第36話 強すぎて、面白くない
マキタ!
徹矢の指は勝手に反応していた。大剣を抜き放ち、すかさずガード・モーションを取る。
だが、エレベーターの中から駆け出してきたのは、マキタではなかった。スプリングだ。グリーン迷彩のガンナー。
「しまっ……」
つぶやきつつ、徹矢はアローに大剣を納剣させる。
キャラには職業と武器によって特性があり、大剣は破壊力が大きい反面、抜剣してしまうと走る速度が遅くなる。
いっぽう、アサシンや魔導士は小型武器しか装備できない反面、武器出し状態でも走る速度に変化はない。
徹矢がもっとも早く反応し、納剣するやいなや走り出したが、それでもアイザックとミコンに遅れる。
ただし、先頭を走るのは、彼らの間をいっきに駆け抜けて先行したスプリングだ。
彼を追ってアイザックとミコンが走るが、プレイヤー・キャラのダッシュ速度に差はない。
追いつくことは絶対に不可能。
『はははははは』
先頭を走るスプリングが嘲りの笑いを吹き出しチャットで表示する。
『おまえたち、まんまと騙されたな。エレベーターにマキタが出ることを、俺は知っていたのさ。しかもそれは、奇数回のときだけだ。だから、最初のエレベーターに乗ってもらって、二回目のマキタが出ない安全な便で俺は降りてきたのさ』
まっさきにスプリングが祭壇へつづく階段へ到達し、それを駆け上がる。
『それにしてもお前たち、よく生きていたな、二度もマキタと遭遇して。だが、おかげで俺は手に入れることが出来たぞ!』
スプリングが祭壇へ達し、そこに鎮座する赤い宝玉<ダーク・クレスト>を手に入れた。
プァーンという特殊な効果音が響き、スプリングが両手で赤い宝玉を掲げる特別モーションを取る。
『俺の勝ちだ! <ダーク・クレスト>を手に入れた。俺が願いを叶えるんだ!』
「くそっ」
徹矢は苛立ち紛れに自分の膝を叩く。
隣のレイヤーちゃんが「徹矢が負けたの?」と驚きの声をあげる。
徹矢はその問いに「そうだ」と素直に答えることができない。それくらい、彼は負けることに慣れていなかった。
祭壇の上でスプリングが<ダーク・クレスト>を頭上高く掲げている。
その赤い宝玉が、強い光を放ち始めた。
最初赤く光ったそれは、すぐに中心から爆光のような激しい光を放ちだし、それが昼間の太陽のように強烈にいつまでも続く閃光となる。
画面の素子が焼き付くような光輝が放たれ、それがふいに陰った。
<ダーク・クレスト>から立ちのぼった煙のような黒い気体が、澱のように沈殿をはじめ、その輝きをさえぎったためだ。
それはまるで火災現場があげる黒煙のように濃密な闇であった。
それらが下に向かって流れ出す。
『ん?』
スプリングが不思議そうに身じろぎをする。
ゲーム・キャラが時として人の身じろぎのように、プレイヤーの感情の動きを如実に再現することがあるが、それが今まさにこの時であった。
スプリングが躊躇するような動きをする。
『あれ? 前回もこんな感じだったかな?』
おそらくは大藪の、いや小栗のつぶやきが洩れたのだろう。
スプリングが自信なさげな様子で移動しようとして、それが叶わず、その場でぶるぶると震えだす。
宝玉を掲げもつガンナーは、その場でその姿勢のまま、動くことを制限されているようだった。
『おい、待ってくれ。何かおかしくないか?』
それがスプリングの最後のアクションだった。
頭上の<ダーク・クレスト>から垂れ流される闇が、ジャングル迷彩のハンターの身体を舐め、その黒をさらに黒く、そこに穴でも開いたような闇へと染めて行く。
『なんだ? どうした?』
アイザックが答えを求めるようにアローを振り返るが、徹矢に何か分かるわけでもない。
彼の問いに答えたのは、がりがりという石のこすれるような効果音だけだった。
振り返ると、海底神殿の入口でエレベーターの扉が開いてゆく。がりがりと音を立ててゆっくりと開いたエレベーターからは、余裕のある歩みで何者かが歩み出てくる。
三回目のエレベーター。奇数回のそれに乗っているのは、おそらくはマキタ。だが、マキタのシルエットは、今までとはずいぶん違うものだった。
画面上部にエネミーのものである長いHPバーが表示され、その下にエネミー・ネームが現れる。
