第12話:20日(木) 日没
「ただいま」
千花とリビングで話していたら、父が帰って来た。
『おかえりなさい』
千花とハモって返事をした。と、もうこんな時間。
すっかり話し込んでしまっていたようだ。
「ごめん、今からご飯の支度するから」
「ああ、いいよいいよ。今日は三人で外食しよう」
『え?』
またしても千花とハモった。
「母さんが仕事でトラブルに遭遇したみたいでね、今日は帰れそうにないって」
「そうなんだ……」
母はIT関係の仕事をしている。
昨年、ベンチャー企業からヘッドハンティングにあって転職をしたのだが、とにかく課題が山積みだとぼやいていたのを思い出した。
少数精鋭がゆえに一人当たりの負荷が重く、トラブルともなれば猫の手も借りたいくらいなのだろう。
「それで、『いつも紗奈にばかり負担をかけて悪いから、今日は外食で済ませて欲しい』と言付かってきた」
そんな、自分が大変だというのに、家族にまで気を配るなんて……
私にはとても出来そうにない。
「わたし、ハンバーグがいい♪」
千花は呑気なものである。
「千花、ハンバーグは明日のお夕飯だから。2日続けてハンバーグはイヤでしょう?」
今日は元々、ハンバーグのつもりで材料を買ってあったから、それを明日に回すことにした。
「えー、そうなの? じゃあ、すき焼きがいい」
「そうだな、すき焼きなら近所にあるし、そこにしようか。紗奈もそれでいいか?」
「え、あ、うん。いいよ」
また流される私。どうしてこう、自分がしたいこと、食べたいことが言えないのだろう……
すき焼き屋さんは、駅や商店街とは反対の方向の大きな国道沿いに面していた。
チェーン店で高級とは言えないながらも、そこそこのお値段がするお店だ。
徒歩で行ける距離なので、私たちは歩いて行く事にした。
「わたし、このお店一回だけ来たことあるよ」
歩きながら、千花が言う。
「そうなの? 私はないんだけど……」
「中学校の入学式の帰りにね、お母さんとランチで」
「俺も一度だけあるぞ。夜に一度だけ、自治会絡みの飲み会でな」
私だけないんだ……
どこなく仲間外れ感がある。
それにしても、こんなに近場にあって一度しか来てないというのは、我が家が家族団欒を重視していたことを改めて認識する。
店内に入ると、店はそこそこ賑わっていた。
土日だったら、きっと予約しないと満席で入れないだろう。
私たちは和装のスタッフに案内されて、席へ着く。
店内には半個室的なスペースもあったようだが、そちらはどうも満席らしい。
三人前のすき焼きコースを注文すると、私は母の誕生日会について先ほど千花と話したことを父に共有した。
「オムライスとパネトーネかぁ……うん、いいんじゃないか」
私と千花はほくそ笑んだ。
「あとは彩りを考えてサラダと、それからワインを用意したいんだけど……」
「そうだな。ワインは俺が買ってくるよ」
「ありがとう、お願いね」
私と千花では、まだお酒が変えないから仕方ない。
「お父さんは、プレゼント何にするか決めたの?」
千花が興味津々といった様子で尋ねる。
「ああ、温泉に連れて行くことにしたよ」
『温泉?』
私と千花は今日何度目ハモったろう?
