第31話 朝陽志乃はやっぱり可愛い

「ふぃー……快適快適」


 なんちゃって体調不良の一件後、俺は志乃ちゃんを連れて一階に設けられている喫茶店に入った。


 幸運にもそんなに混んでおらず、待つことなくすんなり壁際の席に案内された。


 店内は涼しく、今日が猛暑日だっていうことを忘れそうである。


「でも逆に外との温度差で体調がおかしくなりそうだな……」


 注文したアイスコーヒーをストローで飲む。


 あ、美味い。


「そうですね……」 


 一方の志乃ちゃんは浮かない顔で烏龍茶を飲んでいる。


 もちろん、烏龍茶が美味しくないとかそういうわけではなく……。


 俺に対して引け目を感じているのだろう。


「それで志乃ちゃん、少しは落ち着いた?」


 俺はアイスコーヒーをテーブルに置き、志乃ちゃんに声をかけた。


 カラン、と氷の入ったコップから音が鳴る。


「あ……はい。その、昴さんのおかげで……」


 店内ということで志乃ちゃんは帽子を取っているため、隠れることなく顔がしっかり見える。


 小さく頷くその顔色は、先ほどよりは良くなっていた。


 やっぱり……俺の予想通り体調を崩していたようだ。

 改めてナイス昴くん。よくやったと褒めてやろう。


「いやーこの天気であの人混みだもんなぁ……そら体調を崩しても致し方なし」


 別に志乃ちゃん関係なく体調を崩してもおかしくない環境だ。

 

 あんなに元気いっぱいな日向が希少種であって……。

 俺だって油断したら、暑さやらなんやらでやられる可能性は十分にある。


「昴さん」

「ん?」


 志乃ちゃんは両手で持っていた烏龍茶をテーブルに置く。


 そして一度自分を落ち着かせるように深呼吸をすると、座ったまま頭を下げた。


「ごめんなさい……。私のせいであんなことをさせてしまうなんて……」


 その声は震えていた。


「人に酔ったって言っていましたが……嘘、ですよね?」

 

 うーむ……そりゃあんなタイミングで突然体調不良とか言い出したもんなぁ。

 

 司たちならともかく、ずっと一緒にいた志乃ちゃんには筒抜けだろう。


 もちろんそれを分かったうえでの行動だった。


「さぁーどうかな? 実際人は多かったしホントに酔ってたかもしれないだろ?」


 俺は明るく軽めに言葉を返す。

 

 しかし志乃ちゃんは頭を上げ、真剣な顔で俺を見つめる。


 おおぅ……結構真剣モード……?


「昴さんはずっとそうです」

「お、おう……?」

「ふざけているようでいつも周りを見ていて……困っていたらさりげなく助けて……今回の私の件だってそうです」


 突然語られる俺への評価。


 普通であれば褒められて嬉しさを感じるところではあるが、そんな気にはなれなかった。


 いや……だってその……。


 志乃ちゃんの声に、どんどん怒気が混じってきているような気がするんですよ……。

 本当に怒ると怖いんだよこの子……。


「だけど昴さんは……絶対にその姿を他人に見せようとしないんですもん。勝手に一人で考えて勝手に一人で終わらせて……」


 先ほどまで浮かない顔をしていたはずなのだが、今は不満げに唇を尖らせている。


 あーこれアレですね。


 間違いなく怒ってますね、はい。


 このままでは変な方向に話が行ってしまいそうであるため、俺は苦笑いを浮かべて志乃ちゃんを止める。


「あのー志乃さん? もしかして怒ってらっしゃる……?」

「はい。私、怒ってます」

「ですよねー……」


 なんでだよ。

 俺はどこで選択ミスったんだ?


「でも……」


 志乃ちゃんの話はまだ終わっていないようで──


「そんな昴さんに頼ってばかりで……迷惑をかけてばかりの私自身にも怒ってます」


 自分の無力を悔しがるように。

 ギュッと志乃ちゃんは拳を握りしめる。


 頼ってばかり。迷惑をかけてばかり……ねぇ。


 あまりこういう真剣モードは得意じゃないんだけど……仕方ない。


 俺は咳払いをして雰囲気を変える。


「それはちょっと違うかな、志乃ちゃん」

「え……?」


 声は明るいままで。

 

 穏やかなまま俺は話を続ける。


「志乃ちゃんはさ、仮に……そうだな。日向が困っていたら助ける? 司に頼られたら迷惑?」


 俺の質問に志乃ちゃんは「それは……」と言葉を詰まらせる。


 そのまま考え込み──


「助けたいし……頼られたら嬉しいです」

「だろ? むしろ助けになれるように頑張るぜーって思わない? もちろん状況にもよるけどさ」

「……はい」

「それと一緒だよ。俺は志乃ちゃんを助けたかったから助けた。俺のただの自己満足だから、志乃ちゃんが迷惑とかそういうのを考える必要性は一切なし!」


 とは言うものの、志乃ちゃんはまだ納得していない様子。


 この朝陽志乃という子は本当に優しい。優しすぎるのだ。

 いつも誰かを優先して、自分のことは後回し。


 だからこそ……自分に対してなにかをしてもらうということに抵抗感があるのだ。


 それが悪いことだとは思わない。

 だけど、行き過ぎるとそれは自分を蝕む毒になる。


 ……ふむ。ここはじゃあ……。


「あーやば……なんか気持ち悪くなってきた……」


 俺はお腹を抑えてテーブルに突っ伏す。


「え、だ、大丈夫ですか……!?」


 志乃ちゃんは慌てた様子で周りを見たあと、スマホを取り出した。


「えっと、こういうときはまず……」


 しかし俺は何事もなかったかのように身を起こし、ニッと笑う。

 

