第13話:21日(金) 昼前
今日は朝から雨がパラついていた。
私は朝一の講義を終えた後、ランチまでの間は講義がなかったので空き時間を迎えている。
同じ講義に出ていた麗も私と同様、手持無沙汰になったようなので、私から話をしたいと申し出た。
昨日、父と母、そして千花の生き方について話を聞く事が出来た。
ただ、本やネットで調べるよりも得るものは大きかった。
そう感じた私はふと『麗はこれからどう生きていきたいのか』を知りたくなったのだ。
噴水前はあいにくの天気なので使えない。
そうして、私たちは講義棟の1階にある談話スペースへとやってきた。
雨の日は学生が少ないような気がする。
この談話スペースもほとんど人がいなかった。
あちらこちらに丸テーブルが置かれ、各テーブルには3~4脚のスツールがあった。
私たちはテーブルの一角に陣取ると、一息ついた。
「いやぁ~、雨の日は鬱陶しくてイヤだね」
麗は大きな伸びをしながら外を眺めた。
私は「そうだね」とだけ相槌を打つ。
さて、どう話を切り出そうか。
「そういや、答えは出たの?」
「え?」
「ほら、例の宿題」
なんと麗の方から話題を振ってきた。
以心伝心――なんて言ったら笑われるだろうか。
「ううん、まだ。そのことで、麗にも話を聞きたいと思って、今日は呼んだの」
「あ、そうなの? あたしはてっきりデートのお誘いかと期待してたのに」
「もう、すぐそうやって茶化す」
私たちは笑みを浮かべ合う。
「で、あたしに何を聞きたいって?」
「何々? 何の話?」
突然、声をかけられて私たちは思わず身構えた。
「良かったら僕も仲間に入れてくれない?」
高月くんだった。
彼は許可も得ずに私たちと同じテーブルのスツールに腰かけた。
「ちょっと、何なのアンタ? あたしたちは今、デート中なんだから邪魔しないでくれる?」
「そんなツレナイこと言わないで。僕だって昨日、明澄さんとデートした仲なんだから」
『えっ?』
私と麗の声がハモる。
「ちょっとアンタ、適当な事言わないでよ。紗奈はあたしのモノなんだからっ」
それもおかしい。
「紗奈も何とか言ってやりなよ」
「え……っと、いや、そのぅ」
「まさか、ホントにコイツとデートしたの?!」
ガタっとスツールを倒す勢いで立ち上がる麗。
「だからぁ、そう言ってるじゃん♪」
「アンタは黙ってろ!」
……この二人、相性最悪だ。
私はため息を吐きながら言った。
「高月くんとは、昨日たまたま、話す機会があっただけ」
「ホントにぃ~? コイツに脅されて、そんなこと言わされてるんじゃないの?」
「さぁね~♪」
やめて。
これ以上、挑発しないで。
あの麗が、頬をピクピクさせちゃってる。
「高月くん、私、友達と大事な話があるの。急ぎの用でないなら申し訳ないけど、席を外して欲しい」
「それって、昨日の話の続きじゃないの?」
私と麗は顔を見合わせた。
「何、アンタまさか、あたしたちの話を聞いてたワケ?!」
もうダメ。
麗は高月くんの胸倉に掴みかからんばかりの勢いだ。
「偶然、あの時噴水前にいたんだって」
私は懸命にフォローする。
「うんうん、偶然偶然♪」
「そんなこと言って、先週もあたしたちがあそこにいたのを見かけて、待ち伏せしてたんじゃないの?」
「だとしたら、どうする?」
麗の手が出そうになった瞬間、私は麗にしがみ付いた。
「お願い麗、やめて。高月くんも、不必要に挑発するような事、言わないで」
私の必死の懇願に、両者とも沈黙する。
そのうち、麗は力なくスツールに座り直した。
「で、紗奈はどうするの?」
「どうって……」
「コイツがいてもいいわけ?」
こういう時、優柔不断な自分が恨めしい。
高月くんには昨日の礼があるけど、今日は麗の話を聞きたいのだ。
私は逡巡した結果、こう言った。
「高月くん、ごめんなさい。さっきも言ったとおり、麗と大事な話があるから、今日は遠慮して欲しいの」
「……わかった」
高月くんは、今度は引き下がってくれた。
「本当にごめんなさい。この埋め合わせは必ずするから」
「紗奈! こんなヤツに媚び売ることないよ!」
「媚びなんて……」
「ははっ、まあ、今日のところはこれで。でも、僕はまだ明澄さんの事、諦めたわけじゃないから」
高月くんは立ち上がると、右手をヒラヒラさせてながら去っていった。
「ったく、何なんだアイツ――! 紗奈、ホントにアイツに何もされてないんだろうねっ?」
「うん、大丈夫。それに彼、言うほど悪い人じゃないから」
「……あぁ、あたしの紗奈がすっかり男に毒されている……」
麗は頭を抱えて悶える。