「日帰りだけどな、山奥のホテルにある貸切風呂でゆっくりしてもらおうと思って」
「いいんじゃない?」
「うんうん、お母さん喜ぶよ、きっと!」
私たちが賛同すると、父も満足そうに頷いた。
「紗奈にはマッサージを提案してもらったんだがな。ホテルだからマッサージも出来るだろう」
そういえば、そんなことを言ったような気がする。人のことだったら気兼ねなくあれこれ言えるのに。
そこで飲み物が届いたので、私たちは軽く乾杯する。
私と千花はジュースで、父がビール。
そうか、父はアルコールを飲みたくて車で来なかったのだと、今更ながら気付いた。
間もなく、食事も運ばれてくる。
スタッフが目の前ですき焼きの準備をしてくれたので、私たちはただ火が通るのを待っていれば良かった。
その間、父と千花は高校生活についてあれこれと話している。
こういう時、千花がいてくれると安心する。
私と父が二人だと、どうしても気まずくなってしまうから……
それから、すき焼きが出来上がったので、お腹を空かせていた私たちは胃に押し込むように頬張っていった。
味は悪くないのだが、正直言って母の作るすき焼きには敵わない。
母は料理が得意で、私も中学生の頃から一緒に作らせてもらっていた。
最近では仕事が忙しくて、私が作る事が多いけれど、それでも母には敵う気がしない。
やはり母は偉大だと、改めて思う。
誕生日も日ごろの恩返しも兼ねて、盛大にやらなければ。
しかし。その前に、私にはやる事があった。
食事も粗方終わった頃、私は父に尋ねてみた。
「お父さんは、どうして今の会社に勤めているの?」
「ん? なんだ、藪から棒に」
アルコールが入っているせいか、やけに上機嫌だ。
「私もほら、そろそろ就職活動を意識しなきゃいけないから、参考にと思って」
家族にはゆみ子さんの宿題について、伝えてはいなかった。なぜか、と問われても明確な理由はないのだけど。
「そうだなぁ……まあ、今の会社に入いれたから、ってのが一番なんだが――」
父は就職氷河期世代で、正社員として入社出来ただけ有難かった――
かいつまんで言うと、そういう話だった。
「じゃあ、入りたくて入ったわけじゃなかったの?」
「もちろん、ある程度の方向性は決めてあったさ。ただ、希望していたの会社からは通り3つくらい離れてたかな」
はっはっは、と笑う父。ここは笑うところなのだろうか……
「今はどうなの? 入って良かったと思うの?」
今度は千花が尋ねる。
「そりゃあな。こうして早く帰らせてもらってるし」
またしてもはっはっは、と笑う。やはり、笑うべきかどうか迷う。
「仕事ないの?」
千花は遠慮なく訊く。
「俺くらいの立場の人間は、仕事なんか無い方が会社はうまく回ってるってもんだ。それに、上が早く帰らないと下も帰りづらいだろう?」
その辺りの機微はまだ分からなかったけれど、千花は「そういうもんかぁ」と呟いた。
「もし……もし、今から自分のやりたい仕事が出来るとしたら、何をする?」
私は思い切って訊いてみた。
「んん~? そうだなぁ…………まぁ、何でもいいかな」
「何でもいいの?」
「俺のやる事で誰かに貢献出来るなら、ね。それで稼いだ金で家族が笑顔になるなら、言う事なしだ」
三度、はっはっはと笑う。
……そうか、父は手段が何であれ他者に貢献が出来れば、それでいいんだ。
「こんな回答ですまんな。もっと、父親らしいことが言えればよかったんだが」
「ううん、そんなことない。参考になったよ、ありがとう」
私は少し困ったように笑った。
「ちなみにだがな、母さんはミッションだって言ってたぞ」
「ミッション?」
「ああ、自分のやっている仕事はミッション――天命だってな」
言われてみれば、納得は出来る。母はあれだけ働いているのに『まだまだ、もっともっと』という仕事に対する情熱を感じる。『生きがい』とか『やりがい』と言い換えてもいいかもしれない。
「……どうして、そう思えたのかな?」
「それは母さんにしか分からないだろうが……前にこう言ってたな、『仕事が楽しく仕方がない』って。 ああいうのを天職っていうんだろうな」
「……そういう仕事に出会えたんなら、きっと幸せなんだろうね」
「そうだな。紗奈もいつか、出会えるさ」
「うん……」
世界中でどれくらいの人が天職に出会えているのか分からない。
でも多分、そう多くはないのだろうとは思う。
「そろそろ、帰ろうか」
父の一声で、私たちは席を立つ。
私は、本当に天職に出会えるのだろうか?
そもそも、天職に出会いたいのだろうか?
出会ったとして、母のように身を粉にして働けるのだろうか?
答えのない問いを繰り返しながら、お店を出た。
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