第3話 男装天使と半夢魔

 保健室に運ばれた私は、空いているベッドに寝かされた。

 まだ朝の早い時間ということもあって、保健の先生はいない。


 ……つまり、私たち二人っきりってことじゃん!


 私が保健室に二人きりという漫画でしか見たことのないシチュエーションに驚いていると、彼は私の隣に腰掛け、ベッドに体を横たえた。


 ……何、これ? 私、添い寝とかされちゃってる!?


 初めて経験することの連続で、私はどうしていいかわからなくなってしまう。そんな戸惑う私を真っ直ぐな瞳で見つめたマオは、そっと私の額に手を置いてきた。

 風邪をひいた時に熱を測るような体勢に、私はそんなに自分の顔が赤くなってしまっているのかと心配する。

 しばらくして、マオの手が離れる。

 ようやく訪れた気を抜ける瞬間に、私は大きく息を吐く。どうやら私は、いつの間にか呼吸することも忘れて、彼に見入ってしまっていたらしい。


「君、どうして女の子なのに男の子の格好を? 心が男の子って感じでも内容だけど?」


 マオの核心をついた言葉に、私は肩をびくりと震わせる。

 私が女であるという事実は、家族以外の誰にも知られてはならない。

 父から、そう口酸っぱく言われている。もし、誰かにバレたということが知れたら、どんなおしおきが待っているか、わかったものではない。


「お願いだから、誰にも言わないで」


 私が懇願すると、マオはなんでもないことのように頷いた。


「もちろん。別に、言いふらすつもりはないよ。そんなことをしても、僕に対する悪い噂しか立たないからね」


 マオは嘘をついてはいない。少なくとも、それは事実だった。

 しかし、一つだけ腑に落ちないことがある。

 それは――。


「そもそも、どうしてわかったの? やっぱり、抱えた時に?」

「それを話すにはまず、僕の秘密を話さなくちゃならない。君の秘密を知ってしまったんだ、話すことに抵抗はないけど、僕の秘密を受け止めるかくごはあるかい?」


 申し訳なさそうに目を伏せて言うマオに、私は真剣に答えた。


「あるわ。だから聞かせて」

「信じてもらえないとは思うけど、僕は夢魔――インキュバスの血を引いた悪魔なんだよ。だから、相手の性別や、心の中を多少は窺い知ることができるんだ」

「夢魔!? インキュバスって、女の子を誘惑したり、いやらしい夢を見せたりして、最終的にあれするっていう……あの?」

「僕はハーフだからね。夢を見せるくらいの力しかないよ。だから、そっちの心配はしなくていい」


 マオは、やっぱりそういう反応になるよな、という顔をする。そうとは知らず、暴走してしまった自分が恥ずかしくなった。

 到底信じられる話ではないが、彼が夢魔だというのなら、女子たちを夢中にさせる異常なまでの色香やカリスマ性にも納得がいく。

 そんなのはデタラメだ、と切り捨ててしまうのは簡単だろう。

 だが、私は信じてみたいと思った。汚れを知らない子供のような、まっすぐな目をした彼のことを。


「信じるわ。でも、どうして悪魔が天使の中学校に?」


 天使と悪魔は長い間、敵対関係にあった。今は講和条約が結ばれ、お互いの住む街を行き来することもあるが、根っこの部分ではまだ差別意識が残っている。そんなところに悪魔が紛れ込んでいると知れたらどうなるか、想像に難くない。


「僕の父親が天使だからだよ。僕は天使と悪魔のハーフ。天使と悪魔、そのどちらにも居場所はないんだ」


 マオの告白を聞いた私は、胸が締め付けられるような思いだった。


 ……マオは、私に似ている。彼もまた、生まれながらに、異なる二つの間で揺れ動くことを運命付けられているのだと。


 男の子と女の子、真の意味でどちらにもなりきれない私と、天使と悪魔、そのどちらでもないマオ。

 もしかしたら、生まれてからずっと抱え込んできたこの秘密を、共有できる相手を見つけたのかもしれない。そう思うと、私は嬉しくて、飛び跳ねたい気分だった。


「私たち、お友達になれないかな?」


 私が期待を込めて言うと、マオは急に怖い顔をする。

 そして、冷たく突き放すような声で言った。


「君には、友達を作るよりも先にやることがあるだろう。言ったはずだ。そんなことを続けていては、いずれ死ぬと」

「私が、死ぬ――?」

「もう、自覚症状が出ているはずだ」

「それって、この頭痛や目眩のこと? それなら大丈夫だよ。確かにさっきは死ぬかもって思ったけど、ちゃんと頭を庇えば、打撲程度で済んだはずだし」


 私がにこやかに言うと、マオはさらに怖い顔になり、私の肩を掴んで揺すってきた。


「大丈夫なはずがない! 女の子になろうとする体と、男の子であろうとする心。その二つが互いに反発し合っている状態というのは、意味が思うよりずっと危険な状態なんだ。いつか、そう遠くない日に、体か心か、どちらかが壊れてしまう。そうなったら、命だって危ないんだぞ!」


 鬼気迫った様子で言い放つマオに、私は呆然とする。


「私、本当に死んじゃうの!? そんなの嫌だよ……。まだやってないことたくさんあるの! もっと色んなことがしたいの! 何か、何かないの? 私が死ななくてもいい、そんな方法が!」


 私は、死という恐怖に耐えきれなくなり、取り乱す。そして、何かそれを避ける方法がないのかと、マオを問いただす。

 するとマオは、私を安心させるように、背中をそっと撫でながら言ってくれた。お母さんに、不安で眠れない夜はこうしてもらっていたことを思い出し、私はどうにか冷静さを取り戻すことができた。

 私が完全に落ち着くのを待ってから、マオは言った。


「一番は、今すぐ男の子であろうとすることをやめることだ。それが一番確実で、リスクも少ない」

「それは無理よ。これはお父様の命令だもの。この約束を破ったら、わたしは家を追い出される。あなたのその言い方。他にほうほうがあるのよね?」


 私は、最後の望みを託して、マオの瞳を見る。彼は一瞬目を伏せながらも、大きくため息をついて語り始めた。


「ある。それは、女の子である時間を作ることだけだ。せめて、夢の中でくらいは、女の子らしく、胸の奥に溜まった欲求を消化する。そうすることができれば、綱渡りに近い状態だけど、どうにか死ぬことだけは避けられる」

「でも、そんなことどうやって……?」


 私がどうしていいかわからず途方に暮れていると、彼は私の不安を取り除くように笑ってくれた。


「僕は夢魔。夢を見せることは得意なんだ。僕が君に、最高の夢を見せてあげるよ」


 マオは、私の手をぎゅっと握ってくれる。そうされると、不思議と眠くなってくるのだから不思議だった。

 これが、夢魔としての能力なのだろうか。


「さあ、力を抜いて。僕に全てを委ねて。それじゃあ、行くよ」


 マオに導かれるまま、目をつぶった私の意識は、どこまでも深く落ちていった。

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