第20話 不協和音
『本当におまえ、大藪なのか?』
指さすアイザックの言葉に、徹矢ははっとなった。
徹矢がてっきりホースケだと思っていたアイザックは、別人だった。
しかも、アイザックを呼んだのは大藪だとばかり思っていたら、それも違った。
大藪も、アイザックが誰だか知らないという。
だが、そのアイザックが、こんどは大藪のことを本物なのか?と糾弾した。
たしかに、アイザックの正体は不明だ。
しかし、大藪が本当に大藪であるか否か? そこも怪しい。いや、ネット接続でプレイしているのだから、そのプレイヤーが誰であるかなんてこと、そもそもが分からないのだから仕方ないが。
『おかしな疑いをかけて、話をそらすな』
スプリングが糾弾を返す。
『俺は大藪春輔で間違いないよ。嘘だと思ったら家に来てくれて構わない』
スプリングが言い放つ。
『おまえこそ、何者だ。名乗れよ』
『俺は
アイザックは告げた。
だが。
『バカを言うな。愛作の奴は、小栗とともに「マキタ・クエスト」に参加して事故に遭い、そのまま脳死状態でいまも病院のベッドで寝てるよ。おまえは愛作じゃない。何者だ?』
『俺は小栗に騙されて罠に嵌められた愛作さ。間違いない。大藪、おまえ、何か知っているんじゃないのか?』
いや、愛作ではないだろう。そこは嘘だ。
だれか別の人間が愛作に成りすましている。愛作が脳死状態であることを知らずにだ。
しかし、ちょっとまて。
ということは、この愛作を名乗るプレイヤーは、愛作も大藪も小栗も知っているということだ。とすると、かつてのA組のメンバーなのか。
「どういうことでしょうか?」
徹矢のとなりでショタが首を傾げている。彼の問うような視線には、徹矢なら何かわかるだろうという期待が込められていた。
だが、徹矢も首を傾げるしかない。
愛作は、前回小栗とともに『マキタ・クエスト』をプレイし、そののちバイク事故で入院、現在は脳死状態であると聞いた。
とすると、このアイザックのプレイヤーは愛作の敵討ちで参戦している可能性だ高い。
だから、愛作をもじってアイザックなのか?
『ごめん、お待たせ。じゃ、行こうか』
普通にミコンがもどってきて、その場の空気も過去の会話ログも読まずに、吹き出しを表示させる。
「まあ、ここで揉めてても仕方ない」
徹矢はショタに告げて、チャットに音声入力した。
『先を急ごう。プレイヤーの正体がだれであれ、クエストに協力してくれるのなら、それでいいじゃないか。みんな、マキタを倒すって目的は一緒なんだから』
捨て台詞を残したアローは、洞窟を出ていくミコンを追い、ショタも従う。
険悪な雰囲気のまま、スプリングとアイザックもついてきた。
岩ばかりの山道をみな無言でのぼり、とうとう死火山の頂上までたどりつく。
敵は何故か襲ってこなかった。本来なら全くいないという場所ではないのだが。
死火山の頂上は大きな噴火口になっている。
縁からは、ドーム状に抉られた火口が見下ろせる。背後を振り返れば、魔獣の森の大パノラマが広がっていた。
おそらく、この場所が、『ダーク・イェーガー』の世界でいちばん眺めがいい。
そこから五人は噴火口へ降り、火口の中心にある巨大な鉄のゲートを開く。
地面に敷き詰められた正方形の鋼鉄の蓋は、地面に立つスイッチ・パネルの操作で開く仕組みで、これを開くと中には巨大階段が十段、そのさきに五十メートル四方の地下室が広がる。
地下室には鉄のキューブがランダムに並び、場所によっては頭上の高さまで積み上げられている。一見するとそこは巨大な倉庫のようである。
が、ここの地下室の正体は、実はエレベーター。
この五十メートル四方の倉庫は、起動スイッチを押すとスチール扉が閉まり、高速で降下を開始する。
プレイヤーはこの倉庫のようなステージに乗ったまま、死火山の火口から、地底世界へと連れていかれるのだ。
アローがまっさきにスイッチパネルに到達し、そのボタンに手を伸ばす。だが、それより先に、スチール・ゲートが閉まり始めた。
徹矢はアローの向きを変え、レバーで視点を動かして上を見上げる。
階段の上に立っているスプリングが、こちらを見下ろしていた。
どうやら大藪が外のスイッチを操作したようだ。だが、なぜ、まだそこにいる? 一緒にエレベーターに乗らないつもりか?
