第32話 朝陽志乃という妹は
中学一年生のある日。
「紹介するよ。新しい家族、義理の妹の志乃。俺たちの一つ年下だ。昴も仲良くしてあげてほしい」
「妹……? え、しかも義理……!? はぁ……!?」
司の父親が再婚した。
それに伴い、新しい住居に引っ越すことになった。
その引っ越しが終わり、新生活が落ち着いたある日、俺は司に招待されてアイツの家に遊びに行った。
司の父さんのことはすでに知っていたし、新しい家族はどんな人たちなのかなぁ……と会うのが楽しみだったし、緊張もしていたことを覚えている。
そして当日、司の新しい家に遊びに行ってリビングに通された俺は……一人の女の子を紹介された。
小柄で痩せ気味なその子は、お世辞にもあまり健康的には見えなかった。
しかし肩まで伸ばした艶のある黒髪や整った容姿、透き通るような綺麗な桃色の瞳など、そのほかの要素が彼女が美少女であることを証明していた。
今にも消えちゃいそうな子だな……。
それが俺が司の妹に対して抱いた第一印象だった。
「それで、志乃。コイツは俺の親友の青葉昴。いつも無駄に明るくて騒がしいヤツだよ」
「無駄にってなんだ無駄にって。いつも元気で優しい昴くんでしょーが」
「え、誰の話?」
「話の流れ的に俺以外にいる!?」
そんな、気兼ねないいつものやり取り。
これで志乃ちゃんとやらに変な印象持たれたらどうするんだよ……なんて思っていたけど。
その志乃ちゃんはというと……。
バカみたいな話で盛り上がる俺たちを、冷めきった目で見ていた。
どうでもいい。
そう、その表情が物語っていた。
愛想笑いや相槌など一切なく、ただただ冷たい雰囲気を身に纏っていた。
俺はそのヒヤヒヤオーラに気圧されながらも、なんとか笑顔を取り繕って話しかける。
相手は年下みたいだし、俺がリードしてあげなければ……。
「えっと……志乃ちゃん? 俺は青葉昴。よろしくね」
「……」
返事は、ない。
それどころが目も合わせてくれなかった。
えー無視……?
女子……しかも年下の子に無視されるとは……中学生の思春期メンタルに大ダメージである。
その後、志乃ちゃんは小さくため息をつくと俺たちに背を向けた。
「用は済みました? では、私はこれで」
淡々とそれだけを言い残してこの場から立ち去ろうとする。
流石に見かねた司が止めに入った。
「あ、おい志乃! 無視はないだろ無視は!」
「どうしてですか?」
「どうしてって……そりゃ……」
こわっ。
志乃ちゃんは、家族の司とすら目を合わせようとしていなかった。
「何度も言っていますが……私はお母さんが再婚するからここに来ただけで、あなたも……あなたの父親も家族とは思っていません」
バッサリ。
冷たく、淡々と……面倒そうに志乃ちゃんは言葉を続ける。
「私とあなたは他人です。他人の男性が偉そうに命令しないでください。たった一年早く生まれただけのくせに」
えー……キッツ。
司が女子からあんなボロクソに言われてるの初めて見たかもしれない……。
とても小学六年生とは思えない風格なんですが……。
「……志乃。ちゃんと俺の話を──」
「興味ありません」
志乃ちゃんは司の話を最後まで聞くことなく、スタスタと歩いていってしまった。
そんな彼女の後ろ姿を見て、司がやれやれとため息をつく。
何度も……と志乃ちゃんは言っていた。
ということはつまり、司は今のような言葉を聞いたのは初めてではないのだろう。
なのにも関わらず、司は志乃ちゃんとコミュニケーションを取ろうとしていた。
うーむ……さすがは司。やりおる。
「あー……ごめんな昴。せっかく来てもらったのに」
司は申し訳なさそうに視線を落とした。
「いいって。にしてもアレだな……うん、随分パワフルな妹ができたもんだな……」
最初聞いたときは、義妹ってラブコメですかぁ!? はぁ!? って思ったが……。
これはこれは……なかなか苦労しそうだ。
でもあの子、美少女だったよね。いや、他意はないけど。ホントダヨ。
「ずっとあんな感じなのか?」
俺の質問に司は頷く。
「うん。父さんとも……全然話してくれなくてさー。結構困ってる」
たしかに、司の父親に対してもキツいこと言ってたもんなぁ……。
家族とは思っていない……か。
「……なるほど」
これは仲良くなるまで大変そうだ。
ていうか俺、仲良くできるかな。
そもそも自己紹介したけど華麗に無視されたし。
血が繋がらない家族とはいえ、あんな態度を取るなんて……なにか理由がありそうなものだけど……。
「あの子……志乃はさ」
志乃ちゃんが去っていった方向を見つめて。
