第11話:20日(木) 薄暮

 高月くんと別れたあと、私はまっすぐ自宅へ帰ってきた。

 今朝、母は今日も帰りが遅いと言っていたので、晩御飯の支度をするためだった。


「あ、おかえりー」


 リビングへ行くと、千花がソファで寝転がっていた。


「ただいま。今日はクラブ活動はなかったんだ?」

「うん。それにお母さんの誕生日ケーキの準備しなきゃだし」


 そうだった。

 あの日、ゆみ子さんに誕生日の料理について相談出来ず、それ以来何も考えていなかったのだ。

 私が千花のいるソファへ腰かけようとすると、千花は「よっこいしょ」と言って起き上がる。

 若いのに年寄りっぽいセリフとのギャップが微笑ましかった。


「千花は何を作るか決めたの?」

「パネトーネ」

「それ、ケーキじゃないよね?」


 先週末、千花が作ったパネトーネを私も試食させてもらったが、あれはマフィンに近いもので、決してケーキなどではなかった。

 ネットで少し調べてみたが、パネトーネとはイタリア語で「大きなパン」を意味するらしいから、当然と言えば当然だ。


「そうだけど、同好会の二人と作ったら絶賛されちゃったから『もうこれっきゃない!』って思って」

「美味しいのはいいけど、ロウソクに火をつけられないんじゃないの?」

「あ、そうか」


 しまった、という表情の千花。詰めが甘いと言うか何と言うか。


「そしたら、お母さんのだけ大きいやつにして、そこにローソクを立てるよ」

「……まあ、お母さんだったら何でも喜んでくれるとは思うけど」


 千花らしいといえばそうだけど、誕生日らしくはない気がした。


「そういうお姉ちゃんは、何を作るか決めたの?」

「え……まだ、だけど」

「なぁんだ、人のこと言えないじゃん」


 おっしゃるとおりで。


「このまえ作ってたガーリックライスはどう? あれ、すごく美味しかったよ! わたし、また食べたいな~」

「千花の誕生日だったら、それもいいかもね」


 さすがにガーリックライスを食べたあとにパネトーネは、相性が悪い。

 どっちも重すぎて、胃に悪そうだ。


「じゃあ、明太パスタは? あれも美味しかったよ」

「そうね……」


 確かにイタリアン同士、パネトーネとは相性が良さそうだ。

 ……いや、明太子を使うという事は、明太パスタは日本料理になるのだろうか。

 

