第4話 夢デート

「……凄い」


 私が目を覚ますと、そこはメルヘンなおとぎの国だった。まるで、絵本の中からそのまま飛び出してきたようなお城の前に、私は立っている。それも、お姫様が着るような煌びやかなドレスを身にまとってである。


 ……何これ、とても恥ずかしいんだけど。あとでマオに文句言わなきゃ。


 そんなことを考えていると、どこからともなく馬の蹄の音が聞こえてくる。

 音がした方向を振り返ると、白馬に乗った王子様――マオがいた。ふざけているのか、と言いたくもなるが、流石はイケメン。どんな格好をしても、似合ってしまうものだった。

 少しでもかっこいいと思ってしまった自分が、どうにも悔しかった。


「やあ、僕のお姫様。迎えにきたよ」


 白馬から降りたマオは、私の前に膝をついてお辞儀をする。その光景を見て、そういえば昔、こんなのに憧れたっけ、と思い出す。今となっては完全に黒歴史だが、どんな子でもいちどは通る道である。多分。


「や、やめてよ。恥ずかしい」

「違ったかい? おかしいな、君の望みを忠実に叶えたはずなんだけど」


 私が恥ずかしがりながら言うと、マオは不思議そうに首を傾げる。


「これを、私が望んだ?」

「夢魔は、相手が心の底から望む夢を見せる。ここで再現されているものは、全て君が心のどこかで望んだものなんだよ」

「そう……なんだ」


 マオの言葉は全面的に信じると決めている私は、納得はいかないが、とりあえず頷いておくことにする。もし彼の言葉が真実だとしたら、何を言っても、墓穴を掘るだけなのだろうから。

 せっかく、マオが一肌脱いでくれたのだ、今は楽しまなければ損というものだろう。


「それで、お姫様。今日はどちらに行かれますか?」


 すっかり王子様という役を演じる気満々であるマオに、私は圧倒されながらも、ここを一つの舞台だと思って、全力でそれに乗っかった。


「そうね。まずはお茶にしましょうか。ゆっくり話もしたいし」

「仰せのままに」

「王子様にしては、ちょっと頭が低すぎじゃない?」


 私はそんな嫌味を口にしながらも、マオに優しくされるこの時間が嫌いではなかった。たとえ、いつかは覚めてしまう夢だとわかっていても、今はこの一瞬一瞬を楽しもうという気持ちでいっぱいだった。

 マオが指をパチンと鳴らすと、周囲の風景が一変する。

 これまで何もなかった場所にはテーブルと椅子が用意され、その上には食べきれないほどのお菓子と、白い湯気の立つ香り高い紅茶が並べられていた。

 それを見た私は、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。


「これ、全部食べても太ったりしないのよね?」

「もちろん。夢の中ですから。無論、お腹も膨れないので、好きなだけ楽しめます」


 太って体の線が丸くなってしまわないように、私は普段から食事制限をしている。そのため、大好きなお菓子も、一ヶ月に一回だけのご褒美。どれを無制限に食べられる。それだけでも、夢のようだった。


 ……まあ、夢なんだけど。


 とにかく、私は早速席に着くと、行儀が悪いのも承知で、ケーキを取り分けると、口一杯に放り込んだ。

 夢の中で最初に満たすのが食欲というのは、少々恥ずかしい気もするが、いまさら遠慮することもない。

 私は、手当たり次第にお菓子を頬張っていった。

 それを見ていたマオは、満足そうに微笑む。


「いっぱい食べる姿も素敵ですね?」

「な、何よ急に。誉めたって、何も出ないわよ」


 流石にマオみたいなイケメンに素敵だなんて言われると、演技だとわかっていても、恥ずかしくなってしまう。子供の頃に夢見た、私にだけは何があっても優しい王子様。マオは、それを完全に再現している。

 しかし、このまま流されるばかりではいけない。そう思った私は、一つ質問をしてみることにした。


「ねえ、他の女の子にもこんなことしてるの?」

「どうしてそんなことを?」

「いや、だって……友達が言ってたから。女癖が悪いとかなんとか」


 私が声を小さくして言うと、マオは納得したように頷いた。


「それは僕の評判を落とすために作られた噂だよ。まあ、一部の女子たちには、女癖が悪い方が受けがいいみたいなんだけどね。第一、僕は女嫌いだからね」

「女嫌い? 夢魔なのに?」

「小さい頃に、女性に酷いことをする男性を見てしまったことがあってね。自分はそうはなりたくない。ただ、そう思っただけのことなんだけど、気がついたら、自分から女性を遠ざけるようになってしまった」


 マオは、遠い記憶を思い出すように、何かに焦点を合わせるわけでもなく、ただ宙を見上げる。その様子を見て、私はなんとなくではあるが、踏み入ってはならない底知れない闇を感じた。

