夏がまた始まった

「ねぇ、おまつりにはやくいこう」


私の可愛い息子がそう言ってきた。私は


「わかった。甚平を来てからね」

「ほんとに!?やった!へやからとってくる」


目をキラキラさせて、周りをジャンプしていた息子は部屋に戻った。

私は息子から目を逸らし、ため息を吐いた。




あの夏を思い出してしまったから。

窓の外側には入道雲が広がっている。それを見ながら私はあの日のことを思い出した。




初めての経験だった。彼氏が出来て初めての夏祭り。

正直な話、私はものすごく浮かれていた。

今まで周りの恋愛を聞いて、羨ましいと思っていたのに、やっと私も彼氏と出かけられると思うと胸が高まった。

いつもなら浴衣なんて面倒で着る予定なんて立てないが、今年は母に頼んで浴衣を送ってもらった。

過去の自分に子どもっぽい色を選ばなくて良かったと思いながら、着付け終わった自身の体を労った。

そしてまた、鏡を睨みつけるように髪飾りをし始めるのであった。


待ち合わせ場所ではあの人も浴衣を着ていた。

笑顔を浮かべて、私を引っ張ってくれたあの人の手は暖かかった。

2人きりになった時、あの人の秘密を知ってしまった。そのせいで私が邪魔な存在であったことも知ってしまった。

あの人が手を伸ばそうとしているのが見えたが、後退りをしてしまった。

あの言葉の意味を理解したくなくて、自身の存在意義が分からなくなって、消えてしまいたかった。

祭りの賑わいも、花火の開く音だってもう聞きたくないと思い、その場を駆け足で離れた。

追いかけてほしかったのに、追いかけることさえしなかったあの人。

最後に見た姿は、涙を頬に流すあの人。初めて見た姿が最後だった。

夏が終わったあの日、私の青春が終わりを告げた。

全てを捨てて地元に戻ってきた。

両親は何も言わずに受け止めてくれた。進学した先は知り合いもいなかったおかげで誰もここには来なかった。

そのことに感謝しつつ私は全てをやり直し始めた。




「おかあさん?」


息子が私を呼ぶ。

部屋にいつの間にかいた息子は、甚平を持って期待に満ちた目に、不思議そうな顔もしている。

私は謝りながら


「ごめんね、考え事していたわ」

「だいじょうぶ?」


首を傾けてこちらを見る息子。私は笑顔を浮かべて


「大丈夫よ。さっ、着替えましょう!祭りに遅刻するわよ~」

「おかあさんのせいだよ!かんがえごとなんてしてるから!」

「ごめんね、早く準備するからね」

「うん!」




息子に甚平を着させて、私も毎年行っていた祭り会場へ向かう。手を繋ぎ


「たのしみ!たっくんたちもくるらしいよ」

「そうなの。会えるといいわね」

「うん!」


顔に満面の笑みを浮かべ、私の方を見ている。そして、頬を紅色に染めて


「おまつりに、ゆなちゃんもくるっていってたの!あえるかな?」

「そうね、会えると思うわよ」

「どこにいるかな」


小さく呟いた息子の姿が可愛くて、可愛くて抱きしめたいのを抑えた。まだ5歳なのにという気持ちと、もう5歳になったという相反する気持ちに襲われる。息子は心なしかいつもより早く、そして跳ねるように歩いている。

祭りの会場から聞こえている音や、周りを歩いている人たちの姿。そして、恋をしている息子に対して私自身が苦しくなってしまう。

あの夏を思い出してしまうから。別れたあの日の感情が蘇ってきて、だんだん胸が苦しくなってくる。


「おかあさん?」


息子が私に声を掛けてきた。私は酷い顔になっている自覚があるので、顔をいつものようにしようとするが


「つらいの?だいじょうぶ?」

「大丈夫よ。少し寝不足だったからね」

「むりしないでよ」

「ありがとう」


私に気を遣っている息子に申し訳なくなりつつ、私は嫌な記憶に蓋をした。

軽く深呼吸をしていると、息子が急に手を離して、走り出した。


「どうしたの!?」

「おみずかってくる!」

「勝手に手を離さないで!怪我したら」


案の定、走っている息子が転びそうになってしまう。私も走って向かうが間に合わない。


「危なかったな」


前の方から来た男性が、息子を支えてくれた。そのおかげで息子は転ばずに済む。息子は辺りをキョロキョロとして、受け止めてくれた男性を見つめて


「ありがとう!おにいさん」

「気をつけろよ」

「うん」


息子は立ち上がり、お辞儀をしている。私は立ち止まっていたが、息子の方へ向かい


「すみません。本当にありがとうございます」

「いえいえ、お構いなく」

「本当にっ」


私は言葉を紡ぐことが出来なかった。私は男性の顔を見て、先ほど蓋をした記憶が蘇ってくる。息子は固まってしまった私の手を掴み


「おかあさん、どうしたの?」

「大丈夫よ」


声を震わせながら答えてしまう。息子を守るように抱きしめて、立ち上がり


「本当にありがとうございます。では、失礼します」


この場を立ち去ろうと走り出すが、私はすぐに足を止めてしまう。肩を掴まれて、後ろに引っ張られる。


「危ない!」

「きゃっ」

「大丈夫か?急に走り出すな。危ないだろ」


目の前で、風を切るようにクルマが走り去って行った。私は心臓の音が鳴り響くのが止まらない。息子は私を強く抱き締めてくれる。

男性、いや、あの人が


「お前は変わったかと思ったが、変わらないんだな」


後ろを振り返ると、あの時よりは大人びていたが、変わらない困った顔をしている。あの夏の時がより鮮明に呼び起こされる。

彼は私に手を差し出して


「良かったら、一緒に祭りに行かない?」


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