第8話:20日(木) 正午

 麗と図書館で話した翌日。

 私と麗はランチをするために、先週も訪れた噴水前のベンチに腰かけていた。

 この時間はランチ目当ての人達で賑わっており、空いているベンチはほぼないくらい。

 

 周囲の木々はすっかり新緑が鮮やかな――そして、私が一番好きな――季節が訪れていた。

 天気は先週と同じように晴れやかで気持ちがいい。


「そういえば、昨日は無事に帰れた?」

「うん、何も無かった。ありがとう、心配してくれて」


 そう、昨日は夜道を一人で歩いて帰ったのだった。

 商店街ルートで帰ったから人も明かりも多かったし、いざとなった時のようアレも常備している。


「麗こそ、バイトとサークルの両立してて大丈夫? 疲れてない?」

「ん~? あたしには紗奈がいるからね、多少疲れててもすぐに癒されちゃう」


 さすがに食事を膝に乗せたままで、私に抱き着こうとはしてこなかった。

 ただ、彼女の食事はコンビニで買った菓子パンとおにぎりのみだ。

 たまにならともかく、ほぼ毎日これなのだから、さすがに身体の方が心配になる。


 以前、私が「お弁当を作って来ようか?」と提案した事もあったのだが、すげなく断られた。

 理由について麗は「彼氏に悪いから」と言っていたが、一体どういう理屈なのか。


「ほんとに、私に出来ることがあったら言ってね?」

「だ~いじょぶだって。全然動けてるし。それに、紗奈はただ隣にいてくれるだけでいーの」


 まるで彼氏が彼女にささやくようなセリフだ。


 ……彼氏、いたことないけど。


 でも多分、恋人同士だったらこんな感じのことを言って、絆を深め合っているに違いない。


 それにしても、友人と外でするお弁当は、中身が普段と同じでもどうしてこんなに味が違うのだろう? いつもより、何倍も美味しく感じられるから不思議だ。


「きっとあたしたちの先祖は、外で食事する時代が長すぎたんだよ」


 私の疑問に麗が答えた。

 彼女の物事の捉え方というか、独自の視点はいつ聞いても面白い。

 こんな風に、いつまででも会話が続けられる相手というのは貴重だ。

 千花とだってこんなには続かない。


「それでさ、昨日の続きを聞きたいんだけど」

「続き?」

「ほら、人生の意味があるとかないとか――ってやつ。昨日は途中で帰っちゃったけど、『意味があるバージョン』しか聞いてなかったから」


 私はバッグから昨日のノートを取り出し、二人の間に広げた。


「一応、おさらいね。人が生きる意味については、意味がある派、ない派、どちらでもない派の3つがあった」

「うん」

「で、意味がある派については、更に3つに分類出来た」

「自分のため、他人のため、宗教のためだね」

「そう。その中で、特に自分のためというのが多かったから、それを更に4つに細分化してみた」

「それが精神・行動・追求、それから自然だったね」


 私は頷いた。

 しかし、よく覚えているものだ。

 

「今日はその続きということだけど、結構身も蓋もない話になっちゃうかも」

「それは聞いてからのお楽しみってことで♪」


 いいから早く話せ、と言わんばかりに急かしてくる。


「じゃあ、まず生きる意味がない派だけれど。なぜ意味がないと主張するかというと『探しているからだ』というのが答えの一つ」

「どういうこと?」


 麗は口に運ぼうとしていた右手のおにぎりを止めて、首を傾げた。


「もし、私たちに生きる意味があるのだとすれば、それを知っていてもおかしくないじゃない? でも、私たちはそれを知らず、人生をかけて探究していく必要がある。人によっては、一生かかっても見つからないかもしれない」


 少し考える素振りを見せてから、麗はこうまとめた。


「つまり、無いからわざわざ探して見つけようとしているのであって、最初から有るのであればそもそも探す必要がない。だから、生きている事に意味はない、って感じかな」

「うん、そう」

「あんまり納得いく考えじゃないかな」


 自分で話しておいて何だが、私自身も納得してはいない。


 例えば、誰かが『この世のどこかに<リンゴ>というものがある』と主張したとする。

 ここで<リンゴ>を見た事も聞いた事もない人が、<リンゴ>を探す旅に出たとしよう。

 その結果、一生かかっても<リンゴ>が見つからなかったら、この世に<リンゴ>は存在していないのだろうか?

 そうではないだろう。それはたまたま見つからなかったというだけで、この世のどこかにあるのだ、<リンゴ>は。


 ただし、それは<リンゴ>が存在していると知ってる者だけがそう言えるのであって、生涯<リンゴ>に触れる機会がなかったら、その人にとっては『<リンゴ>なんていうものは存在しなかった』という事になる。

 私は自分の考えを麗に伝えて、こう結論付けた。


「結局、探して見つかれば有るし、見つからなかったら無い、という当たり前の事を言っているだけだね」

 

「前者についてはそうだけど、後者についてはちょっと違うと思う」

「どうして?」

 

「『無いことは証明出来ない』からだよ。紗奈自身も言ってたけど、『たまたま見つからなかっただけ』なんでしょ? でも、この世のどこかにはあるかもしれない。今日は見つからなくても、明日には見つかるかもしれない。他の誰もが見つけられなくても、たった一人だけは見つけらるかもしれない。地球になくても、この広い宇宙のどこかにはあるかもしれない――そんな風に考えていくと『見つからなかった無い』とは言えないとあたしは思う」


