第3話 夕暮れの中で少女は

 私の首をへし折った少女が目の前にいた。


「課題、終わりましたよ游理ゆうり先生」

「え? そう。宇羅」

 何だろ、今すごく変な感じが…気のせいか。


 トントントン。

 どこかでそんな音が。


「どうしました先生? いつも以上にぼんやりしてますよ?」

「たまに宇羅ってすごくうっとうしくなるな」

「直接的ですね」

 彼女は裏内うらない宇羅うら

 見目麗しい長い黒髪で黙っていれば美少女、しかしその中身が色々残念なことに私の中で定評がある。

「失礼なこと考えてましたよね?」

「そんなわけない」

 ヤバ。たまに無意味に鋭いんだよねこの子。

「むしろ教師にそんなことを言う生徒の方が無礼だろう」

 露骨に話を逸らすダメな教師。

「わたしはいつも品行方正な優等生で通ってます」

「優等生は赤点で居残り組には入らないと思うぞ」

「あれは解答欄がわかりにくかっただけです。おかげで全部ズレて記入していたことに終了3分前まで気付きませんでした」

「マークシートならともかく『筆記試験』でそんなミスを『毎回』する生徒はいない」

 それでもミスがなければできる子だって信じたい。

 …そうだよね?

「先生、可哀そうな子を見るような目で見ないでください。繊細なんです、わたしは」


 爆弾と同じ種類の繊細さだけどな。

 目を離すと、何をしでかすかわからない生徒筆頭。


 トーントーントーン。


「とにかく、課題は終わったんだろう。ならさっさと提出してくれ」

 人懐っこいニコニコフレンドリーに距離を詰めてきたらどうすればいいのかわからないけどね!

「はい、わかりました。游理先生」

 そう言ってプリントを手渡しながら


「帰りましょう、わたしたちの家に」

 

 裏内宇羅はそう言った。


「…待って」

 また、何か嫌な感じが。校内に人はもうほとんど残っていない。さっさと帰りたいのに・・・

「ねえ宇羅。やっぱり不安になってきた。もう一回見直しして」

 こいつが失敗するのはケアレスミスって決まってるんだ。

 

 まあ、今回みたいに「全問きっちり」不正解なんて大ごとになったのは、三割くらい私の体質のせいかもしれないけど。


 とびっきりの厄を引く

 藪蛇やぶへび

 おかげで「普段の仕事」も。


「え?」


 仕事? 

 私の仕事はこの学園の教師。

 私の役柄はこの屋敷の生贄。


「どうしたんです? 庚游理かのえゆうり先生」

 宇羅の声が遠くから聞こえるように小さくなっていく。

 そうだ、私は違う。ここにいるべき人間じゃない!


 そもそもここはどこなんだ?

 私がいたのは…くそ、頭の中に霧がかかってるみたいに、肝心なことが思い出せない!


 憶えてるのは、彼女の手で。


 血。


 赤く染まって。

 教室の全ての机に乾ききった血液が付着していた。

 そして空間を満たす死臭、怨嗟、いつも見慣れているはずのそれは、ここにあっては以上だった。建物に憑く幽霊も。人に憑き祟りとなる怨霊とも、この世界にあるいかなるものとも異なる、暴力的な強度の怨み、怨嗟。まるでこの教室、いや学園自体が怨嗟そのものであるかのような狂暴なまでの脅威。


 そこまで考えてようやく、これだけの状況で、周りの誰も騒いでいないことに思い至った。


 いや、そもそも。

 ここに誰がいる?

 域他人気がどこにいる?


 生徒はもちろん教員も。

 誰もいない。



「家に帰らないんですか?」


 人が懸命に考えてるのに、甘えた口調で喋るなよ!


「家に帰らないんですか?」

 うるさい。お前なんて知らない、知らないはずなんだ。


「家に還らないんですか?」


「…うるっさい!」


 叫んだ。

 絡みとられる蜘蛛の糸を断ち切るように。ただ叫び、そして


「その家で、おまえが私を殺したんだろ!」


 真実を告げた。


「ありがとう。貴方はわたしが見込んだ通りの人でした」


 そう言って。

 裏内宇羅は笑った。

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