第34.5話 私のもう一人の兄さん【後編】


 青葉昴さん。


 一つ年上の男性で、兄さんの親友。

 そして私にとっても、もう一人の兄のような存在。


 小学六年生のあの日……私はあの人と出会った。


 ──『志乃ちゃん!』


 第一印象は……うるさい人。


 うるさいし、変なことばかり言ってるし、しつこいし……あとうるさいし。


 冷たい態度をとる私に対して、兄さんと一緒になって何度も何度も……話しかけてきた。


 ヘラヘラして、適当なこと言って……志乃ちゃん、志乃ちゃんってずっと名前を呼んできて……。

 私は……そんなあの人のことが大嫌いだった。


 兄さんも、昴さんも……大嫌いだった。


 けれど。


 その気持ちは二人に関われば関わるほど……ぐちゃぐちゃになっていって。


 家を飛び出して公園に行ったあの日。

 私と兄さんが『兄妹』になった日。


 そんな昴さんと、私は初めてちゃんと話をしたんだ。


 今まで冷たい態度ばかりとって怒っていたり、呆れていたりしていたはずなのに。

 兄さんと一緒になって私を探し回ってくれたのに。

 連絡もしないで家に帰らなかった私のことを……絶対に心配してくれていたはずなのに。


 昴さんはそんな素振りを一度たりとも表に出さなかった。


 私と兄さんが話しているときだって、昴さんはずっと背を向けていて……。


 まるで……最初からそこに自分がいなかったかのように。


 ――思えば、あの日からずっとそうなのかもしれない。


 私は昴さんに対して、言葉にできない『歪み』のようなを感じていた。


 × × ×


 耳にあてたスマホから呼び出し音が聞こえてくる。


 衝動的に昴さんに電話をかけ……約五秒ほどだろうか。

 たった五秒のはずなのに、なんだか長く感じた。


 そして――


『へいほーい。どしたの志乃ちゃん。珍しいね』


 思わず力が抜けそうな間抜けな言葉。


 いつも通り陽気な昴さんが電話に出た。


 私は一度深呼吸をして気持ちを整える。

 このままだと……勢いで変なこと言ってしまいそうだから。


「こんばんは。昴さん」


 私は穏やかに話したつもりだった。


 つもりだったのに。


『……あれ、もしかしてなにかあった?』


 この人には……通じなかった。


「え?」

『あーいや、なんか声の調子がいつもと違ったからさ。大丈夫ならいいんだけども』


 本当にこの人は……。


 昴さんは察しがいい。


 今日あった私の体調不良の件もそうだが、普段の性格からは想像がつかないほど周りをよく見ている人だ。


 でも、察しがいいからこそ。

 

 いつも……勝手に決めて、勝手な行動ばかりしている。


 それが私は……本当に嫌だった。


「そう……ですね。……はぁ」


 気が付けば私は……大きなため息をついていた。


『……志乃ちゃん?』

 

 もう……いいや。


「――昴さん」


 自分でも驚くくらいに……低い声が出る。


『お、おう』

「私、嬉しいことがあって」

『とても嬉しいテンションの声じゃないですよ志乃さん』

「兄さんにノートを買ってもらったんです。可愛い……動物のノートを」

『あれ? これ俺の声聞こえてる?』


 昴さんがなにか言っているが、私は構わず話を続ける。


「ついさっき、そのノートを渡されまして」

『……ほぇー。良かったじゃん。お兄ちゃんからのプレゼントだ』


 良かったじゃん……?


 思わずスマホを握る右手に力が入る。


 分かってるくせに。

 あなたが仕組んだくせに。


 そうやって……また知らないふりをするんだ。


「そのお礼をって思って」

『お礼?』

「うん。だから、ありがとう。――昴さん」


 後々まで気が付かなかったが、敬語がすっかり抜けていた。


 スマホの向こう側から一瞬、息を呑む声が聞こえてくる。


 昴さんのことだから、この意味……分かるよね?


「全部、兄さんから聞いた。昴さん……あのときノートのことを兄さんに伝えてたんだね」

『あー……まぁ、な。別にほら、わざわざ伝えるまでもないっていうか――』

「ん? なに?」

『あ、いや、なんでもないです。てかあの……志乃ちゃんさん? 敬語が……』

「な、に?」

『いえなんでもないです引き続きどうぞよろしくお願いいたします』


 ガタガタッと昴さんの部屋……かどうかは分からないけど、慌てる音が聞こえてきた。

 

 ひょっとして昴さんのことだから、電話しながら土下座してるんじゃ……?


