第23話 勝敗はスペックでは決まらない
「いや、まて。だいじょうぶだ」
徹矢は根拠のない気休めを口にする。
画面の中のショタはその場に倒れ、掻き消えるように姿を消す。パーティーメンバーとして表示されていた名前もHPゲージも消失した。
「だいじょうぶだ。気をしっかりもて」
徹矢はとにかく叫んだ。
まだ本当に死ぬと決まったわけじゃない。ゲームをプレイすると死ぬとか、プレイ中にキャラが死ぬとプレイヤーが死ぬとかは、ただの噂なのだ。
絶対に死ぬと決まったわけではない。
「だいじょうぶ、死んだりしない!」
徹矢の絶叫だった。
その瞬間、ショタは胃の中からこみ上げてくる物をこらえようと、両手で口を覆った。
だが、あがってくる物を抑えきれず、ショタはその場に赤黒い液体を嘔吐した。
墨汁のように黒い液体を撒き散らし、それがつぎつぎと彼の口の中から流れ出して床に広がる。
タールのように黒く、あちこちに血の赤がまじっている。
「ショタ!」
ゲーム機からはマキタの笑い声が、油の切れた機械のような異音となって響いている。
徹矢ははっとなってゲーム機を手に取る。マキタがアローに襲い掛かっていた。
ここで彼がやられたら、パーティーは全滅する。いまはとにかく生き残って、ショタを生き返らせる方法を見つけねば。
マキタの爪を回避したアローは、入れ違いながらの横切り一閃。ばりっと背中から血を吹くマキタ。
『おい、ショタは無事か!』
援護に入るアイザック。
『リザレクションが使えないわ』
さすがのミコンも慌てたように、走り回っている。
リザレクションとは死んだキャラを生き返らせる魔法だが、これはクエストによっては使えないものがある。
デフォルトですら制限のあるリザレクションが、この『マキタ・クエスト』で使えるはずがない。
とにかく今はマキタを抑えるしかない。ここを生き残らないと、ショタばかりではない。アローもアイザックも、そしてミコンもやられてしまう。
ゴォォォン。
効果音が鳴り響いた。
一瞬びくっとなつた徹矢だが、すぐに気づく。
エレベーターが止まったのだ。
『外へ逃げろ。マキタは俺がここで食い止める。すぐに扉を閉めてくれ』
アローはミコンを狙って走り出そうとするマキタに、背中からの一撃をお見舞いする。
ばりっばりっと大剣の連撃を喰らったマキタは、うるさい!言わんばかりに振り返り、爪を振るう。アローはそれを躱して、叫ぶ。
『速く外に出ろ!』
ミコンとアイザックが二人してエレベーターの扉を目指す。
「かっこつけるなぁぁぁよぉぉぉぉ、てぇぇぇつやぁぁぁ」
マキタの声がだんだんはっきりしてくる。今まで効果音にしか聞こえていなかったものが、だんだんと人の声に近づいて来ている。
『この化け物が』
吐き捨て、マキタに対峙する。
ちらりと徹矢がショタを振り返ると、彼は仰向けに倒れて身体をぴくぴくと痙攣させている。
床に撒き散らして、大きな水たまりになっている黒いどろどろした物が蠢いていた。
よく見ると、それらは墨汁でもタールでもない。ちいさなイモリの群れだった。
何千何百という細かいイモリが、腹を膨らませ、喉をヒクつかせて呼吸している。それがまるで、脈打つ血だまりに見えるのだ。
血が混じっているように思えたのは、黒いイモリの体表に走る赤い模様だった。
仰向けに倒れたショタが、胸を激しく波打たせて、再び咳き込む。
その口からさらに大量の黒いイモリが、液体となってあふれ出す。
彼の胸が呼吸のために上下しているのかどうかが、すでに確認できない。
ただ、咳き込んで汚物をまき散らしているだけ。
画面の中でマキタが迫る。
ここでやられては、自分も死ぬ。ミコンやアイザックといった仲間も守りたい。そして、それ以上に目の前で絶命しようてしているショタも助けたかった。
自分はゲームなんてしている場合ではなく、今すぐに救急車を呼ぶべきではないのか?
