第6話

 実際、こういう手合いは、大学病院の小児科病棟に少なからず居た。

 曰く、私は救世主で、人類の苦しみを一身に受けているだの、外国から婚約者である某国の王子様がやって来るだの。

 何も、本気で信じている訳ではないだろう。それは、信仰である。親も、医師も、自分自身も信じ切れない。最期にすがるよすが

「私のお父さまは、女性恐怖症なの」

 転校の翌日、学校。誰も居ないのを確認してから、その娘、本匠紙織ほんじょうしおりは語った。

 その昔、妖精じみた美少年だった彼。同年代の少女の手で、簡単に押し倒せてしまいそうな。実際、何度か危ない目に遭ったそうだ。

「でもね、お父さまには、頼りになるお兄さまが居たの…」

 左腕を握り締める手に、力がこもる。一つ上の兄。まるで、騎士と姫である。お姫さまは、当然、騎士に恋をする。しかし、兄弟である。どうにもならない。

 要するに、父には騎士が居たが、この子には居ないのであろう。私は、そう結論した。目の前の少女は、空想上の兄のことを語っているのだ。京都に、双子の兄が住んでいる。京都は、生まれ故郷らしい。そして、生き別れになったまま…。

「どうして、あなただけ九州に来たの」

 馬鹿な質問をした。後悔に、青ざめる。顔を上げた先、組んだ手を両手で包まれる。恐る恐る顔を上げる。

「お兄さまのためです」

 言葉を失った。いつか見た宗教画を想わせる表情。ああ、実際、この子の言う兄は存在したのだ。そう確信した。

 そこで、咳払いをひとつ。

「でも、お兄さんが居ても、あなたを守ってはくれない訳ね」

 上目遣いで、表情を窺う。

「おかしなことを言うのね。私が、兄を守ったのよ」

 これこそが、彼女の大切にしている信仰そのものらしい。具体的なことは、何ひとつ解らないが。

「あのね、内緒だよ」

 そう断ってから、私の耳元で囁く。

「私、今まで、九州中の名門とされる女子校で、お父さまと同じ目に遭ってきたの。でも、私はお父さまとは違うから。全員、実力行使でね」

「えっ…」

 顔を離して、お互い見つめ合う。笑い声の合唱である。

「私も! 私もね、よく病院で暴れていたの。時々、体調が良くなった時なんか、院内学級まで出掛けて部屋を荒らしていたのよ!」

「あなた、酷いことするのね…」

 笑いすぎて、目尻に涙が浮かんでいる。

「みんな良い先生だったからね。元気でよろしいって、笑って許してくれたの。そうだよね。静かに、ベッドで死んでいくくらいだったら、備品のひとつもぶっ壊していかないと! そしたらね、たとえ、途中でくたばってしまっても、ああ、暴れん坊が居たっけなあって、笑ってみんなに思い出してもらえると思わない?」

「そうね。生きている限り、爪痕は残さないとね!」

 私たちは、すっかり意気投合してしまった。

「ああ、でも、あなたのお父さんには、悪いことしたわね。女の人が苦手なのに、あんなに敵意むき出しでにらんでしまって…」

 そこで、何か言いたげに見上げてくる。

「だからね、何か気に障ったのなら、申し訳ないと父が…」

 ずきんと胸が痛む。慌てて胸の前で手を振る。

「こちらこそ、ごめんなさい。私、勘違いで、酷い態度を取ってしまって…」

 顔を上げて、小首を傾げる彼女。いいのよ。そういう代わりに、背中をぽんぽんと叩いてくれた。

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