アローの視線の先で、スチール・ハッチはするすると閉じて行き、外に立つスプリングの姿を隠す。
『おい、スプリング。どうゆうつもりだ』
アローの問いにスプリングの答えが、吹き出しとなって、閉じようとするハッチの隙間から流れ込んでくる。
『みんな、ここまでご苦労だった。達者でな』
『おい、どうゆうつもりだ!』
アイザックが叫ぶ。
『おまえ、何を考えている!』
スチール・ハッチがきっちりと閉まり、倉庫の壁のライトが妖しく点灯する。
立方体の箱が積み上げられた不気味な倉庫が、薄暗いまま降下を開始した。
スチールの天井がものすごい速度で上へ離れて行く。
スプリングを残した四人が、地底世界への高速降下を開始した。
残ったのはスプリングのはずなのに、なぜだろう、彼以外の者たちこそが取り残された感が強い。
『彼はなぜ来ないのでしょうか?』
ショタの問いに対する解答は、ふいに流れ始めた不気味な音楽と、画面上方に表示された異様に長いHPバーだった。
『なんだ?』
アイザックがつぶやく。
見ている画面が同じでも、流れる音楽でゲームの雰囲気は急激に変わるものだ。
いま流れる不穏なミュージックは、これから始まるであろう想像を絶する恐怖体験を具現化しているようだった。
ひゅん。
そんな速度だった。
なにかが通路の奥を横切った。まるで風を切るハヤブサのような速度で、それが通路のさきの箱と箱の間を横切ったのだ。
『何かいる』
ミコンの言葉に、徹矢はエネミーの存在を意味する画面上部のHPバーを睨む。
HPバーの横には××××と伏字が並び、敵の名称はいまだ不明。まるで忌み名のようだ。
もちろんこんなことは、過去の『ダーク・イェーガー』ではなかった。そもそも、エレベーター内に敵が出ることもシステム的に起こり得なかった。
「ははははははははは」
徹矢の耳元に、ふいに笑い声が響いた。誰かが耳元で笑い、その息吹が耳朶を震わせるようだった。徹矢ははっと背後を振り返る。が、そこには誰もいない。
「ははははははははは」
笑い声が動く。こんどは前。
徹矢は画面から顔を上げ、部屋の中を探す。真正面、テレビの上のイルカのぬいぐるみが笑っている錯覚を起こすが、笑い声はさらに移動する。
それが部屋の中で響いているのではなく、ゲーム機の、指向性スピーカーが生み出す音の効果であると気づいた瞬間、そのエネミーは襲い掛かってきた。
鋭い爪。まるでヒグマの手のように巨大な拳が、大気を穿つような高速で振るわれた。その速度は、飛来した銃弾となんら遜色ない。
だが、徹矢はそれを躱した。
ゲームを続けていると、ときとして見えないものが見えてくることがある。
プロ野球のピッチャーが投げるボールは、本来の人間の反応速度では打ち返すことが不可能だという。
また、ある格闘ゲーマーは「小キック見てから、昇龍拳余裕でした」と語った。
すなわち、敵キャラのキックが出るのを見てから、コマンド入力して出した特殊技で、敵キャラのキックが当たる前に迎撃できたというのだ。
このときの徹矢も、本来見えないはずのものが見えた。徹矢にはそれがときどき起こる。
なにかの感覚が開くのだ。額の辺りにある、なにかの門が開き、本来は稼働していない感覚器が動き出すのだ。
アローが襲い掛かってきた五指の爪をかわすと、反撃の大剣を抜き打ちで相手の背中へと叩き込んだ。
がりがりっという手応えとともに、巨大な刃が毛むくじゃらの背中を斬り裂き、盛大な血しぶきを跳ね上げる。
背中をざっくり切り裂かれた敵は、ごろごろと床を二回転し、受け身を取ったあとの柔道選手のように何事もなく立ち上がる。
それは、見たこともない異様な姿の、嫌悪感の塊ともいえる、異形の怪物だった。
まるで、悪夢の中から切り取られたような、闇の
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