「その……本当の父親がずいぶんろくでもない男だったみたいなんだ」
……。
思わず、言葉を失う。
やっぱり、理由があったんだ。
「なんでも自分の奥さん……つまり志乃の母親に暴力を振るったり、暴言を吐きかけたり……本当に酷かったみたいだ」
マジかよ……。
司は怒りの表情を浮かべ、ギリッっと歯を食いしばる。
まるで自分のことのように……怒りを露わにしていた。
――あぁ、そうか。
だから司は……あんなにも志乃ちゃんとコミュニケーションを取ろうとしていたのか。
「もしかして、あんな態度を取る理由って……」
「そういうことだと思う。父親が原因で……男が大嫌いなんだってさ。お母さん……新しいお母さんから聞いたよ」
「……キツいな」
「だよな。だから俺さ……志乃の助けになってやりたいんだ。家族だからな。はいそうですかって……放っておけるわけないだろ?」
「……ああ。そうだな司」
本当に……そうだよな、司。
特にお前は……お前だけは、見過ごせるわけないよな。
だとしたら、俺のやることは……。
俺はわざとらしく「しゃあねーなぁー」と笑う。
「俺も手伝うよ、司」
「え、いいのか?」
「もちろんだぜ。司の妹ってことは俺の妹みたいなもんだろ?」
「いやそれは意味分からん」
俺の冗談に司は呆れて笑った。
俺はずっと司を見てきたから。
司がどんな環境で育ち、なにを抱えて過ごしてきたのかを知ってるから。
……父親がろくでもない男……か。
ならまぁ……あの子を救えるのはお前しかないだろ。
あの子の気持ちは誰よりもお前がよく知っているはずだ。
――だってさ、司。
お前も……志乃ちゃんと同じなんだから。
俺は、そんなお前の力になりたいんだ。
× × ×
その日から俺と司による『志乃ちゃんと仲良し大作戦』が始まった。
今にして思えば荒療治が過ぎたかもしれないが、そこはさすが子供。
そんなことお構いなしに俺たちは積極的に志乃ちゃんに絡んでいった。
俺が司の家に居るときは二人で。
いないときは司一人で志乃ちゃんに絡んで。
とにかくもう何度も何度も志乃ちゃんに話しかけたものだ。
自分でも呆れるくらいにな。
例えばあるときは。
「志乃! 昴とゲームやるから一緒にやるぞ!」
「そうだぜ志乃ちゃん! 俺の華麗なプレイを見せて――」
「やりません」
あるときは。
「志乃! 近くの公園行くけど一緒にどうだ?」
「そうだぜ志乃ちゃん! 俺の華麗なブランコ術を見せて――」
「行きません」
あるときは。
「志乃! テスト勉強するんだけど一緒に――」
「しません」
「そうだぜ志乃ちゃん! 俺の華麗なテスト勉強法を――」
「興味ありません」
……あ、あるときは。
「志乃! 面白いテレビ――」
「観ません」
「そうだぜ志乃ちゃん! 俺の華麗なテレビ鑑賞技を――」
「帰ってください」
……。
そして、最終的には。
「いい加減にして。私に話しかけないでください」
なんて、言われる始末。
結局一度も志乃ちゃんが首を縦に振ることはなかった。
まぁ……本人からしたら相当ウザいし、面倒だし、気持ち悪かっただろうなぁ……。
そのまま縁を切られてもおかしくないレベル。
それでも。
何度志乃ちゃんに無視されようが、キツいことを言われようが……。
俺と司は一生懸命、志乃ちゃんに関わり続けた。
それこそ司なんて……俺が帰ってもずっと志乃ちゃんに話しかけていたようだ。
しかし、志乃ちゃんの雰囲気は一向に変化しない。
これはどうしたものか……。
俺と司は考え、行動し続けて――。
気が付けば、数ヶ月が経過していた。
そして、ある日の出来事。
俺たちと志乃ちゃんの距離が……グッと縮まったあの日が訪れた。
「は? 志乃ちゃんが帰ってきてない?」
その日は俺も用事があり、いつもより遅い時間に司の家を訪れた。
時間としては……大体六時くらいだっただろうか。
すでに外は暗くなり始めていた。
そんな俺に、司は深刻な表情で言ってきたんだ。
まだ志乃ちゃんが家に帰ってきていない……と。
「そうなんだよ」
「いやいや、友達と遊んでるとかそういうパターンじゃ……」
「父さんたちにも聞いたけど、そんな連絡は受けてないって。そういうときは志乃、ちゃんと連絡してるみたいだし」
それはそうだと思う。
志乃ちゃんは俺たちに対してはかなり冷たいけど、同級生の友人……主に同性相手にはとても優しい。
それに年齢不相応にしっかりした子であるため、なにかあったときは必ず母親に相談や連絡をしているようだ。
そんな志乃ちゃんがまだ帰って来てないうえに、連絡もしていないなんてこと……あるのか?