 ……昴さんだからありえそう。

 蓮見先輩曰く、青葉くんの土下座はもはや芸術の域……とのことだし。


「あのね、昴さん」

『はいなんでしょう』

「ノートの件については素直に嬉しいんだよ? 昴さんが私の話をちゃんと聞いてくれていたってことなんだから」

『はい』

 

 これはもちろん事実で。


 あんな一瞬話しただけのことを覚えていてくれて……しかも、それを実行に移してくれたことは嬉しい。

 

「だけどね」

『はい』


 もう『はい』しか言わないよこの人。


「だったら……どうして昴さんからのプレゼントにしてくれなかったの? そうじゃなくても、どうして私になにも言ってくれなかったの?」

『……それは』

「昴さんはさ、兄さんからのプレゼントって形にしようとしたよね? 私、兄さんに言われてやっと分かったんだよ? これは昴さんが言ってくれたことなんだって」


 なんでもいいから、一言欲しかった。

 どんな形でもいいから……昴さんが関わっていたってことが知りたかった。


 そこまで兄さんからのプレゼントって形にこだわりたかったのなら。


 例えば、兄さんと昴さんで相談し合って決めたーとか。

 『ノートの件、司に頼んでおいたからあとで貰っておいてー』って私に言うとか。

 

 いろいろ……方法はあったよね?


 なんで。


「なんで昴さんは、自分は関わってないって。知らないって。関係ないふりばかりするの?」


 現にこうして私が言うまで、昴さんは知らないふりを通そうとしていた。

 仮に隠すつもりがそこまでないのなら、あそこで一言なにか言えばいいだけの話なのに。


 それを……この人はしなかった。


「ノートの件だけじゃない。ほかのことだってそう。昴さんは見えないところですごく考えて、みんなのためにいろいろやってくれるのに――」


 一度溢れた言葉は止まらなくて。


 直近では、兄さんや月ノ瀬先輩たちとスポパに行ったときがそうだった。


 先輩が転校前のクラスメイトに秘密を暴露されて、逃げ出してしまったあのとき。


 追いかけるべきかどうするか悩んでいる兄さんに真っ先に声をかけた。

 月ノ瀬先輩を追え……って。


 そして、嫌な雰囲気のままだったあの場から、昴さんは私たちを逃がしてくれた。


 自分だけが……残るような形にして。


 結果的には渚先輩も残ったようだけど、昴さんにそのつもりはなかったはずだ。


 あれは私たちを想っての行動だっていうのは……分かってる。


 分かってるから……悲しい。


 だって、昴さんのああいう行動は初めてじゃないから。


 中学生の頃からそうだった。

 