そこには、「マキタ・エヴォルヴ」とあった。
いままでの怪物型とはちがう、細身のシルエットがゆっくり神殿の中へと歩み入る。
背後からの光をうけて完全な影となっている人型の左胸で、赤い光が熾火のように灯っていた。
「あああああああああ」
電気椅子に縛り付けられた死刑囚のような声が画面から響いてくる。
視点を回すと、<ダーク・クレスト>から垂れさがる闇に侵食されたスプリングが声を放っていた。
キャラクタターが声を放つことのないゲームであるのに、このときのスプリングは耳障りな周波数の電子音に似た悲鳴をあげていたのだ。
頭から闇をかぶったスプリングの身体が変色し、おかしな形に変形しはじめている。
ある部分は溶解し、ある部分は浮腫のように盛り上がり、あるいは角張って突き出し、徐々に人としての原型を失ってゆく。
めきめきと肩が張り、脇腹から複数の触手が生えてくる。首が縮み、頭部が両肩の中に埋没する。身体中が平べったく横に広がり、白いまだら模様が浮き上がる。
「やめてぇくれぇえぇぇ」
人の言葉に聞こえる効果音が鳴り響く。聞いたことのある声。これは小栗だ。小栗の声が、すすり泣くように痛みを訴えている。
「痛ぁぁぁいぃ。痛ぁあああぃぃぃよぉ」
緑衣のガンナーであったスプリングのスタイルが畸形に変形し、白いマダラのラインが走る二足歩行のカメムシへと移行していく。
怪物じみたスタイルのその胸に、めりめりと組織を裂いて内部から粘液にまみれた人の顔が生えてくる。
それこそは、あの小栗の顔。
スプリングの胸にも、大藪とおなじ小栗の人面瘡が腫瘍のように生えてきた。
「残念、ざぁんねんだったなぁぁ、小ぉ栗ぃ」
海底の青い光を背に立つ、細身のシルエットが言葉を放つ。
こちらはマキタの声。だが、さきほどまでと比べ、格段に音声も発音もクリアになっている。
エヴォルヴとなって、そのスタイルも人型に近くなった。
細身の体形に、頭部はエイリアンのような長頭のスカル。カスクを被った自転車競技者のようなしゃれこうべ。
邪悪かつスタイリッシュであり、畢竟、超強そう。形態が人に近づき、そのままゲーム画面の中から飛び出してきそうで恐ろしい。
全身が、黒いスピードスケート・スーツに包まれたようなシルエット。
胸に白い髑髏が張りついている。おそらく元はマキタの顔であったもの。
いまはすべての皮膚と肉が削ぎ落され、その頭骨のみが痕跡として張りついている。
ただし、左の眼窩に赤い宝玉が嵌っており、それが眼球のようにぐりぐりと動いている。
「こっちがぁ、本ン物さぁ」
胸の頭骨の左目を指さして、マキタ・エヴォルヴがかたかたと肩を震わせて笑う。
果たして笑っているのは、胸のスカルか頭部の長頭スカルか。
つまり、スプリングはマキタによって、ニセモノの<ダーク・クレスト>を摑まされたということだ。そして、本物の<ダーク・クレスト>はマキタの胸にある。
「汚ぇぇ、きたねぇぇ、卑怯だぞぉぉ、マキぃぃタぁぁ」
スプリングが呪詛の言葉を、まるで口蓋から臓物を嘔吐するがごとくおろろと吐き出す。
だが、その身体はすでにマキタの傀儡となりかけている。
彼の意志に関係なく、元スプリングであったカメムシの怪物は、かさかさと祭壇を下りてくる。
その歩調、まさに寄生虫ロイコクロリディウムにあやつられたカタツムリの如し。
自らの意志に関係なく前に進むスプリングは、手にしたハンドガンをアローたちに向ける。
「絶体絶命、だなぁ。徹矢ぁ」
片足に体重かけて立つマキタ・エヴォルヴは、右手をさっと振った。その手に一振りの剣が握られている。
青い光を放つその美しい刀身は、超レア中のレア、伝説の武器<カラドボルグ>である。
徹矢はいちど流しでクエストに参加した時、この武器を持っているスーパー・プレイヤーと一緒になったことがある。
カラドボルグの特性は、まずガード不能。
これは<アリーナ>などでの対戦では無敵の強さを誇る。
そして、もうひとつの特殊性能は、敵のHP半減。これは対エネミー戦で無敵の強さを発揮した。
ただし、スーパープレイヤーはこのSS武器に対して懐疑的だった。
『強すぎて、面白くないよ』と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます