第3話 サクリファイス

 私はわりと秒で人を見下す。

 当然顔にも空気感も出さないが、とにかく自分より知性が劣っている奴と会話したもんなら、瞬きより早くクソの烙印を押すだろう。

 次にそのクソ野郎をどう使うべきか考え、利用価値を精査する。

 

 随分な言い様だと自分でも思うが、少なからず言葉にそこしないものの、大多数の人間は心の中でそうやって人を分別している。

 言い換えれば自分にとっての損得勘定を弾き出して、言動を選んでいるわけだ。


 私は社会性として利益のある「みんな平等」を信条として選び、その「みんな」の中で当然一定水準に満たないものは踏み込まないようにしている。

 しかし基準に満たない場合でも、それが上司である場合は扱いを変える。

 環境というのは大きい。

 この先長期的にみて関わることが確定している場合は、例えクソ野郎と思っていてもぞんざいに扱うわけにはいかない。


 大衆のほとんどが「給料が上がらない」と嘆くが、現状を変えるため行動している奴はほぼ居ない。

 クソ上司に一生頭を下げなければならないと文句をいう人は、昇進を目指せばいいだけのことだ。

 対等もしくは上司を部下として手駒に変えてしまえば、盤上は大きく変わるだろう。


 将棋とチェスの違いはなんだろうか。

 将棋は相手の駒を取ることで自分の戦力に加えることができる。

 これは中国のチャントラガというものがシルクロードを渡りチェスとなり、唐の時代に日本へ来て将棋になったことで戦の戦法がボードゲームへ反映されたのだが、私は長らくチェスを好んでいる。

 高校時代には日本ベスト16まで勝ち上がったこともあり、戦略的に物事を脳内で組み込むクセが定着している。

 チェスは相手の駒を取るとそれは消滅する。

 当然どんどん取られてしまえば戦力は目減りしていくのだが、知力を尽くせば、キング(自分)と手駒一つでチェックメイトも可能だ。


 その過程で、自軍を犠牲にする【サクリファイス】という戦術がある。

 相手が意気揚々と駒を取っている最中、数手先を見越して自軍を動かす。

 優勢を前に人は傲慢になり思考を止める。


 私は人生の中で劣勢に立たされたことのほうが圧倒的に多い。失敗も多く重ねてきた。


 日本人はどういう訳か失敗を恐れる人種らしいが、失敗は劣っているということではないと思う。

 言葉では同じことをいう人間は多くいるが、本当の意味で経験し理解している人は少ないように感じる。


 失敗はトライしたという結果であり、何故失敗したのかと思考を巡らせそれを知識として得るチャンスである。

 劣勢も同じく、そこから活路をどう見つけるかと頭脳をフル回転させる好機である。


 サクリファイスは誰しもが経験していることだ。

 物事は何かの、誰かの犠牲の上で成り立っている。

 

 私の実父はとある大企業で九大卒から定年まで勤めていたが、肩書きは【平社員】である。

 能力がなかったのかと思ったが、実はそうではないらしい。

 尽く昇進を断り他人に昇進を譲りつづけ、平社員を突き通したという。

 日本で初めて携帯電話の通信テストをした人間でもある。

 彼は自己犠牲の上で何を得たのか。


 私にはまだその領域に達していない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る