 そんな俺を志乃ちゃんは「あ、あれ……?」と心配そうに見ていた。


 ふっふっふ……甘いな志乃ちゃん。


「ほら、今俺に対してなにができるか考えてたでしょ。助けようとしたよね」

 

 俺の言いたいことを察したのか、志乃ちゃんは「あ……」と小さく声を漏らした。


「俺、助けてって頼んだ?」

「いえ……」

「志乃ちゃんが勝手に助けてあげたいーって思ったんだよね? まぁ勝手にって言い方はアレだけど」


 こくり、と志乃ちゃんは頷く。


「つまりそういうこと。俺も同じ気持ちで志乃ちゃんをここに連れてきたんだよ」

「昴さん……」


 あー恥ずかしい。

 普段こんなこと話さないから恥ずかしくなってきた。


「ありがとうございます。……ふふ、やっぱり昴さんは優しいです」

「最後のはよく分からんが……どういたしまして」


 優しく微笑む志乃ちゃんの前に、俺は恥ずかしくて目を逸らす。


 優しいのかどうかは知らんけどな!


「でもそういう演技はよくないです。私、本気で心配したんですよ?」


 おっとマズい。

 せっかく怒り状態を回避したのにまた戻っちゃう。


 ならばここは――


「ハッハッハ!」


 とりあえず笑って誤魔化しとこ。


「笑って誤魔化さないでください!」


 ダメでした。

 志乃ちゃんは「もうっ」と拗ねたようにそっぽを向いてしまった。


 可愛い……。


 なんかアレよね……小動物愛でてる気分になるわよね……。


「ま、志乃ちゃんの気持ちも分かるけどな。自分のせいで楽しい雰囲気を壊したくなかったんだろ?」

「……知りません」


 つーん、と未だにそっぽを向かれる。それすなわち可愛い。


 そんな志乃ちゃんを見てフッと笑みをこぼす。

 

「しんどかったら素直に言えばいいんだよ。司や日向に言いづらかったら俺でもいい」

 

 本当に誰でもいい。

 自分のことを素直に話せる人がいるだけで全然違う。


 それが友人でも、家族、よく分からないヤツ相手でも……なんでもいいと思うんだ。


「……たしかに昴さんなら言えるかもです」

「お、それはつまり俺のことが好きということで──」

「昴さんには遠慮せずにいろいろお話できますから」

「うーーーん嬉しいけどなんか複雑っっ!!」


 俺の言葉が普通に遮られたから余計に複雑っ!

 

 でも、そりゃそうだろうな。


 司は家族だし……まぁ……ね、いろいろ男女の感情的なアレコレがあるし。

 それを言ったら俺もそうだけど。


 日向は一番の友達だからこそ、迷惑をかけたくない気持ちもあるだろうし。


 俺みたいな……中途半端な知り合いポジション相手の方が意外と話せるのかもしれない。


 ふむ、もうかなりの付き合いになるけど俺と志乃ちゃんはどういう関係なのだろうか。


 友人なのか、ただの学校の先輩後輩なのか。それとも兄の友人なのか。


 よく分かんね。


「アレだぞ? 俺に大事なことを話したら面白半分でみんなに言いふらしたりバカにしたりするかもしれないぞ?」

「昴さんはそんなことしませんよ」


 うぐっ。


 純真無垢な笑顔を向けられて、危うく浄化されかけたぜ……。


 まったく……俺のことを理解されてるっていうのもやりづらいな……。


 ──ま、でも。


「やれやれ……なんにせよ、志乃ちゃんが俺にいろいろ話してくれるってだけで嬉しいからそれでいいや」

「嬉しい……ですか?」


 おうよ、と頷く。


 俺に対してどんな感情を抱いていようが、少なくともこうして色々な顔を見せてくれるだけで嬉しいものがある。


 だって、普通は気を許した相手じゃないと取り繕った自分しか見せないだろ?


 少なくとも、志乃ちゃんは俺に対してちゃんと素で接してくれている。

 

 それが今はたまらなく嬉しかった。


「ああ。出会ったばかりの頃なんかさ、まともに口聞いてくれなかったし……目も合わせてくれなかっただろ?」

「そ、それはっ……」

「分かってるって。志乃ちゃんの事情は理解してる。それでも、今はこうして接してくれて嬉しいって話」


 志乃ちゃんは恥ずかしさで頬を赤く染める。


「……兄さんと、あとは昴さんのせいです」

「ははっ、そうかそうか」

「わ、笑わないでください……!」


 「むー」と志乃ちゃんは可愛らしく俺を睨む。


 数年前の志乃ちゃんだったら、今のような表情を向けてくれなかっただろう。


 当時……それこそ出会ったばかりの志乃ちゃんは、今のように素直で可愛らしい女の子ではなかった。容姿の意味ではずっと可愛かったけど。


 まず、話しかけても全然返事をしてくれない。

 目も合わせてくれない。


 なんなら『私に話しかけないで』と言われる始末。

 

 本当に今とは想像がつかないほど、冷たい雰囲気を纏った女の子だった。


 こんな子と仲良くできるの? マジ? って俺は本気で思っていたほどだ。


 まぁ、今の姿が彼女の素なんだろうなぁ。


 なぜ志乃ちゃんがそんなにも冷たい女の子だったのか。


 ──それは、彼女が過ごしてきた家庭環境が原因だった。

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