第34話 進化する敵
地底城の最下層からのエレベーターは、透明な半球状のドームである。
シャフトはなく、透明なドームが浮遊して真下に落下する形式。上下左右を見渡せるため、地下世界の素晴らしい景色を満喫できる。
地底世界の空洞とその天井から垂れさがる巨大な地底城。
あちこちに松明の火が揺らめき、暗黒のシャンデリアを思わせるその城郭。それを包む広大な空間の底は、墨を思わせる真っ黒な水面。
地底湖なのだが、ここに立ち入ることはできない。エレベーターの中から、その波打つ漆黒の水面を眺められるのみ。
ゆっくりと落下してゆくエレベーターの中から、その広大な黒い水面を眺め降ろしていると、ゲーム画面を横からのぞきこんでいたレイヤーちゃんが、綺麗だねと囁く。
なんか二人でデートしているみたいな感じだ。
「もうすぐ終わるの?」
レイヤーちゃんの甘えた声が耳をくすぐる。早く終わらせて相手をして欲しいのだろう。
徹矢はぶっきらぼうに、「ああ」とだけ答える。
そう。もうすぐ終わる。どんな形であれ、いい方向に終わらせる。それが徹矢の求めるゴールだった。
『徹矢、小栗は殺さなくていいのか?』
アイザックがたずねる。
『あいつは危険だ。あそこで倒しておいた方が良かったんじゃないのか?』
『スプリングは、小栗に操られた大藪のキャラだ。奴を倒せば、大藪が死ぬかも知れない。大藪はこのゲームとはなんの関係もないからな』
『俺たちはいいのかよ? 俺だってお前だって、関係ないのに巻き込まれたことに変わりない。俺は訳も分からず殺された。いや、まだここに気持ちだけは居座っているけど。しかし、このあと誰かが<ダーク・クレスト>を手に入れてクエストをクリアすれば、残りのプレイヤーはどっちにしろ全員死ぬんだ。大藪だって例外じゃない。だったら、今のうちに危険な要因は排除しておくべきだったんじゃないのか?』
たしかに、そうだが。
エレベーターが降下をつづけ、透明のドームが水面下に入る。
地底湖なのか地底海なのか設定による説明はないが、水面下に広がるのは、青い光の差し込む美しい海底の景色。水面下の方がなぜか明るい。
幻想的な青い光が差し込む水の世界の燭光が、ドームの中を蒼く照らしている。
足元を見下ろすと、遥か下の海底に、海底神殿の偉容が広がっている。それは過去に水没した伝説の大陸アトランティスの大都市を彷彿させる大きさだ。
あれが、このゲーム終着点。最終ステージ、海底神殿である。
そして、あそこにクエストのクリア・アイテム<ダーク・クレスト>がある。
そんな感慨にふけった徹矢の心を突き刺すように、異様な音楽がドーム内に流れ始めた。
緊迫と恐怖を具現するかのごとき音階は、前回マキタが登場したときに流れたもの。耳障りな不協和音が、徹矢の耳朶を逆なでする。
『おい、まさか』
アイザックが声をあげ、両手のナイフを構える。徹矢もすかさずアローに背中の大剣を抜かせた。
ドームの床の中央で闇が盛り上がる。
床に張りつく影が、強靭な意志と、底なしの怨念をもって、ゆっくり、ゆっくりと立ち上がる。
ここに出るのか?
