジメダークパワーに呆気なく敗れ去っていた。なんの話?


「いや、あっつ……司、なんとかしてくれよこの暑さ」

「お前は俺をなんだと思ってるんだよ……。というか俺もこの暑さどうにかして欲しいよ……」


 ダラーっと椅子の背もたれに寄りかかる。


 現在は放課後。

 先ほど帰りのホームルームが終わったばかりだ。

 

 ワイワイとした雰囲気の中、俺は司に話しかける。


 しかし、司も司で暑さにやられてしんどそうな顔をしていた。


「うん、ホント…暑いねぇ。夏が来たって感じがするよー……」


 蓮見はノートでパタパタと扇ぎ、自分に風を送っていた。


 ……ふむ。

 

 ……皆のもの、気付いただろうか?


 この蓮見、暑さのせいかブラウスの首元部分のボタンを開けているのだ。

 つまり……胸元が緩くなっているわけで……。


 そしてノートから送られる風で、ブラウスの襟元がふわっと浮かび、健康的な……それはもう素晴らしい汗ばんだうなじが姿を見せていた。


 うむ。これが世界文化遺産か……。


 六月、おめぇなかなかやるじゃねぇか……。

 

 ありがとう……六月。

 ありがとう……蓮見。


「晴香、青葉があんたのことやらしい目で見てる」


 一人でぐへへと喜びに浸っていると、防衛大臣による通報が入った。


「えっ!? ちょ、ちょっと青葉くん!?」


 蓮見は顔を赤くし、身を守るように自分の身体を抱いた。


 ──ちっ、余計なことを。


 俺はそんな蓮見を見てニッコリと笑顔を浮かべる。


「──ありがとうございました。最高でした!」

「いやせめてちょっとは否定してほしいな!?」

「はぁ!? なんだよ俺が悪いってのかよ!?」

「しかも逆ギレだ!?」


 なんだなんだ!


 俺はただ目の前に広がる素敵な景色を見ていただけじゃないか! 失礼な!


 ぷんすか!


「……キモ」


 ──おぉっと?


 無視できないその言葉に俺は反応する。


 右隣の席に顔を向けると、そこにはいつものようにジトッとした目で俺を見ている渚がいた。


「おうコラなんだと渚。湿気でくしゃくしゃになったその癖毛をわしゃわしゃしてやろうか? おおん?」


 渚は元々癖毛であるため、湿気の多いこの時期が大嫌いなようだ。


 髪纏めるのが大変とか、すぐに髪が跳ねるとか……悩みが絶えない様子。

 きっと渚だけではなく全国の癖毛民もそうなのだろう。


 俺も少しは癖あるけど……渚ほどではないから実感はあまりなかったりする。


 フハハハ。苦しめ渚。


「絶対やめて。そんなことしたらあんたの前髪だけ禿げる呪いかけるから」

「地味にエグい呪いかけるのやめてくださる?」


 キッと俺を睨みつけて。


 前髪だけって……それはそれでちょっとエグくない?

 他はふさふさなのに前髪だけないってことでしょ?


 嫌だい! 俺はまだ禿げたくないやい!


「ん? また青葉と留衣がじゃれ合ってるの?」


 俺たちの会話に入ってくる声。

 

 その人物……月ノ瀬玲は楽しそうな様子で俺と渚の席に向かって歩いてきた。


 先ほどまで、前方の席で他のクラスメイトと話していたのだが……。


 どうやら話が終わったためこちらに来たようだ。


「月ノ瀬さん」


 月ノ瀬の言葉に渚がすかさず反応し、俺をビシッと指差す。


「コイツとはそういうのじゃないから。じゃれ合うとかありえないから」


 よくある照れ隠し……ではなく。

 

 渚は真顔で否定していた。

 逆に清々しいまでの真顔だった。


 いや、あの……言われてから否定までがノータイム過ぎない?


 もっとこう……『じゃ、じゃれ合いって……ち、違うんだからぁ!』みたいさぁ! 顔がカーって赤くなるとかさぁ! 可愛い反応をしてくれよ!


 おめぇ蓮見を見習えよ!


「おいおい、るいるい。いくら恥ずかしいからって急いで否定しなくても──」

 

 おいおいとるいるいってなんか似てるね。


「は?」

「なんでもないです渚さんのおっしゃる通りでございます」


 うん無理☆ 怖すぎ☆


 この間、電話で話したときの志乃ちゃんも怖かったけど……。

 アレはね、マジで怖かった。

 思わずスマホに向かって土下座したもんね俺。


 でも渚は渚で怖さのベクトルが違うのだ。


 志乃ちゃんがニコニコしながら精神的にジリジリ追い詰めるタイプだとしたら……。


 渚は……そうだな。

 真顔で銃を突きつけられて『言うこと聞けよ。さもないと……分かるよな?』と物理的に追い詰めるタイプの怖さだ。


 いやコイツ怖すぎだろ。


「――ねぇ。あんた失礼なこと考えてない?」

「いやいやいや滅相もございません。渚様は今日もお美しいなって考えてました」


 いやー渚ちゃんは今日も可愛いなぁ。

 特にあの癖毛なんて最高にキュートだネ。


 ホントホント。ウソジャナイヨ。


「……あっそ。で、ホントは?」

「コイツマジで怖いな――っておい待て! 無言でシャーペンをカチカチするな! 芯が困るでしょ! ボクこのまま先っちょから出ちゃうけどいいの!? ってなっちゃうでしょ!」