「そんなことより、麗に話があって」
「そんなことっ?!」
心配してくれるのは有難い。
こんな友達、今までいなかったのだから。
麗は嘆息しながら「……で、何?」とふてくされた表情をした。
「うん……麗は、その……どうしてギターをやろうと思ったの?」
彼女との付き合いは1年になるが、聞いたことがなかった。
明け透けにモノを言う彼女だから、話さないのは何かワケがあるのだと思っていた。
だから「差し支えなければ」と付け加えた。
「別に話すのは全然構わないよ、あたしはね。ただ、聞いていてあんまり気分の良くなる話じゃないから……それでも、聞きたい?」
珍しく気弱そうな表情をする麗。
「私は――麗のこと、もっと知りたい。だから、話して欲しい」
「紗奈……」
彼女は少し、考えるそぶりを見せてから、おもむろに話し始めた。
「あたしは父と仲が悪くてね。アイツ、ちょっとでも気にくわないことがあるとすぐに手をあげるんだ。その癖、ロクに働きもせず、わずかな稼ぎも酒とギャンブルに手を出すような、最低なヤツだったよ」
父をアイツを呼ぶ麗の気持ちを、私はどう受け止めていいか分からず、黙って聞いていた。
「母は父の言いなりでね、あたしがどんなに殴られようが蹴られようが、黙って見ているだけの人だった。あたしは家庭に自分の居場所があるなんて感じたことは、一度もなかったな」
昨日の高月くんもそうだったけれど、家庭に問題を抱えている人というのは、私が思っているより多いのだろうか。
わずかに二例しかなかったので、判断は出来かねた。
「あれは、中学三年になったばかりの頃。父と進路について大喧嘩してね。あたしが行きたい高校には『絶対に行かせない』って言いやがった。理由を聞いたら『オマエが気にくわないからだ』って……滅茶苦茶でしょ?」
失笑する麗に、私は曖昧に頷いた。
「それでもう、ウンザリしてね。夜更けにもかかわらず、着の身着のまま家を飛び出してやったんだ。 行く当てなんて、もちろん無いよ。あたしは暗闇の中をただただ、明るい方へ明るい方へと歩いていった。で、気付いたら駅前に着いていた。そしたら、ストリートライブをやってるニーチャンを見かけてね、あたしは吸い寄せられるように演奏を聴いていた」
「その人が、ギターを?」
麗は頷いた。
「あたしは演奏が終わって、客が誰もいなくなってもそこでぼーっとしてた。そしたら、片付けを終えたニーチャンが『どした?』なんて話し掛けてきたのよ」
「それは、気になるでしょう……」
まだ年端のいかない女の子が一人、夜中にフラフラしてたら気にならない方がおかしい。
「あたしは『別に』なんて可愛くない返事をしたんだけど、そしたらニーチャンなんて言ったと思う?」
「なんて言ったの?」
「『ウチ、来るか?』って」
「ええっ?」
思わず大きな声を出しそうになって、口元を手で押さえる。
「ドン引きでしょ? でも、あたしはソイツについて行くことにした。だって、他に当てがないんだもん」
「……大丈夫だったの?」
「まあねぇ――その時は、一応」
私は続きを聞くのが恐くなってきた。
けど、今更もういいなんて言えない。
「聞けばニーチャンは大学生で、アパートで独り暮らしをしていた。なんでも孤児院の出で、身寄りもなかったらしい」
ここにも家庭の問題が……一体、この国はどうなっているのだろう。
「ホントにボロいアパートでね、狭い部屋に最低限の家具しかない殺風景な所だったよ。ニーチャンはカップラーメンを作ってくれてね、二人でしばらく、黙ってそれを食べた」
私は固唾を飲んで続きを待った。
「ラーメンを食べ終わったあたしは、何気なく訊いて見たんだよ。『どうしてギターなんかやってんだ?』って。そしたら『ギターなら誰にも阻まれずに自分が言いたい事が言える』って」
「自己表現の手段だった、ってこと?」
「そうだったと思う。孤児という境遇、恵まれているヤツとそうでないヤツのハンディ、社会の理不尽さ――そういう自分の意志ではどうしようもない憤りや挫折も、ギターでなら恥ずかしげもなく言えたんだって」
分かる気がする。
私も音楽をかじったことのある人間だ。
ただ、譜面どおりにヴァイオリンを弾くだけだったけれど、時折、『なぜ作曲者がこの譜面にしたのか?』と考えると、そこには声にならない想い、言葉にならない何かが、確かにあったように感じられたのだ。
「ソイツの言葉にあたしも共感したんだ。だから、こう言ったんだ。『ギター、弾かせて』って」
「聴かせて、じゃなくて?」