たとえ救急車を呼んで助けることが出来なかったとしても、いますぐ行動を起こすべきではないのか。
──やろう。たとえ自分が死んでも。
徹矢はそう決断して、アクセル・ボードをテーブルに置こうとした。
しかし、その一瞬、激しい音を立てて部屋のドアが開き、一人の青年が入ってくる。
「続けて。ゲームを続けて」
色の白い、美青年。顔立ちがショタに似ている。
彼は徹矢に命じると、自分は倒れているショタの傍らに膝をつき、真言をとなえた。
「おんばさら」
ショタがさらに黒い液体を吐き、それがわらわらと散っていく。イモリどもが逃げ出し、溶けてなくなっていく。
徹矢はちらりと目をやるが、いまはゲームに集中せねばならない。
「てつやゃぁぁぁ」
マキタが襲い掛かる。
アローが下からの斬り上げで迎撃するが、マキタがそれを躱す。
さすがに学習したのかもしれない。すかさず徹矢はガードを入力し、そこからエスケープに繋ぐ。
俗にいうガード・キャンセル行動だ。
これも格闘ゲームからのバグ技で、技モーションの後半でガードを入力すると、タイミングによってそのあとのモーションがキャンセルされ、技硬直なしですぐに動けるのだ。
ただし、格闘ゲームように、ガード・キャンセルから攻撃モーションへつなげることはできない。つなげられるのは、エスケープのみだ。
だが、それでも役に立つ。
アローは空振りした斬り上げから、モーションを飛ばして素早く地面にころがった。
一種のバグ技によるモーションの飛びは、マキタの攻撃速度を凌駕している。
己の爪から逃れたアローを、目を白黒させながら追いかけるマキタへ、アローは回避からの反撃。
マキタは躱しそこねるが、所詮微小なダメージしか与えられない。
マキタは不遜な笑みで、反撃の爪を振るう。
だが、アローは読んでいてガード。
そして、そこからのガード・リバーサル。
マキタの身体が吹っ飛んだ。
『扉を閉めろ』
ミコンとアイザックに伝えてアローは走る。
このままマキタをエレベーターに閉じ込め上へ送る作戦だ。
「てぇぇつぅやぁぁぁぁ」
マキタが呪詛の声を放ってアローを追う。
「おまえをぉぉぉ、ころすぅぅ。おまえはぁぁぁ、つぅよぉいからぁぁ、ゲームがぁぁ、面白くなぁい」
言っている意味が分からない。
アローは全力疾走し、閉まり始めた扉を目指す。
完全に閉まってしまったら、マキタと二人この中に取り残されて、さすがの徹矢といえども殺されてしまうだろう。
だが、あの扉からアローだけが外に逃れることができれば……。
しかし、走るアローよりも、マキタの移動速度がはるかに速い。たちまちのうちに追いつかれる。
「ふざけやがって」
そんなのチートじゃねえか。
マキタの奴はいつもそうだった。
まともにやって勝てないから、ネットで拾った改造データをゲームのメモリーにコピーペーストした改造データのチートキャラを作り、それで徹矢に挑んできたこともあった。
だが、どんなにキャラクターのステータスが高くとも、ゲームの勝敗はキャラのスペックだけで決まるものではない。
結局、どんなズルい手を使っても、マキタは徹矢に勝てなかったのだ。
そして行きついた先がこの怪物だ。
そうまでして勝ちたいのか。
アローに追いつき、その背中に切りかかるマキタ。
アローは正確にエスケープし、マキタへ一撃。
だが躱すマキタ。返しの爪がくるがアローはガード。そこからのリバーサル。吹き飛ぶマキタ。
徹矢の狙いはこれだった。
下手な斬撃はどうせダメージを与えられない。だが、ガード・リバーサルを喰らえば、マキタは吹っ飛ぶ。それで時間が稼げる。
徹矢の狙いすましたタイミングは、マキタを吹き飛ばし、自分は閉まるハッチをぎりぎり乗り越えてエレベーターの外へと飛び出していた。
マキタを残したまま、エレベーターの扉は閉まる。
巨大な密室は、マキタをのせて地上へと昇っていった。
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