応援コメント

第3話 サクリファイス」への応援コメント

  • 犠牲。よく耳にする言葉ですけど、結構闇の深い概念ですよね。
    誰かの正義が果たされる時、同時に誰かの正義が犠牲になっている。
    つまり、成功や失敗とかの表裏一体になってる概念は常に同時に発生する。

    単純明快な論理ですが、同時に理不尽であるとも感じます。
    犠牲という概念を使った創作の中で、私が初めて触れたのは『氷菓』ですが、作中で生贄となるキャラは全編通して不幸のままでした。

    誰かの成功は誰かの犠牲と共に成る。

    この大前提は崩せないとしても、せめて犠牲となった誰かは幸せであってほしいと思うばかりです。それが自己犠牲であるならば尚更。


    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

    「正義」という話が出たので少し話は逸れますが、私の見解を述べさせて頂きたいと思います。
     仰る通り、正義は不義の上に成り立っています。
    『誰かの正義が果たされる時、同時に誰かの正義が犠牲になっている』
     正義とはその人の主観によるものですので、誰かの正義が犠牲になる、という表現はとても適切であると思いました。

     この話の犠牲とは、それに対なす「対価」に焦点を当てています。本来対義語の「我が儘」などを引き合いに出すべきですが、似て非なるものです。

     すべての事象は表裏一体であり、善も悪も互いが補完し合うものですよね。
     ヒーローしか存在しない世界で、正義を謳うことはできるのか?
     善は悪を育み、悪は善を輝かせる。
     実際の世界ってそんなもんです(笑)