 ああ、そうだ。これは確か講義で習った――そう、『悪魔の証明』と比喩されるものだった。

 麗の言うとおり『無い事を証明するのは非常に難しく、論理的には成立し得ない』という内容だった。


「そっか」


 私は納得して、頷いた。


「他にはどんな説があったの?」

「えっと……人間は意味を作る生き物だ、とか」

「意味を作る?」

「例えば、この卵焼き」


 私はお弁当に入っている卵焼き――自分で作ったものだ――を指差す。


「これは、卵焼きよね?」

「うん、美味しそう」

「ここで、この美味しそうな卵焼きをこうします」


 言いながら、私は箸で卵焼きの端っこをほんの少しだけ切り取ってみせた。


「さて、この卵焼きの切れ端は、卵焼きと言えるでしょうか?」

「それは……微妙な所だね。ぱっと見、何だかよく分からないし、少なくとも見た目じゃ卵焼きかどうかは分からない」

「不思議だよね。この切れ端だって、元の卵焼きと同じ成分、同じ原子構造で出来ているのに、こうやって切り取ってしまうと『別の何か』になってしまう」


 私の言葉に、麗はうん、うんと確認するように何度も頷いた。


「……ああ、それが意味を作ってるってことか」

「そういうこと。仮にその切れ端を『卵端(たまごはし)』と名付けたとする。そうするとそれは元の卵焼きという意味ではなく、『卵焼きから切り離された、とても小さい元卵焼き』という意味になる」

「元々の意味が変わった――言い換えれば、新しい意味が作られた、という事になるね」

「そう。だから、私たちは今『卵端という新しい言葉・意味・概念を創造した』とも言える。これが『人が意味を作る生き物』という事」


 これは何も物質的な事に限らない。


 例えば『国』という概念だって、人間が作った――人間にのみ通用するものだ。

 

 シベリアで生まれた白鳥が、海を渡って北海道へやってくるとき、パスポートを必要とするだろうか?

 日本沿岸で生まれたクジラが、オホーツク海で採食しているとき、漁業の許可を必要とするだろうか?


 つまるところ、国境や領海といった概念は『人間がそういう風に作った』というだけであって、普遍的なものでは決してない。

 その前提で『人は意味を作り、意味を与える生き物』とするなら、『人生に意味があるのか?』という問いにはこう答えるしかない。


『意味はない。だが、自分で勝手に作る事が出来る』と。


「……それは、ホントに身も蓋もない話だね」

「でしょう?」


 私たちは眉根を寄せあって、失笑した。


「でも、それならこうも考えられるわけだ。意味がないなら作ればい、意味はないけど意味は与えられる、意味がないならそれでもいい、って。とどのつまり『自由に勝手に決めちゃえ、それしか出来ないし、そういう風に人は出来ている』って感じかな」


 麗が綺麗にまとめてくれた。私は麗に感謝しつつ、ここまで調べてみた感想を述べた。


「自由と言えば自由なんだけど、自由ゆえの苦しさもあるんだよね」

「まさに『自由の刑に処せられている』ってね♪」


 だからといって、今更学生運動をするわけにもいくまい。

 ランチ時間も残り少なかったので、私たちは急いで最後の議論を進めた。


「人が生きている事に意味がある派、ない派、両方の主張を聞いてきたわけだけど、最後の『どちらでもない派』ってのはどんなヤツだったの?」


 私はうーん、と唸ってから、こう答えることにした。


「これは歯切れがいいというか、何というか……『生きている意味なんか考えてる時間がムダだ。そんな事考える暇があったら今を全力で楽しめ!』的な」


 聞くや否なや、麗はお腹を抱えて爆笑した。


「いかにも若者に刺さりそうな説教だね、それ」

「私たちも一応、若者なんだけど……」


 麗はまたお腹を抱えて笑い出す。


「あたしは若者というより『よそ者』かな」

「……私は『バカ者』かも」

「紗奈は違うよ」


 急に真顔になる麗。


「じゃ、何?」

「紗奈はあたしのモノ♡」

「はいはい」


 こんなやり取りが出来るもの若者の間だけだろうか。


「他にはどんなのがあったの?」

「そうね……『人生は単なる暇つぶしだから、どう暇をつぶすかさえ考えればいい』とか」

「……それはもう悟りの境地だね。そこまで達観出来たら、人生楽しいかも」

「同感」


 そこまで話して、私たちはランチの後片付けを始めた。コンビニ袋にゴミをまとめながら、麗はこう言った。


「それで、紗奈のお気に召す回答はあったの?」

「ううん――昨日も言ったけど、『調べたり他人から教えられるものじゃない』って事が分かっただけ」


 私は諦めたように被りを振った。


「意味はないから意味を作れ、でもその意味は自分にしか作れない。仮に、他人に意味を決めてもらったとしても、『他人に決めてもらった』という意味を自ら作り出している。結局、自分で意味を決めるしかない、ね」

「そんな感じ」


 麗は「そっかぁ」と言いながら大きく伸びをする。

 彼女は私より幾分か小柄だけど、時々、自分の姉のような感覚がする事がある。

 まあ、実際彼女は私より1つ年上なのだけど、ゆみ子さんとは違って、もっと身近で、もっと近い目線で語り合える仲。それが今の私には快かった。


「藤本ぉ~、そろそろ時間だぞ~」


 遠くの方から、麗のバンドメンバーから声がかかった。


「あ、今行く~!」


 麗は手を挙げて答える。


「あたし、今日はもう講義終わり。紗奈は?」

「私はあと1コマ残ってる」

「そっか。じゃあ、これからバイトだから、今日はこれで」

「うん、身体に気を付けて。また明日ね」


 私達は手を振って、その場で分かれた。


 そして、うかつにも私は気付かなかった。この時の、私と麗の会話を、まさか他人に聞かれていたなんて――

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