風雲前夜 2

「教育し直す……ねぇ。駒の教育に関われないから。うちにちょっかいを出しに来たか」


 艶のある低い声。どろりとした、粘り気のある物言い。骨まで食い尽くしそうな、まなざし。わずかに出た桃色の舌が、赤い唇を舐める。子どもを抱える女から、敵が後退る。


「あっ!」


 ビクッ。イリスが身をこわばらせる。硬くなった感触に、母親はしまったと思った。抱え直すより、早い。子どもは両手と両足を使い、母の胸を強く押す。滑り降りた。


 イリスは走る。しゃがんで出迎える、ラウスの元に飛び込む。抱え上げられると、ピタッとくっついた。


「おーい……」


 物問いたげに、ラウスは呼ぶ。イリスは震えていた。呼吸も浅い。恨めしげな、クレアのまなざし。嫌いとでも言うように、そっぽを向く。


「嫌われてんじゃねぇか。母親のくせに」


「ちょっと~」


 どっと、敵が笑い声を上げた。クレアが呼ぶが、イリスはラウスの服を掴む。しっかりと。


 無意識に出てしまう、クレアの声。意図的に出すことも可能だ。性質は、異性をゾクゾクさせて、気分良くさせる。知ってからは声を使い、意中の男を落としてきた。自分の娘は、神々の遊戯の駒になる。父親として、ふさわしい男を選らばなくては。


 選ぶ段階になって、選べたのは。ラウスだけ。声にまったく反応しない男。


「よく、そんな地味な男と付き合ってられるな」


「自分で選ぶとねぇ。片寄って、飽きるのよ」


 敵が呆れる。クレアの本音。いつも、十人前後の男を引き連れている。ほとんどの事をやってもらっているのだ。


 自分の声に、過剰に反応する娘。毎回、自分に確認する。わたくし、娘を産んだよねぇ。教育方針を決めても。子育ても、他人任せだ。


 ラウスは苦笑い。クレアから聞いている。自分に似た容姿と、あなたの頭脳を受け継げば。勝ちは確実だ。逆になったら、負けか。考えたが、口をつぐんだ。


「余裕、ぶっこいてていいのか?」


「ええ。時間稼ぎは済んだわ」


 いつもと違う反応。戸惑いと不審を抱きつつ、敵は訊く。視界に捉えた、クレアは手を挙げた。


 囲うように建つ、高層の建物。窓の外に立つ、人々。一名ずつ、縦と横、点在してに立ち、銃口を向けていた。


 円筒形に囲まれたと、敵は知る。飛来する音を聞き取った。


 高層の建物を越えて、十の緑色の光の線が引かれる。クレアと敵の間。舗装された地面をえぐる。続く、攻撃。


「クソッ! 少し早いが、呼ぼう!」


「オルレアさま! ここに、あなたさまが望んだ、駒があります!」


 近づいてくる、光の攻撃。人智を超える力を有する存在によるもの。理解した敵は決意する。顔を見合わせて、同意をつのる。一名が手を挙げて呼ぶ。


 イリスは思い出そうとする。聞き覚えのある、オルレアという名。どこで聞いたか。


 居合わせた、全員の背筋が冷やされる。ゾクッ、と、身を震わせた。上空に現れる。恒星ラーズの隣。匹敵する深紅色(アラマランサス・パープル)の光。


 ラウスの肝が冷える。イリスを抱える手に力が入る。人智を超える力を持つ存在を敵に回して、娘を守りきる自信がなかった。呼ぶか。


 脳裏に姿を思い浮かべる。自分と契約を結んだ。対抗できると踏む、変わった気配の存在。ラウスの血の気が引く。呼び方を取り決めてなかった。

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