第17話:24日(月) 白昼

 ゆみ子さんとの約束も、母の誕生日もお流れとなった週明け。

 私は麗と噴水前のベンチでランチをしていた。

 念の為、高月くんの姿がいないか確認したが、今日はいないようだ。


 先週末、麗は彼氏に会うため授業をサボっていたのだが、その時のノロケ話を延々と聞くはめになった。

 

 やっぱり友情より恋愛なのだろうか。

 あの時、親友だと誇らしげに語った自分が、もうだいぶ恥ずかしい。


「それでさぁ、彼氏とゴールデンウィークにぃ、旅行に行く事になってぇ」


 麗さんってば、すっかり目がハートになっていらっしゃる。

 この様子では、私と出かける約束をしていたのも忘れているに違いない。


「一応確認しておくけど、ヴァイオリン・リサイタルは行かない、ということでいいの?」

「リサイタル……? あっ」


 やっぱり忘れてる。

 いいんだ、どうせ私なんか。

 たとえ麗が私の友達でなくなっても、私は麗の親友のままだもん。


「ごめん、紗奈! 必ず埋め合わせはするから!」


 麗は合掌して詫びる。


「いいの。私は麗が幸せならそれで」

「あんた、健気だねぇ……そんなんじゃ、幸せ逃しちゃうよ」


 麗がそれを言うのか。


「それより、チケットどうしようか? 別の誰かにあげる?」

「……紗奈さえ良かったら、誰か誘ってみたら?」


 そう言うと、麗はバッグからチケットを取り出した。


「誘ってって……私、麗以外に友達いないし」

「ほら、アイツがいるじゃん?」

「アイツ?」

「あの、いけ好かない天パ男」

「天パ……って、高月くんのこと?」

「あー、そうそう。そのバカツキ」


 酷い言い草だ。

 でも、確か麗と彼は相性が最悪だったはずなのに、私とリサイタルに行けとはどういう風の吹き回しだろう?


「いや、あたしもさ、紗奈に付きまとい過ぎてて、あんたが交友関係を広げるの邪魔しちゃってるんじゃないか――って反省してるの」

「……それ、彼氏に言われたの?」

「………………うん」


 あぁもう、麗さんったら本当にメロメロのようです。

 こういう麗は新鮮だけど、ゆえに戸惑ってもしまう。


「何だったら、あたしがバカツキに話をつけとくよ?」

「え? いい、やめて。自分で言うから」

「あ、自分で言うの? じゃあ、これ」


 麗はニマァと笑って、チケットを押し付けてきた。

 何だか、してやられた気分。


 麗の言うことは、分からないでもない。

 私も麗に構い過ぎていて、この1年間、交友関係が全くといっていい程広がらなかった。

 

 もちろん一人でいるのが楽だし、女子校にいた頃に比べたら友達が出来ただけでも大進歩だ。

 それでも、これからの人生を考えた時に、もっと他人との交流を広げなければならない。

 

 もっと他人に興味をもって、もっと他人に気遣えるようになって、そうして――

 

 ――そうして?


 そうなって、私はどうしたいんだろう……?


「紗奈?」

「あ、うん。チケット、ありがとう」


 このチケットで高月くんを誘うべきなのだろうか?

 彼は私のことを諦めるつもりはないと言っていた。

 

 でも、クラシックのコンサートなんて聴くのかな?

 仮に一緒に行くと言っても、どんな格好をしていけばいいの?

 行って何を話せばいいの?

 

 これってデートなの?

 行ったあとにどう振舞えばいいの?

 私からまた誘わなければならないの?


 私はすっかり思考の枠にはまって、抜け出せなくなってしまった。

 あぁ、こういう時はどうするんだっけ……

 確か、先生はこう言っていた。


『何も考えられなくなるくらいに考えて初めて「考えすぎ」という境地に至る』


 何も考えないようにするのではなく、むしろその逆。

 全てを考えるようにする。


 私は脳をフル回転させて、考えられる限りの全てを考えた。

 麗のこと、高月くんのこと、ゆみ子さんのこと、家族のこと……

 

 考えて考えて考えて、脳がオーバーヒートを起こすくらいに考えて、そして――


「私、高月くんを誘いたい」


 自然と、そんな言葉が漏れてた。


「お、やる気になった? うん、行っておいで。応援してるから」


 麗のこの変わりよう……やはり恋は人を変えるのだろうか。


「そういうんじゃ……ほら、この前、埋め合わせをするって言ったから――」

 

 そこまで言いかけて、ハタと気付いた。


「……私、高月くんの連絡先知らない」

「なんだ、デートしたとか言ってたから、てっきりそれくらいは知ってるのかと思ったけど」

「だから、あれはデートじゃなくて、ただ話をしただけで――」

「はいはい、わかったわかった。まあ、同じ学部なんだし、その内会えるでしょ」

「うん……そうだね。あ、麗にレポートのこと言うの忘れてた」

「レポート?」


 私は先生の出した課題について説明する。

 ついでに、あの日、先生の研究室に行ったことも共有した。


「へぇ……あのじーさん、とんだ食わせ物だったってワケか」

「麗は知ってたの? 先生は麗のこと知ってたみたいだけど」

「サークルの先輩が『面白い先生だ』って言ってたから、講義のあとで話し掛けたことがあった」

「それで、どうだったの?」

「別に? フツーの対応だったよ、あたしには。あの白髭、あんたに気があるんじゃない?」

「やめてよ……」


 冗談でも考えたく無かった。


「そーいや、どうだったの? 例の宿題の結果は?」

「あ、うん。それが――」


 私はゆみ子さんのことを話した。


「ははっ、白髭といい、あたしのいない間に、随分と面白いことになってるみたいだねぇ」

「笑い事じゃないよ、もう……まあ、おめでたいのは、そうなんだけど」

「でもさ、せっかく色々調べたのに、もったいないじゃん」

「うーん、まだ完全に流れたって訳でもないんだけどね」

「なら、今のうちにまとめておけば?」

「まとめるって、何を?」

「あんたの考え。その様子じゃ、まだぼんやりしてる感じなんでしょ?」

「うん……」

「そういう時はね、紙に書くといいんだよ。あたしも作詞していると、言いたい事とかまとまってくるんだ。まとまってから書くんじゃなくて、書きながらまとまっていく感じ」


 それは人によってスタイルがあると思う。

 私はどちらかと言えば、まとめてから書くタイプだけど、麗のいうとおり、これまでまとまって言語化出来ていないのだから、一旦書き始めてしまうのもいいかもしれない。

 そう思った直後、麗が慌てて荷物を片付け始めた。


「もう、講義の時間だよ。早く行こう」

「あ、うん」


 片付けながら麗は言った。


「構内でバカツキに会ったら、すぐ紗奈に連絡するよ。ついでに、アイツの連絡先も聞き出してやる」

 

「……喧嘩だけはしないでね」


 そうして、私たちはランチを終えて講義ホールへ向かった。

 

 しかし――

 

 その後、三日経っても高月くんとは大学で会うことは無かった。

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