「うん、あたしも色々と溜まってたからね、ギターを弾いて自分の気持ちを吐き出せたら、気持ちがいいと思ったんだ」
これが、麗がギターを始めたきっかけ……
「その日は明け方近くまでギターを習った。夜中なんで当然、音は出せない。だから、指の位置とか楽譜の読み方とか、そういうのを一通りね」
「親御さんは、何も言わなかったの?」
「結局、朝には家に帰ったんだけどね。ニーチャンの勧めもあったし、『何かあったらまたいつでも来ればいいから』って。父は『帰ってきやがったか』なんて言ってたけど、ちょっとは懲りたみたい。それ以降、手が出る頻度は減ったような気がする」
ちょっとだけだけどね、と麗は付け加えた。
「それから、毎日のようにニーチャンのところへ通ってギターを習った。進路の相談とかもしてもらってさ、勉強まで見て貰ってたな」
ははっ、と麗が笑う。
「優秀な学生さんだったのかな?」
「どうだろうね。ただまあ、家庭教師のバイトをしてたみたいだから、教えるのは上手かったよ。おかげで、あたしは希望校に無事入学出来た」
「そうなんだ……それで、高校へ入学して、そのあとは?」
「うん……」
ここへ来て初めて、麗は言いづらそうにした。
「毎日毎日男の所へ通ってギターを習ったり、勉強を教えてもらったり、相談に乗ってもらったり……そんなことしてたら、どうしても『そういう関係』になっちゃってね」
ああ、やはりそういう事なのだ。
麗はきっと、この話を他人にするのは初めてに違いない。
そして、まだこの時の気持ちを昇華出来ていない。
だからこそ、こんなにも寂しそうに笑うのだ。
「それでも、ソイツの就職が決まるまではそれなりに楽しくやってた。けど、思ってた以上に就職先ってのが遠くてね。あたしはガキだったから、遠距離してまで付き合う覚悟も、経済力もなかった。向こうは向こうで、あたしとは『成り行きでそうなっただけ』って感じで、特に未練もないようだった。だから、アイツの就職を機に自然と別れて、それっきり。以来、一度も会ってはいないよ」
話し終えた麗は、やつれたように、でも少しだけスッキリしたような面持ちで、俯いていた。
「ありがとう、麗。話してくれて」
「いや、こっちこそ聞いてくれてありがとう」
二人してはにかみあって笑った。
「なんかの参考になった?」
「うん……ただ、もう一点だけ聞いていい?」
「なに?」
「麗が今でもギターを続けているのはどうして?」
初恋――かどうかは分からないけれど、ギターは人生に多大な影響を与えてくれた人との思い出だったはずだ。
その人と別れた今も、麗はこうしてギターを弾き続けている。
私はそのルーツが知りたかった。
「あたしはさ、元々目立たない子だったんだ」
「麗が?」
「信じられないかもしれないけどね」
麗の姿は遠目からでもよく目立つ。
全身黒ずくめなのに、髪だけ赤いメッシュをしているのだ。
目立つな、という方が難しい。
「家ではあのクソオヤジから身を隠すために、なるべく気配を決して過ごすのが当たり前になってた。だからか、昔はクラスメートからも『地味な子』とか『いてもいなくても同じ』なんて言われてたよ」
「それは、ツラかったね……」
「まあ昔の話さ。でもね、あたしはこうして目立つことをしてないと、自分が消えてしまいそうで怖いんだ。自分が誰からも認められず、誰からも相手にされずに、目立たずにひっそり消えてしまう事が、何よりも怖い」
麗は「だから」と続けた。
「ギターを弾いて叫ぶんだ。『あたしはここにいる!』って。『あたしはちゃんとここにいるから、みんな見て!』って。それが、あたしが今でもギターを弾いている理由」
私は何とも言えない気持ちになった。
言葉でどう表現しても伝えられないもどかしさが、そこにあった。
だから私は彼女の手を両手でそっと包んで、彼女が確かにそこにいる事を示してみせる。
それから、ニッコリと笑いかけた。
「やだ、紗奈……やめて、あたし、そんなつもりじゃ……」
「大丈夫だよ。麗はちゃんとここにいる。他の誰が見つけられなくても、私は見つけてみせる」
だって。
「だって、私は麗の親友だから」
すると麗は大粒の涙をこぼして、声を抑えるようにして打ち震え出した。
私は麗の肩を抱いて、頭をそっと撫でた。
かつて、ゆみ子さんが私にそうしてくれたように。
私は何度も「大丈夫、大丈夫だから」と繰り返した。
麗の存在が消えてしまわないように。
彼女を見失なってしまわないように。
麗が落ち着くまで、何度も、何度も――
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