 それならいっそ、ペペロンチーノにするという手もあるが、誕生日の翌日は月曜日である。

 ちょっと――いや、かなりニンニクの臭いが気になってしまう。

 そう考えると、ガーリックライスは二重の意味でNGだ。


「もぉ~、はっきりしないなぁ」


 千花はぷぅっと頬を膨らませる。

 こういうところはまだまだ子供っぽくて可愛らしい。


「話は変わるんだけど、千花は将来パティシエになりたいの?」


 私は唐突に話題を切り替えた。千花と話していても埒が明かなそうだったし、何よりゆみ子さんの宿題の方が期限は早いのだ。


「何、突然? わたしは別にそういうつもりはないよ」

「そうなの?」


 思わぬ答えに内心驚いた。てっきり、そっち方面に進むのだと思っていたのだけど。


「なら、どうしてお菓子作りをしているの?」

「そうしたいからだよ」


 即答。


 考えなしに即断即決が出来るのは羨ましい。優柔不断な私とは大違いだ。


「じゃあ、将来は何になりたいの?」

「わかんない」

「わからないって……パティシエじゃなくても製菓会社に勤めるとか、デパ地下の販売員とか、お菓子に関連する仕事って色々あると思うんだけど」

「そういうこと、考えたことないなー」


 随分とあっけらかんとしたものだ。

 お菓子を作りたいから作っていて、でも、それを仕事にするつもりは今のところないらしい。


 いつもの私なら「それが千花だしね」と言って納得(諦め?)するところだけど、生憎とこちらには宿題がかかっている。

 私はなおも食い下がる。


「そしたら、お菓子作りをしていて、千花にどんなメリットがあるの?」

「メリットォ? そんなの楽しいからに決まってるじゃん」

「その楽しさを誰かと分かち合いたいとは思わない?」

「えー? あんまりないかなー?」


 つまりは、こういうことなのだ。単に自分が楽しいからお菓子を作っている。

 それが誰かのためになるとか、食べてくれた人の笑顔が見たいとか、そういうモチベーションでやってはいないのだ。

 だから、こんなにハマっているお菓子作りを仕事や職業にしようという発想にならないのだろう。


 もちろん、食べてくれた人に喜んでもらえたら、それはそれで嬉しいはずだ――母の誕生日に美味しいものを提供したいように。

 ただ、それが根っこの動機ではない。


 純粋に、自分が楽しいことを追求している――そんな感じだ。

 私の言葉で言い換えれば『自分のため・追求型』に分類されるかもしれない。


「ねえ、なんでそんなこと聞くの?」

「宿題のヒントになるかと思って」


 千花は「ふぅん」とだけ言って、それ以上は追究して来なかった。

 こういう、他人にあまり興味がないのは利点でもあり欠点であると思う。

 

 人は一人では生きていけない――なんて安っぽい教訓を言うつもりはないけれど、それでも人間関係が人生に占めるウェイトは小さくないはずだった。

 

 この先、千花が大人になるにつれて、パティシエ以外にどんな道があるというのだろうか。

 趣味でひたすらお菓子作りをするのは、売れない芸術家が自分の表現したい事をただただ追求しているのと似ている。


 そうなると専業主婦か、パトロンやクラファンが付きでもしないと、難しいような気がする。

 それこそ、動画配信などの情報発信系くらいしか成り立たないのではないだろうか。

 

 いや、それでもインフラが整っているだけ、昔よりは良い時代になっているはずだから――


「あ! ねえねえ、わたし、良い事思いついちゃった♪」


 私がブツブツと考え事をしていたら、千花が出し抜けに大声を出す。


「何、急に? びっくりするじゃない」

「オムライスだよ!」

「オムライスがどうしたの?」

「だーかーらー、お母さんの誕生日にオムライスを作るのっ」

「どうしてオムライス?」

「だって、卵の上から『Happy Birthday』って書けるじゃん!」


 一瞬、何を言っているか分からなかったが、すぐに思い当たった。


「ケチャップで文字を書くということ?」

「そう!」


 我が意を得たり、といった具合で頷く千花。

 ……なるほど、確かにケーキがないのだから、それはありかもしれない。

 ちょっとメイド喫茶っぽいけれど、アイデアとしては悪くない。


「お姉ちゃんのオムライス、お母さん褒めてたし、どうかなっ?」

「自分で作っておいて何だけど……私、オムライスに入れてるマッシュルームが苦手なの」

「お姉ちゃんの誕生日じゃないじゃん! それに、それを言ったらわたしだってニンジンとピーマン苦手だよ」


 千花は興奮している面持ちでオムライスを推して来る。

 まあ、マッシュルームは無くてもいいし、ニンジンとピーマンも別の材料に変えれば問題ないか。

 あとはパネトーネとの相性だけだ。


「オムライスとパネトーネだったら、何か飲むものが欲しいよね」

「スープでも出しておけばいいんじゃない?」


 そんな適当な……


「パネトーネ分の飲み物はわたしが用意するからさ、お姉ちゃんはスープを作ってよ。わたしはミソスープでもいいよ♪」

「誕生日にお味噌汁はちょっとね……」

「そうかなぁ。じゃあ、ヴェルタータはどう?」


 ヴェルタータとはポタージュスープのことだ。


「ヴェルタ―タはちょっと重くない? オムライスも油多いし……」

「お姉ちゃんは文句ばっかり! なら、ワインも一緒に出せば?」


 ……何も言い返せない。


「ごめん、そうだね。千花の案でいきましょう」

「そうこなくちゃ♪」


 千花は満足げに鼻歌を歌い出す。


 しかし、私の心は反対に、少し荒んでいた。

 また、私は決められなかった。料理の献立一つ、まともに決められない。

 こんな私が『これからどう生きたいか』なんて答えが見つかるのだろうか。

 

 宿題の期限まで、残り2日を切っていた。

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