第7話:19日(水) 夕方

 大学の構内にある図書館。

 4階建てのこの建物は、蔵書は多いのに広々としていて、自習スペースがそこかしこに設けてある。

 ロッカーもあればWi-Fiも無料で繋がる上、予約すれば完全個室まで利用出来る。

 これでシャワー室でもあれば、ネットカフェ並の快適さだ。


 私はその図書館の自習用デスクに突っ伏して、大きなため息を吐いていた。

 デスクの両端には大量の本が重なっており、その内、本で顔が埋まるのではないかと夢想する。


 ゆみ子さんから「私がこれからどう生きたいか?」という宿題をもらってから、もう4日が経っていた。

 宿題の答えを探すべく、色んなジャンルの書物やインターネットを使って、片っ端から調べてみた。


 その結果わかったのは『生き方について絶対的に正しい答えはない』ということだった。

 古今東西の偉人たちが、人生を賭して探究してきた答えが人それぞれ異なっている――それはつまり、私自身が自分で答えを見出さなければならず、数日間調べたくらいで見つかるようなものではない事を意味していた。


「あ、いたいた♪」


 声のする方に首だけ動かすと、麗が立っていた。

 相変わらずの目立つ格好に、図書館はちょっと不釣り合い――なんて失礼なことをつい考えてしまう。


「その様子じゃ、だいぶ難航しているみたいだねぇ」


 からかうように笑う麗に、私は身体を起こしてため息交じりに答える。


「もう、他人事だと思って」

「そんなことないよ、心配で様子を見に来たんだから♪」


 本気で心配しているなら、その「♪」は必要ないのでは……


 私は周囲を見渡して、人気が無い事を確認すると、小声で話し始めた。


「今日はもう終わり?」

「講義はね。これからサークルへ顔を出すつもり」

「そっか。私はもう少しやっていくことにする」


 麗にはゆみ子さんの宿題について話してあった。

 だから、私が図書館に入り浸っているのも承知済みである。


「え、大丈夫? もうだいぶ暗くなってきたけど」

「うん。私も、いつまでも苦手をそのままにしておけないしね」

「えらいっ!」


 抱き着こうとしてくる麗を、すんでのところで押しとどめた。


「図書館では静粛に、ね?」

「紗奈が冷たい……」


 わざとらしくしょんぼりしてみせる麗。

 私はふと窓の外へ目をやった。

 まだ電柱の明かりなしでも歩けそうだったが、それも時間の問題のようだ。


「それで、何に詰まってるの?」

「え?」


 しょんぼりから立ち直ったらしい麗が、唐突に問うてくる。


「あんまり、芳しくなさそうだったからさ。宿題」

「うん……結局、『調べても答えはない』という事が分かっただけだった」

「いいじゃん、これでもう外れの道は進まなくてよくなったんだから」

「それは、そうだけど……」


 期日まであと3日しかない。

 今から出発点に戻って、新たな道を探していて果たして間に合うかどうか……


「それに、何かのヒントくらいはあったんじゃないの?」


 麗は私が広げていたノートをのぞき込んで来る。


「うん、まあ……」

「どれ、あたしが聞いてしんぜよう」


 なぜか偉そうに言いながら、私の隣に座る。


「聞くって、何を?」

「調べ物の成果だよ。一人で頭から湯気を出している時は、他人に話してみると、意外と解決策が見つかったりするものだよ?」


 ほれほれ、と言いながら麗は促してくる。

 この際だ、時間もないので思い切って麗に話してみる事にした。

 デスクの本を手早く片付けると、二人でノートとにらめっこをする。


「私が調べた限り、大きく言って3つのタイプがある事がわかったの」

「ほほう、してその3つとは?」


「1つ、人生に意味がある派。

 2つ、人生に意味はない派。

 3つ、そのどちらでもない派」


「へえ、それは興味深いねぇ。それで?」


「まず、人生に意味がある派だけど、これは本当にたくさんあって、同じものを探すのは難しいくらい。それでも、3つのグループに分けられる」


 私は麗にノート見せながら、1つずつ説明していく。


「自分のため、他人や社会のため、そして宗教のため?」


 麗はノートを見ながら答える。


「そう。他人や社会のためは比較的分かり易い。要するに、他者貢献や社会奉仕のために生きるべきだ、という主張だから」

