第28話 命の残量


 徹矢の背後に張りついた身体が、明確な殺意と激しい憎悪をもって、彼の首を絞めていた。


 ストッキングに包まれた腿が徹矢の腰に触れている。

 彼の首を絞めているのは、おそらく大藪の母親だと分かるのだが、なぜという疑問も、殺されるという恐怖も、背後からぶちまけられる殺意と憎悪の前にすべて吹き飛んでしまう。


「徹矢、おまえは強い。ゲーム内で殺すのは難しい。だけどさ、ここで殺すのは、簡単だなぁ」


 小栗の笑い声が響く。


 徹矢は声にならない呻きをもらす。


 喉が閉まり、息が止まる。

 目の前が暗くなり、意識が遠のく。


 窒息の苦しみが徹矢のすべての感情を消し去らせ、その思考を打ち砕いたとき、誰かの悲鳴と、どたどたいう足音が耳にとどき、体当たりをくらった徹矢は、背後から首を絞めてきている大藪の母親とともにうしろに倒れ込んだ。


 その拍子に、首を絞めていた紐が緩む。


 どんと鳴る床。なにかが柱にぶつかる音。


 死に物狂いで首に巻き付いた紐を外し、床に投げつけながら咳き込む徹矢。


 絞められた首は、紐が取り去られてもすぐには楽にならない。


 徹矢は咳き込みながら、大藪の母親に体当たりして救ってくれた鬼門みくるの裸体に気づく。


「お母さん、やめて」

 みくるが悲痛な声で叫んでいる。

「騙されないで。こいつの言う通りにしたら、春輔が消されちゃう!」


 彼女は縛られた身体で飛び出して、大藪の母親に体当たりして押し倒したのだ。

 いまも二人は絡み合って床の上に転がっている。


「だって、この人を殺さないと、春輔が死ぬって!」

「そんなの全部嘘よ!」

「徹矢ぁ、死ね!」


 大藪が両手を広げて徹矢の首を絞めにくる。


 窒息させられかけていた彼はすぐに動くことができない。

 嘔吐しそうになる不快感と戦いながら、嗚咽を漏らし、なんとか立ち上がろうとするが、手足がもつれてうまく動けない。


 そこを小栗が襲おうとするのだが、あと一歩のところで大藪の身体が踏みとどまり、その腕を止めた。


「邪魔するな」


 腹で小栗が怒号し、頭部で大藪が徹矢に叫ぶ。


「早く行け。早く行って、なんとか生き残ってくれ。お前が生き残れば、小栗も死ぬ。俺たちをこの地獄から救い出してくれ」


 徹矢は四つん這いのまま、床に転がった自分のアクセル・ボードを引っ摑む。


 画面を確認するのは半ば反射的だ。

 映っている映像は、棒立ちするアローの周囲で、彼を守って奮戦するアイザックの姿。

 敵の大軍が押し寄せてきている。


「くそっ」

 徹矢はアクセル・ボードを操作しながら、立ち上がる。


 とにかく戦え。

 そして、ここから逃げ出せ。


 ふらつく足で走り出し、階段を転がるように下りる。一刻も早くこの家から逃げ出さないと命が危ない。

 だが、ゲームも続けないと、こっちも命が危ない。



 玄関のドアを跳ね飛ばすように開けて、徹矢は外に飛び出した。


 いまだに熱気を含む夜の気と、青白い外灯のなかにまろび出る。


 靴を履いてくるのを忘れた。だが、あの家の中にもう一度もどる気はしない。


 画面の中で、水晶サソリの大軍が襲い掛かってきている。とりあえず、回避。そこからの反撃。


『もどったか?』

 アイザックがたずねる。


「いまもどった。すまん」


 徹矢はプレイを続けながら、マイクに入力。決定ボタンを押してそのセリフを表示させる。


 敵の攻勢の一瞬の隙をついて、夜の街路に目を走らせる。

 大藪家の玄関先に止めたはずの自転車を探すが見当たらない。


 ここまで来るために、ショタの兄から借りた自転車は、なかった。


 盗まれたのか、あるいはこれもマキタの仕業か。少なくともさっき止めた場所にはない。


「さんざんな現状だか」

 徹矢は肩をすくめる。

「俺はまだ、生きているぜ。マキタぁ!」


 水晶サソリに囲まれて攻撃され、半分近く削らせたHPをミコンの魔導が回復してくれる。

 うちのパーティーの回復役も健在だ。


『どうする?』

 アイザックの質問。


『先に進もう。話はそれからだ。地下迷宮を通って、地底城をめざす』


 地下世界は、地下迷宮というダンジョンを抜け、そのさきにある地底城の最下層から、海底神殿に降りることができる。


 クエストの目的である<ダーク・クレスト>は、その海底神殿にあるのだが、果たしてそれを入手することで、このゲームがクリアできるかは怪しい。


 それとも、<ダーク・クレスト>を入手した誰かが、生き残った者として望みを叶えてもらう権利を手にするのだろうか。


 そこまで考えて、徹矢はドキリとする。


 このあと、自分は本当のことを言うべきだろうか?


 これが生き残りを賭けたデスゲームであり、他の者が死ねば、徹矢はマキタに、願いをかなえてもらうことができる。

 この情報をアイザックとミコンに黙っておけば、自分はこのデスゲームを有利に進めることができる……。


 徹矢は、アローに大剣を振るわせながら、ぼーっと考える。


 本当のことを教えずに、このままクエストを続けることが、自分にとって有利ではないのか。

 教えるのはいつでもできる。


 だが、ゲームにおいて、攻略情報は大きな武器だ。

 それを安易に「ライバル」たちに教える必要は、ない。


 とにかく、このまま大藪の家の近くにいるのは危険だ。自宅に帰ってカギをしっかりかけて閉じこもるのがいい。

 他人の家は危険すぎる。


 徹矢は裸足のまま歩き出した。


 ゲームをしながらの、ながら歩きだが、致し方ない。このまま自宅へ向かうしかない。


 だが、ふたたびアクセル・ボードの電源ランプが赤い光を放ち始めた。

 バッテリーが少なくなってきている。


 このままでは、やばい。

 ゲーム機のバッテリー残量は、徹矢の生命の残量でもある。


 そして、ここから歩いて帰るには、徹矢の自宅は遠すぎた。


 まずい。

 なんとかしなければ。


 そう思うのだが、こんな夜の街の真ん中で、ゲーム機を充電する方法は思いつかない。


 電源コードはコンビニには売っていないし、あるとすればせいぜいゲームソフトを販売するような大きなスーパーだが、このあたりにはない。


 家を目指すべきか、あるいは大手スーパーを検索してそこに向かうか。


 だが、店に電源コードがあったとしても、充電できるコンセントはあるのか? スーパー内にコンセントはあるが、スーパーには閉店時間というものがある。


 徹矢には、すぐに決断し、すぐに行動を開始する必要があった。

 バッテリーの消費は、待ったなしなのだから。


「徹矢?」


 ふいに声をかけられて、徹矢は振り返る。


 そこには、二十代後半の女が立っていた。


 ラフなボーダー姿。サンダル履きで、コンビニの袋を下げている。

 顔を見てもだれだかすぐに分からなかったが、声で気づいた。


 レイヤーちゃんだ。昨日乙女ロードで会ったレイヤーちゃん。

 すっぴんなんで、誰だか分からなかった。


「夜に裸足で、なにしてるの?」


 訊かれて答えた徹矢の回答は、間抜けだった。


「ゲーム」



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