3 これはトリアタマタカナキイノシシだ。もう一度言ってくれ?
飲食店から漂うスパイスの香り。町の中央の塔から鳴り響く鐘の音。
そして、異国情緒溢れる服装の人々。
道行く人々の身なりは多種多様であり住民だと思われるステファニーの様な西洋風のドレスを纏った者から、旅人だと思われるコタルディや漢服を纏った者もいる。
そんな人々がひしめく狭い道の中を、私はステファニーを見失わないよう必死に進む。
「良い香りですねえ。香辛料でしょうか」
「そうだよー。フランドレアの名物料理は肉料理が多いから肉の臭みを消すために香辛料やハーブが良く使われるの。あと、果物を使ったスイーツも有名だよ」
「そうなのですか。是非食べてみたいです」
「キューイ」
この言葉は本心から出てきた物。
長い闘病生活の間は主治医から発令された『ナマモノ禁止令』により食べれる物に限りがあった上に、もし果物が出てきても全て消毒済みであった。
勿論誰かが色々工夫をして用意してく食事である事は理解している。
それでもたまにはナマモノや消毒されていない果物も食べたいではないか。
町並みを眺めているといくつかの特徴に気づく。
一つはこの町には仕立屋が多いという事。
そして、もう一つは。
「この町……花瓶が多い気がします」
店先のプランターから、窓際のハンキングバスケットまでこの町には植物の苗床となる物が多くある。
しかし、それらには植物が植えられていない。
「一年前は、どこのプランターにも花が植えてあったんだけどね」
「何かあったのですか?」
「最近木の
植物が育たない謎の現象か。
道中のステファニー先生による説明により、
「さあ、着いたよ。ここが私の家」
たどり着いた場所。それは仕立屋や飲食店でも無いこの町で普通の普通な三階建ての灰色の家。
入り口に看板があったが何が書かれているのかは分からない。
「一階は魔法教室で、お母さんが経営しているの。あー、でもお母さんの料理の腕前はフランドレアの一流シェフ並みだよ。特に『ポワール・ベル・エレーヌ』と、『トリアタマタカナキイノシシとミネヴァダケのポワレ~嫦月海のカキを添えて~』は絶品」
ステファニーは、玄関の前の階段をスキップしながら登る。
彼女の家の前にも何も植えられていないプランターが並んでいた。
そして私は彼女にふと感じた疑問を述べる。
「あの、料理名をもう一度言っていただけませんか?」
トリアタマタカナキイノシシとは何だ。
*
唐辛子系のスパイスと爽やかなハーブの香りが漂うステーキ。
香ばしい匂いを発する丸パン。モフたんの為に小さな器に盛られた野菜スープ。
そして、中央に並ぶのは、別名、海のミルクとも呼ばれる、殻に包まれた究極の至宝。
「生ガキだぁぁぁぁぁあ」
「キューーーーイ」
ナマモノの中のナマモノ。
禁忌の中の禁忌。
それが、そこにはあった。
「あら、そんなに喜んでくれるなんて」
テーブルから向かって右側のドアから、ティーセットを乗せたトレーを持った女性が入ってくる。ステファニーの母シャナだ。
髪はステファニーちゃんと同じ赤毛だが、瞳は緑と虹色のオッドアイ。
「わあ、ティーポットから素敵な香りがします。ラベンダーティーでしょうか? 」
「その通りよ。フランドレア出身では無いのに良く知っていたわね。貴方教養が深いのかしら。本はお好き?」
「大好きです」
「なら、ここに滞在している間、魔法教室にある本を好きなだけ読むといいわ」
「ほんとですか? 泊めていただけるだけでも十分なのに」
その言葉を聞いたシャナが、カップにラベンダーティーを注ぎながらニヤリと笑う。
実はシャナに事情を話したところ、記憶が戻るまで、ここに泊まっても良いことになったのだ。
ああ、エラ裁定神のご加護かな。
「まあ、その代わり雑用はしてもらいますからね」
「はーい……」
「ふふ。ところで貴方に適性がある
「えーと、
困惑する私の様子にシャナさんは少し驚いたように眉を上げたが、すぐに元の笑顔に戻った。
「ああ、そういえば記憶喪失だったのよね。ごめんなさいねえ」
「いえいえ」
「基本的に
「五つですか?」
「そうそう、適正がある
「なるほど。適正がある
「使えなくはないわ。ただ、効果はイマイチになるから、あくまで適正のある
シャナさんの言葉が途切れる。
すぐ側にある螺旋式の階段から、誰かが駆け下りる足音がしたからだ。
「お母さん。お兄ちゃん、後で食べるって」
「あら、じゃあ先にお夕食にしましょう。コハクさんこのお話はまた後でしましょうか。その時に貴方の適正
シャナが向かい側の椅子に座ると、ステファニーちゃんも隣の椅子に座る。そして両手を胸骨の辺りで交差して重ねた。
「敬愛なる、冥府神エレシュリ様、癒合神アザゼラ様、裁定神アルシエラ様、理知神アスタロト様、そして、我らが守護者、縫飾神ミネヴァ様のご加護を」
呪文のような文言を唱えると、二人は食事にありつき始める。
日本人でいうところの、「いただきます」の様な物であろうか。
私も慌てて同じ文言を唱える。
モフたんは、そのような事には興味が無いらしく、もう既に野菜スープにがっついていた。
*
ステーキを一口頬張る。
爽やかなハーブの香り。
何故かほんのり甘い肉汁。
胡椒のようなスパイシーな味。
「このお肉美味しいですね。牛肉ぽいけど、牛肉にしては弾力がありすぎるような」
「トリアタマタカナキイノシシのお肉だよお」
素朴な疑問に答えたのはステファニーちゃん。
どこかで聞いたことがある名称だが。
確か、シャナの得意料理の名前に入っていた物だ。
「へえ、ちなみに私はトリアタマタカナキイノシシを見たことがないのですが、どの様な生物なのでしょうか?」
「えーとね。鷹みたいに格好いい鳴き声を上げてね、鳥の頭みたいに首が動いてね、時々空を飛ぶイノシシ」
鳥の頭部の様な動きをする頭を持ち、鷹のような鳴き声を上げ、なおかつ、飛行する事が可能なイノシシですと!?
それはもはやイノシシでは無いのでは。
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