圧倒的な存在感。
空間を歪ませるほどの質量。
墨滴のような濃い闇がさらに濃度を増し、タールのように凝縮し、甲虫の頭部となる。
てかりと光る甲殻か、あるいは邪悪の頭角か。
触覚が触れなば斬らんいきおいで蠢動し、無機質な複眼が無感情にこちらをエイムする。
むくりと膨れ上がった胸部から、三対の腕。いずれも甲殻類のそれ。漆黒の刃が多関節をもち、音を立てて蠢く節足動物のそれだ。
すでに人の部分がない。二足で立ち上がる黒い異形は、蜘蛛もしくは蟹。
その胸部に、組織をめりめりと割って中から顔を出すのは、マキタの醜貌。下膨れの滑稽な顔。
だが、その口の端からは得体の知れない緑色の液体が垂れ、ガラス球を嵌めたような両眼には人の感情があるようには見えない。右目は穴のような黒。左目は、血が透けたような赤。
その怪物はまるで、マキタの生首を胸に抱いた異星の甲殻類であった。
胸の顔がぐにゃりと歪み、カラクリで動く人形のように表情を変える。
どうやら、笑ったようだった。
「徹矢ぁ」
いきなりゲームの中から声をかけられて、徹矢の身体にぞわっと鳥肌が立つ。
となりでレイヤーちゃんが、「え、なにこれ」とつぶやき、そのまま絶句する。
「今度は倒せねえぞ」
ゲーム画面の中から徹矢のことを真っ直ぐにらみながら、マキタが笑う。
徹矢は心臓を鷲摑みされたような恐怖を味わうが、それでもボタンにのせた指は勝手に動いていた。
マキタがばちっと放った赤いビームを、アローがエスケープで躱す。だが、画面から飛び出したビームは徹矢の首筋を抜けて、レイヤーちゃんの部屋の壁に突き刺さる。
じっという音がして、焦げ臭いにおいが部屋に立ち込める。振り返ると、壁に小さな穴が開き、周囲の壁紙が黒く焦げている。
「なに? 今のなに?」
徹矢の隣でレイヤーちゃんが軽いパニックを起こすが、いまは説明している場合じゃない。
「だいじょぶだから」
気休めを言ってその場を繕い、徹矢はアローにダッシュさせる。
目だ。あのマキタの紅い左目がビームを放った。しかもあのビームは、画面から外にまで届く。迂闊に回避ができない。
画面の中の怪物がけたたましい笑い声を放っている。
「徹矢、俺は進化したのだ。俺の魔眼からは逃げられないぞ」
「ぬかせ」
とつぶやく徹矢の全身からは冷たい汗が流れている。
画面内からビームを撃たれたりしたら、生身の肉体の徹矢にそれを躱すことは不可能だ。だが、手が全くないわけではない。
徹矢はアローをマキタに接近させ、ただし正対は避けて斜め前に位置取りさせる。
真正面にいなければ、ビームの直撃はこない。そのポジショニングを崩さず、大剣の一撃をマキタの触手にぶち当てた。
血がしぶき、マキタの触手が刎ね飛ぶが、それは演出。すぐに何事もなかったように、マキタの体側には元のままの触手が存在している。
「徹矢ぁ」
マキタが振り返り、アローを真正面に捉えようとするが、それはさせない。横にショートステップして、マキタの側面をキープする。
『アロー!』
アイザックの言葉。
『近づくな。ビームが強すぎる』
アローの制止。
それでも切りかかるアイザック。
マキタが無造作にビームを左目から放ち、それに射貫かれたアイザックのHPゲージが八割欠損する。
動きを止めるアイザック。彼を回復するミコン。
「ミコォォオン」
マキタが渇望と飢餓にまみれた声を放ち、後方で支援するミコンに向けてビームを放つ。
徹矢は、しまったと絶句するが、ミコンはガード。いつの間にか肘につけていた星形のシールドでビームを受けると、そのままビームが跳ね返ってマキタの胸を直撃した。
マキタが熱湯の鍋に放り込まれた鶏のような悲鳴をあげる。
『<イージスの盾>。さっき地下牢獄で拾った』
<イージスの盾>は激レアの防具だ。ガード使用で、エネミーの攻撃を跳ね返す。
マキタは自らのビームを喰らって、一瞬HPを削られたが、瞬間的に回復する。
「効いてねえや」
徹矢はちいさくつぶやく。
強すぎる。
高いHPと自動回復。こちらの攻撃は全く効かないし、そのくせ優秀な飛び道具を備えている。
徹矢はさらにマキタの死角から大剣の一撃を与える。それに反応して、蜘蛛の怪物はバックブロー気味に触手を振るう。
が、それをガード。アローはガード・リバーサルで反撃し、マキタを吹き飛ばした。
「……ガード・リバーサルの吹き飛ばしは有効なのか」
徹矢は倒れたマキタが起き上がる前に、間を詰める。
ふっと周囲が暗くなった。エレベーターが海底神殿内に到達したのだ。もうすぐエレベーターの扉が開く。
『ビームには注意しろ。いまマキタの弱点を見つけた』
アローは告げて、起き上がるマキタに縦切り一閃。
いま仲間に告げた「マキタの弱点」は嘘っぱちである。マキタの攻撃をアローに集中させるためのフェイクだ。
「俺に弱点なんぞ、あるものか!」
マキタが泥の中から噴き上がる瘴気の泡みたいな声で叫び、触手を振り回してアローを攻撃する。
すかさずアローは、ガード・リバーサルでマキタを吹き飛ばし、倒れた怪物のそばに寄って、起き上がり攻め。
徹矢の本来の目的は、時間稼ぎだ。それをマキタに悟られたくはない。
『マキタの奴はもう終わりだ。すぐにトドメを刺してやる』
宣言しつつ、のらりくらりとマキタの正面から逃れるアロー。
コントローラーを握る徹矢は心の中で叫ぶ。
早く! 早く下に着いてくれ!
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