第34.5話 私のもう一人の兄さん【前編】

「志乃、そういえばコレ渡すの忘れてた」


 兄さんたちと買い物に行ったその日の夜、自室で過ごしていると兄さんが訪ねてきた。


 部屋の扉を開けると、兄さんが紙袋を私に手渡す。


 なんだろう? と首をかしげる。


 この紙袋のロゴ、今日行ったショッピングセンターにあるお店のものだったような……。


「兄さん、これって……?」

「まぁとりあえず中を見てくれよ」

「う、うん」


 本当になんだろう?


 私は兄さんから受け取った紙袋を開き、中に入っているものを取り出した。


「あ、これ──」


 私の目に映るのは……一冊のノート。


 動物が描かれた可愛らしいピンク色のノートだった。

 可愛いらしい、といっても完全に子供向けのデザインではなく……。


 高校生が使用しても違和感のないシンプル且つオシャレなデザインだった。


 それにしても、どうして兄さんがノートを……?


「自習用のノート、使い切りそうなんだろ?」

「えっ……」


 驚いた。


 確かに兄さんの言う通り、ここ最近使ってきた自習ノートをそろそろ使い切りそうだった。


 今日、日向の買い物に付き添うついでにノートを見てみようかな……と思っていたけれど。


 体調を崩してしまったせいで、結局買えずに終わってしまった。


 また今度でいいかなって……諦めていた。


「一応いろいろ見たうえでそのノートにしたんだけど……気に入らなかったらごめんな」


 私はノートを胸に抱く。


 気に入らないなんてことはありえなかった。


 兄さんが悩んで選んでくれたもの。

 それだけで、すごく……すごく嬉しい。


 緩みそうになる口元をグッと抑える。


 「ううん」と首を左右に振る。


「嬉しいよ、すっごく。ありがとね、兄さん」


 私の言葉に兄さんも嬉しそうに笑う。


 兄さんのこの笑顔が私は大好きだ。

 この笑顔に……私は救われたから。


「それは良かった。女子に贈り物をするなんてこと、全然ないからさ」


 何気ないその言葉に。

 トクン、と胸が小さく高鳴る。


 それはつまり……私は兄さんにとって特別だということ……?

 

 ──なんて、こんなことを聞いても兄さんを困らせるだけだけど。


 兄さんの言葉にそれ以上の意味がないことはもちろん分かってる。

 兄さんにとって私は大切な家族であって、そこにそれ以上の感情は存在しないことは分かってる。


 分かってるけど……早まる胸の鼓動は正直者で。


 トクン、トクン、とその存在感を私にアピールしていた。


「いやー安心した。『こんなノートやだ!』って言って捨てられたらどうしようって不安だったんだ」

「ふふ、そんなことするわけないよ。どんなものでも……兄さんから貰ったってだけで嬉しい」

「そっか」


 嬉しい。


 ノートのことなんて言っていなかったのに。

 

 私の事情を察して、こんな贈り物をしてくれるなんて。


 いつもは呆れるくらいに鈍感なのに……。

 こういうときだけ察しがいいなんて。


 本当に……どうしようもない兄さんだ。


 ──だけど。


 実際のところ、どうしてノートのことを知っていたのだろう?


 もちろん話していないし、兄さんが私の部屋に勝手に入ることはないはずだ。


 他の誰かに話した記憶なんて──


「でも、お礼なら俺じゃなくてに言っておけよ?」


 ……。


 ──え?


「昴……さん?」


 どうしてそこで昴さんの名前が出てくるのだろう?


「ああ、昴な。これこれ」


 兄さんはポケットからスマホを取り出し、操作をしてから私に画面を見せる。


 そこには、兄さんと昴さんがメッセージのやり取りを行っているトーク画面だった。


 そして。


 そこには。


 ──『お前の可愛い妹、自習用のノートが欲しい様子。買ってあげてよお兄ちゃん♡』


 とても昴さんらしい……お茶目なメッセージ。


 うそ……。なんで……? 


 私はそのメッセージが送られた時間を確認する。


 えっと、たしかその時間は……。


「……!」


 私と昴さんが……喫茶店にいた時間帯だ。

 

 あのとき既に兄さんにノートのことを話してたの? 本当に?


 だって、そんな素振りまったく──


 ……あっ。


「まさかあのとき……」


 私はそのときのことを思い出す。


 ──『女の子からいっぱい連絡来るからさ。それの返信してた』


 昴さんはあのとき……スマホを操作していた。

 

 タイミング的に……アレしかない。


 また変なこと言ってるなぁって流しちゃったけど……。

 まさかこんな内容のメッセージを送っていたなんて……。


 そんなの……分かるわけないよ、昴さん。


「それにしても志乃、いつの間に昴にノートの話なんてしてたんだ?」

「いつ……?」


 兄さんの質問に、すぐに答えることはできなかった。


 兄さんの言う通り……。

 私はいつノートのことを昴さんに……?


 私は今日のことを改めて振り返る。

 

 駅前で集合して、ショッピングセンターに行って……暑さとか人混みにやられて気持ち悪くなって……。

 

 しばらく我慢してたけど、昴さんにバレちゃって……。


 ……昴さんにバレる?


 あれ?


 私、その前に昴さんとどんな話をしてた?

 体調のせいであまりハッキリと覚えていないけど……。


 思い出して、志乃。


 たしか──昴さんに質問されたんだ。

 

 ──『あ、いやさ。志乃ちゃんもなにか欲しいものないのかなって』

 

 そうだ。そう聞かれた。

 そして私は答えたんだ。


 ノート……って。


 そのときはもう結構体調的に限界で……話すだけでキツくて。

 その後すぐに昴さんに体調不良を見抜かれて……。


 じゃあ、昴さんは。


 あんな何気ない一瞬の会話をちゃんと覚えてたってこと……?

 

「私……聞いてないよ、昴さん」

 

 ノートのことなんて……一言も聞いてないよ。


 きっと昴さんは、最初から『兄から妹へのプレゼント』という形で話を終わらせるつもりだったんだ。


 兄さんが昴さんとのやり取りを見せてくれなかったら……気が付かなかった。

 

 悔しくて……思わず唇を噛む。


 胸の高鳴りなどもう……どこかに消え去っていた。

 

「志乃? 大丈夫か?」


 兄さんが心配そうに私を見る。


「ごめん兄さん! 話はまたあとで!」

「えっ、ちょ、志乃──」

 

 私は兄さんを部屋の外へ押しのけ、そのまま扉を閉める。


 そして急いで机の上に置いていたスマホを手に取った。


「本当にもう……! あの人はいつもいつも……!」


 沸々と怒りが湧き上がる。


 今回は流石にちゃんと言わないと気が済まない。

 私はLINEを開き、友達リストから目的の人物を探し出す。

 そのままトーク……ではなく音声通話ボタンをタップした。


 ──絶対に言ってやるんだから。


 あのどうしようもない……『もう一人の兄さん』に。

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