 兄さんや日向が悩んでいるとき。

 私が悩んでいるとき。


 なにか問題が起きたときや、イヤなことがあったとき。


 そのたびに昴さんは、いつも笑顔を浮かべながら『大丈夫だぜ』って言って……助けてくれた。


 けど、その姿を絶対他人に見せようとはしない。


 陰で勝手に動いて……勝手に解決して。


 勝手に私たちを……救ってくれた。


 何度も。何度も。


 『助けた』なんて昴さんは一度も口にしたことがないけど、結果的に助けてくれたんだ。


 私はそんな昴さんの姿を……ずっと見てきた。


「昴さん。どうして――」


 どうして昴さんのことを考えると胸がざわつくのか。

 どうして昴さんのああいう姿を見ると寂しくなるのか。


 分からないけど、私は──


『志乃ちゃん』

「――え?」


 最後まで言い終わる前に、昴さんは私の名前を呼んだ。


 無理やり私の言葉を遮るかのように……。


『志乃ちゃん。まず……素直にそれはごめん』


 穏やかな声で昴さんは話す。


 穏やかだけど……どんな表情をしているのかは分からない。

 昴さんは、どういう気持ちで私の話を聞いていたのだろう。


 どんな顔で……聞いているのだろう。


『なんていうかさ……司のプレゼントって形のほうが、志乃ちゃんが喜ぶと思ったんだ』

「それは……」


 すぐに否定できない自分に腹が立った。


 そんなことないってすぐに返事ができなかった。


『大丈夫。分かってるって。それにほら、最近月ノ瀬の件だったりなんだりで、司とあまり話せてなかっただろ?』


 月ノ瀬先輩が転校して来たことで、兄さんの周りにまた一人女性が増えた。


 家ではもちろん兄さんとたくさん話せるけど、それ以外……例えば学校で話す機会は大幅に減った。


 それどころか、生徒会長さんの手伝いなどで放課後も残ることが多いから……家で話すことも以前よりは減ったと思う。


 もちろん、学校で話すことはなかなか難しい。

 学年が違うこともあるし、私自身少し恥ずかしい気持ちはあるし。


 だけど、それこそ中学生の頃は休み時間のたびに兄さんと……あとは昴さんがいつも様子を見に来てくれた。


 周りの子に冷やかされることもあったけど……嬉しかった。


 流石に今はもう、そんなことは無くなっているけれど。


『ノートを渡すことを利用して、二人がコミュニケーションを取れるかなって。事前に言わなかったことは……ホントにごめん。それは俺の配慮不足だったよ』


 分かってる。


 昴さんに悪気がないなんてことは分かってる。

 私のことを想った結果の行動だということは分かってる。


 いっときの感情で昴さんに余計なことまで言ってしまった……。


 申し訳ない気持ちが湧き上がってくる。


「ううん。昴さん……その、私も言い過ぎちゃいました。……ごめんなさい」

『いやいや。志乃ちゃんが謝ることないよ。てめぇ昴お前のせいでなぁ! って思ってもらってダイジョブジョブ』


 この人はいつも優しい。


 『それに』と昴さんは話を続ける。


『俺が見えないところで云々って話だけどさ』

「あ、はい」

『まず大前提として、俺は俺なりに……まぁその、いろいろ考えてるわけで。自分だけがーとか、そういうつもりは一切ないんだよ。物事が一番解決しやすい方法を俺なりに選んでるってわけ』

「でも、それだと昴さんが…」

『いいのいいの。そこは便利屋昴さんに任せておきなさい』


 釈然としない気持ちはあった。


 だって、それだと昴さんが報われない。


 それになんとなく……昴さんが明確な答えを避けているような気がして。

 

 昴さんの本心じゃない気がして。


『それでも納得できないなら……じゃあさ、志乃ちゃん』


 やっぱり私にはなにもできないのかな……。


 俯く私に……飛び込んできたその言葉。


『俺がもうしんどい~! ってなったら、そのときは――』


 そのときは……?





『俺を助けてよ』





「――え」


 俺を助けてよ。


 そのシンプルな一言で……胸が暖かくなった。


 不甲斐なさで泣きそうだった気持ちが……晴れる。


 思わずハッと目を見開く。


『志乃ちゃんレスキュー出動ってな! そんときは要救助者の昴くんを助けてやってくれ。もちろん志乃ちゃん隊員らしい方法でさ』

「ふふ、なんですかそれ」


 自然と笑みがこぼれた。

 肩の力が抜けた。


『お、やっと笑ってくれた。安心安心』

「む。じゃあさっきの冗談ってことですか?」

『いや? 志乃ちゃん隊員の今後に期待してるぜ』

「仕方ないですねー……。そのときはバッチリレスキューしてあげます」

『おお、頼りになるぅー!』


 今日の喫茶店のときもそうだった。


 この人と話していると、いつも最後には笑顔になる。

 最初は苦しくて仕方ないのに……最後には絶対笑顔にしてくれる。

 

 明るくて、面白くて、ちょっぴり意地悪だけど……頼りになる私にとってのもう一人の兄さん。


 困ったときはすぐに助けてくれて。

 悩んでるときはすぐに手を差し伸べてくれて。

 凍っていた私の心を……二人で溶かしてくれて。

 大好きな兄さんを……いつも隣で支えてくれて。


 いつもいつも……助けられてばっかりで。


 どんなときでも……私のそばには兄さんと……そして昴さんがいてくれた。


「……ぁ」


 あぁ――そっか。


 どうして私は昴さんに対して怒りを覚えていたのか。


 どうして昴さんに対して悲しみを抱いていたのか。


 答えは……簡単だったんだ。


 ――『俺を助けてよ』


 私は……ただ。


 ただこの人に……頼って欲しかったんだ。

 

 後ろじゃなくて……その隣を一緒に歩きたかったんだ。

 

 守られてばかりではなく、私もこの人を……守りたかったんだ。


 だから……なにも相談してくれない昴さんに対してモヤモヤしてて……。


 パズルのピースのように。

 ストン……と、私の心の中でなにかが綺麗に嵌まった気がした。


 ――と、同時に。


 トクン。


 心臓が……跳ねた。


「……あれ?」

『志乃ちゃん? どうかした? トイレ?』

「……昴さん、女の子にそういうこと言うのは最低です」

『おかしいな。これで数多の女子を落としてきたというのに……』

「どんな女の子ですか? それ」


 あぁ……楽しい。

 この時間が……たまらなく楽しい。


 兄さんと話す時間は好きだ。

 日向と話す時間も好きだ。


 そして。


 昴さんと話す時間も……好きだ。


 こんな楽しく幸せな時間がずっと続けばいいって……心の底から思う。


 昴さんの『歪み』の正体はまだちゃんと分からないけど。

 分からないからこそ、これから先も昴さんのことを見ていこう。


 昴さんが困っているときは絶対に私が昴さんを助けるんだ。

 

 ――そして、いつか。


 昴さんが……を見せてくれる日が来ることを願って。


 私なりに頑張ろう。


「ふふ」

『お、どしたどした』


 どうしようもない人。

 いつも無茶ばかりする人。

 ふざけてばっかりの人。


 本当に、本当に……仕方のない人。


 仕方のない人だけど……兄さんと同じくらい大切な人で。

 

 同じくらい――


「なんでもありませーん」

『おん? なんか……急に機嫌良くなったな』 


 大好き。


 青葉昴さん。

 私の……自慢のもう一人の兄さんだ。

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