……嫌な予感がしてきた。
「親父さんたちは?」
「父さんは仕事。お母さんはついさっき志乃を探しに行った。帰ってくるかもしれないから俺はここで待ってて……って」
確かにそれ自体はなにも間違っていない。
子供が行くより親が探しに行ったほうが安全だし、もし家に帰ってきたときのことを考えたら誰かしらが待っていたほうがいいだろう。
司はなにかを考えこむように俯く。
そしてしばらく経ったあと上げられたその顔からは、なにかの決意を感じた。
その決意がなんなのかは……考えるまでもない。
「昴……、俺」
「分かってる。俺たちも探しに行くぞ、司」
「……ああ!」
なんとなく思ったんだ。
ここは多分、司が見つけないといけないんだって。
司はメモ用紙に志乃ちゃん宛ての言葉を書き、玄関の扉に貼った。
もし帰ってきてこれを見たら連絡を寄越すように……と。
「行こう、昴」
「おうよ!」
ったく、手間のかかる妹さんだぜ。
小学生が……しかもあんなに可愛い子がこんな時間までフラフラしてるなんて危険すぎる。
誰かと一緒にいるのだとしたら、それはそれでちょっと心配だが……。
なんにせよ、なにかあってからでは遅い。
俺と司は志乃ちゃんを探すために走り回った。
× × ×
「志乃のヤツどこに行ったんだよ……!」
「俺たちがダル絡みしすぎたせいかもなぁ……!」
「こんなときにそんな冗談言うなって……!」
俺たちは志乃ちゃんが行きそうな場所を思いつく限り回った。
学校にも行ってみたが、生徒が残っている気配はない。
司が知っていた志乃の友達とやらの家にも言って聞いてみたが、なにも知らなかった。
そして最後に向かったその場所――。
公園に、志乃ちゃんはいた。
「志乃!」
ブランコに一人座る志乃ちゃんを見て、司は心底安心したようにホッと胸を撫でおろした。
俺も安心して身体から力が抜ける。
とりあえず急いで志乃ちゃんのもとに向かった。
「志乃ちゃん!」
「志乃、連絡も寄越さないで……心配したんだぞ!」
暗い公園でただ一人。
こんなの……なにか事件が起きても不思議じゃない。
怒りたい気持ちも分かるが、俺はとりあえず司を落ち着かせる。
ひとまず、無事に発見できただけで良しとしよう。
「司、まずはおばさんに連絡しとけ。そっちが先だ」
「あ、ああ……そうだな」
司はスマホを取り出し、母親にメッセージを送った。
これであの人も一安心だろう。
勝手に志乃ちゃんを探しに行ったことは……まぁ、大人しく二人で怒られるとしよう。
「志乃ちゃん、どうしてここに? 遊びたいものでもあったの?」
俺はしゃがみこみ、ブランコに座る志乃ちゃんを見上げるようにして声をかける。
「……」
しかし、俯く志乃ちゃんは返事をすることなく顔をフイっと背けた。
「志乃」
連絡を終えた司も同様にしゃがみ込む。
「みんな心配してたんだぞ。どうしてここにいるのかくらいは……話してくれないか?」
あくまでも穏やかに、一方的に怒るのではなく対話するように。
司は志乃ちゃんに言葉を投げかけた。
だけど……やはり返事は返ってこない。
――どうしたものか。
強引に連れ帰るのもアレだし……。
なんて考えていると。
「――か――ったんです」
ポツリと……小さな声が耳に届く。
ようやく……志乃ちゃんが口を開いた。
「え?」
司は聞き返した。
「家に……居たくなかったんです」
俺はそのとき、初めて志乃ちゃんの気持ちを聞いたんだ。
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