 しかし、ここで逃げてしまえば、二度と訊ねるチャンスがないきがしたため、私は意を決して一歩踏み込んだ。


「じゃあ、どうして私には付き合ってくれるの?」


 女嫌いなのだとしたら、私を助けるために、夢を見せることだって本当はしたくないはずだ。であるのにも関わらず、こうして素敵な夢を見せてくれている。

 それはどうしてなのか、訊いてみたかったのだ。


「それは簡単だよ。僕は女が嫌いだが、それ以上に自分の身勝手で女を泣かせるようなやつが大嫌いなんだ。たとえばそう。君の父親みたいに、娘の命も顧みない奴とかね」


 マオの見せた鋭い目つき。それに撃ち抜かれてしまった私は、思わずキュンとときめいてしまう。

 しかし、それを表に出すことは絶対に許されない。

 女嫌いなマオのことだ。私が好意なんて向けたら、きっとどこか遠くへ行ってしまうだろう。そんな最悪な形でのお別れなんて、嫌だった。

 胸に抱えたこの気持ちを悟られないように、私は言った。


「次はダンスがしてみたいな。舞踏会なんて、シンデレラみたいでしょう」

「かしこまりました、僕のお姫様――」

「もう、僕のは余計だってば……」


 私は、頬をぷっくりと膨らませる。こんな子供のような仕草をしたのは、いったいいつ以来だろう。物心ついてからは、ほとんど記憶がない。

 これが私の素なのだ。それを取り戻させてくれたマオに、私は口には出さないものの心から感謝した。


「私と踊ってくださいませんか?」


 私の前で片膝をついて、手を差し出すマオ。そのてを、私は喜んでとった。


「ええ、もちろん。こんな私と踊ってくださるのであれば――」


 直後、明るかった空が、星の美しい夜空へと変わり、周囲は豪華なホールへと様変わりする。そして、どこからかピアノの綺麗な旋律が聞こえ始めた。


 正直に言うと、ダンスの踊り方なんて、私は知らない。

 だが、夢の中だからなのか、あるいは、マオがしっかりとリードしてくれているからなのかは知らないが、面白いようにステップを踏むことができる。

 ドレスの裾をひらめかせながら、ふわりと回ったり、マオに抱きかかえてもらったりと、現実世界ではまず味わえないであろう体験をした。


「次は右、左、くるんと回って――」


 私が思い描いた通りに、マオは私を踊らせてくれる。

 しかし、いつまでもホールの中で踊っていてなつまらないな、そう思った時のことだった。

 私の心を読んだかのように、彼はバルコニーに私を誘導する。まるで初めからダンスの一部に組み込まれていたかのような動きに、私の心は弾んでいた。


 ……ああ、このままマオに攫われて、どこか遠くへ言ってしまえたらな。


 私がそう思った瞬間、私を抱え上げたマオは、ひょいっと飛び上がり、お城の屋根へと登った。


「キャア――!」


 あまりに突然のことに、私は久しぶりに女の子らしい悲鳴を上げる。下を見てしまった私は、途端に怖くなってしまう。

 しかし、そんな私を安心させるように、マオは私の体をぎゅっと抱えていてくれる。そう思うと、恐怖によるドキドキが、ときめきによるドキドキに変わっていった。いわゆる、吊り橋効果だった。


「いいよ。このまま私を攫って――」


 私が、マオの瞳をまっすぐ見て言うと、彼はもちろん、とでも言うように優しく微笑んだ。

 城の屋根の上をピョンピョンと、まるでウサギのように軽い身のこなしで飛び移っていく。

 そして、城の一番高いところまでやって来た。


「綺麗――ここからなら、月に手が届きそう」

「月を盗んでまいりましょうか?」

「それはまた今度。流石に、もう胸がいっぱいだよ」


 城の頂点。この世界で最もあの白い月に近い場所で、私はマオを見つめる。


 ……このまま、キスをしてしまえたらな。


 マオと一緒に過ごした数分間で、私の中には、そんなよこしまな感情が芽生え始めていた。

 でも、そんなわがままを言ったら、マオはきっと、私から離れていってしまうだろう。

 今のこの関係が壊れてしまうくらいなら、この気持ちはぐっと心の奥底に押し留めておこう。私は、そう決断した。


「もう、夢は終わりにしましょう。十分すぎるくらい、楽しませてもらったわ」


 この楽しい時間を名残惜しく思いながらも、私は夢の終わりを宣言する。

 すると、夜空にピキピキとヒビが入り、ボロボロと崩れ落ちてくる。夢の崩壊が始まったのだろう。

 せっかくの綺麗な景色、壊れてしまうのはちょっともったいない気もするが、元より夢とは一夜限りのもの。これが、本来あるべき姿なのかもしれない。


「それじゃあ、また現実でね」


 そう言い残すと、私の意識はゆっくりと覚醒していった。

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