 表情一つ変えずに、ひたすらシャーペンをカチカチする様はホラーでしかなかった。


 危なかったぁ……。

 下手したらあのままシャーペンで刺されてたかもしれない。


 恐るべしアサシン渚。


 渚は仕方なさそうにシャーペンを机に置くと、ため息をついた。


「はぁ……。ただでさえ暑いのに……あんたの相手をしたせいで余計に暑くなったんだけど……」

「それだけ俺が熱血少年ってことだな」

「なにか言った?」

「いえなんでも」


 サッと顔を逸らす。


「……え。これ、じゃれ合いよね? ……違うの?」


 月ノ瀬が困惑した様子でそう言うと、司と蓮見を見て首をかしげた。


 おいおい、またそんなこと言うと渚パイセンの一撃を受けるぞ? 俺がだけど。


「あはは……。そう……かも……?」

「まぁ……いつもの二人って感じだなぁ」


 二人は互いに顔を合わせ、なんとも言えない表情で頷いた。

 

「ハッハッハ! 渚、それほど俺たちは仲がいいって――」

「うるさい」

「はい」


 対戦ありがとうございました。

 ダメでした。


「……はぁ、やっぱりアンタたち。絶対仲良いわよね……?」


 月ノ瀬はこめかみに手を当て、ため息。


「ああ。仲良いぞ!」

「良くないから。全然良くないから」


 しかし、渚は頑なに首を左右に振っていた。

 もう! そんなに否定すると昴くん泣いちゃうぞ!


「あ、そうだ昴。全然関係ないんだけど」


 おっと次は司か。

 渚とじゃれ合い? をしている間、蓮見と話していた司に呼ばれる。


 「おん?」と俺は顔を向けた。


「この間さ、日向の買い物に付き合っただろ?」

「おう。それが?」

「多分その日からさ、志乃の機嫌がいいんだよ。お前なにか知らない?」

「え、そうなん?」


 司は頷く。


 志乃ちゃん、機嫌いいのか。

 たしかにあれから何度か話したけど……そう言われてみればちょっと機嫌が良かった気がする。


 志乃ちゃんの機嫌が良くなるようなこと……ねぇ。


 いやアレだろ。


「お前にノートを買ってもらったからだろ」


 俺の言葉に司は「あー……」と声をあげた。


「お兄ちゃんにノート買ってもらっちゃった! 嬉しい! ってパターンじゃねぇの?」


 むしろそれ以外に考えられない。


 俺と電話で話したときはめっちゃ怒ってたし。

 なんとかいろいろ話して志乃ちゃんの怒りを収めることはできたけど……。


 俺、変なこと言ってなかったよな?

 大丈夫だよな?


 大好きな司からノートを買ってもらって、それを使ってコミュニケーションも取れて、志乃ちゃんからしたらハッピーだろう。


「そうなのかなぁ……」

「そう思っておいたほうがお兄ちゃん的にも嬉しいだろ?」

「それはそう! うーん……まぁ、今はそう思っておくかぁ」

「そうしろそうしろ」


 実際そうだと思うけどな!

 

 お兄ちゃんに貰ったノートをウキウキで使って勉強してる志乃ちゃん。

 ……おいおい可愛いなぁ!


「あ、そっか。アンタたち、日向と一緒に買い物行ったんだっけ?」

「うん。志乃も一緒にちょっと前にね」

「なにか面白いことなかったの? 例えば……そうね、青葉が店内で急に踊りだしたとか」

「ちょっと月ノ瀬さん? お前の中で俺はなんなの??」


 どんな状況だそれ。むしろ俺が気になるわ。


「えーそうだなぁ……」


 興味津々そうに話に加わる月ノ瀬に、司がそのときの出来事を話し始めた。

 蓮見も渚も、同じように司の話を聞いている。


 ――ま、そんなわけで!


 以上、そんな何気ないじゃれ合いのひとときである。


 × × ×


 司たちと別れた俺は帰路についていた。


 ワイシャツの下にだらだら汗をかいて不快な気持ちで道を歩く。

 帰ったらシャワー浴びようかなこれ……。


 日向とかはこんな暑さの中で部活やってるんだろ?


 いやー……素直に尊敬するわ。

 俺ならダンクシュート決めてそのまま『暑いから帰るの!』って帰宅するレベル。


 なんて変なことを考えていると、ようやく我が家の前に辿り着く。


「帰ってきたぜぇ……我が家ぁ……」


 俺の目に映るのは三階建てのアパート。

  

 新築感は無く、むしろ古い印象を受ける。

 まぁ実際そこそこ古かった気がするけども……。


 俺は階段を上り、二階へと向かう。


 そのまま一番奥へと歩いた。


 二階奥、角部屋。

 二〇六号室。

 

 その扉には『青葉』と書かれた表札が付けられている。


 てなわけで……。


 我が家もとい、我が部屋に到着。

 

「たでーまーっと」

 

 鍵を開け、玄関に入る。

 

 ただいまと言ったものの、帰ってくる声はない。

 それもそのはず。


 今の時間的に家には誰も──


「あれ?」


 靴があった。


 あ、いやもちろん玄関だから靴はあるのだけど。

 いつもならまだ存在していないはずの革靴が、そこに並んでいたのだ。


 え、まさか……。


 俺は靴を脱ぎ家に上がると、そのままリビングを目指す。


 そこには──


「あ、昴。おかえり~!」


 リビングに併設されたキッチンでなにか作業をしている女性の姿があった。


 その女性は俺の姿を見てニッと笑う。


「え、なにしてんの。てかなんでいるの」


 仕事を終えてそのままなのか、家の中なのにスーツを着ている女性は──


「母さん」


 青葉はな


 俺の母親である。

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