「なるほど。宗教ってのは?」

「神の意志に従う、神と一体化やつながりを強める、もしくは神の作った戒律に従う、って感じかな」

「紗奈は神様の存在を信じてるの?」

「え? うーん……」


 ゆみ子さんは『神様の悪戯』なんて表現をしていたけれど……


「私はどっちでもいい派、かな?」

「随分とドライな答えだね」


 麗はカラカラと笑った。


「神様がいたとしても私には認識出来ないから、それはもういないのと同じ。反対に神様がいないのだとしたら、今までと変わらずに生きていくだけ」

「そっか」

「麗は?」

「あたしは信じてるよ、神様」

「そうなの?」


 意外だった。麗のことだから、「神なんか知ったこっちゃない、あたしはあたしだ!」なんて言いそうだけれど。


「バンドやってるとね、ふと降りてくることがあるんだ」

「神様が?」

「うん――あ、いや、厳密には神様ではないかもだけど。歌っている時、ギターを弾いている時、曲を作っている時。そういう時にふとね、なんかこう、今までの自分にがなかったものがスゥッと降りて来くる感じがする事がある」

「それは、自分でコントロール出来るの?」

「まさか。それが出来るんなら、今頃は巫女さんになってるよ」


 麗はクツクツと声を抑えて笑った。


「あぁ、ごめんごめん。話の腰を折っちゃったね。残りの『自分のため』ってやつはどんな感じだったの?」

「それがね、多岐に渡り過ぎてて、収拾がつかなくなりそうで」

「でも、何かメモしてるじゃん」

「ほんとに粗っぽくまとめただけ。要約すると大きく4つに分けられたかな」


 私はノートには精神・行動・追求・自然と書いてある。


「まず『精神』というのは『精神的な充足を目指そう』という主張ね。例えば、幸福に生きるべきだとか、苦しみから解放されようとか、そういうの」

「もっともらしいっちゃ、もっともらしいね」


 私は首肯して、話を続ける。


「次の『行動』だけど、もうちょっと具体的なアクションを人生の意味としている。使命や役割を果たすとか、創造性を発揮して何かを残すとか。ちょっと過激のだと自由と正義を求めて闘うべきだ、なんてのもあったかな」

「まあ、今ほど自由がなかった時代だったんだろうけどね。でも、あたしは好きだよ、そういうの」


 ロックバンドをやっている麗らしい感想だ。


「『追求』というのは文字通り『何かを追求せよ』という意見ね。結構幅広くて、知識・思考・学問・美・芸術・真理、それから自己成長や自己実現などなど」

「ふぅん、利益や自己理解、なんてのもあるんだね。本当に多種多様だねぇ――って、それもそうか。学者だったら知識や学問を追究するだろうし、芸術家だったら美や芸術、実業家だったら利益や自己実現の追求になるもんね」

「そうだね、これは職業で考えると分かり易いと思う。で、最後の『自然』だけど、私にはちょっと理解が難しかったかな」


 私はノートに大きく『?』と書いてある部分を指差した。


「へぇ~、何なに? 天・道徳・信念に従って生きる、宇宙との調和。生きる事や生き方そのもの。もしくは、それらを楽しむ・味わう・体験する……か」

「よく分からないでしょ?」

「そう? これってつまり、よく食べ、よく寝て、よく遊べ――って教えじゃないの?」


 そんなプリミティブな……

 思わずそう声に出してしまうと、麗は食いついて来た。


「それだよ、それ、プリミティブ。それこそが自然だと言ってるんじゃない? 逆に言えば、学校に行ったり、受験勉強したり、会社勤めしたりするのって、全然自然っぽくなくない?」


 ま、まあ、言われてみれば確かに……私は曖昧に頷いた。


「食べるとか、寝るとか、遊ぶとか、本能に根差したもの。子供が得意じゃん、そういうの。純粋さ、無邪気さ、腕白さ――みたいな。そういう子供っぽさが『自然に従って生きる』ってことなんじゃない?」

「そんな事して生きてたら、社会が成り立たないんじゃ……?」

「そういう人もいるって事。社会を維持したり発展したりする事に人生の意味を見出す人がいる。それと同じで、子供のように無邪気に生きている人がいてもいいと、あたしは思う」


 それで、どうやって生きていくのだろう?

 生きていくにはお金が必要で、お金を得るためには仕事をしなくてはいけなくて、仕事をするためには人と――男性とも――適切な人間関係を築かなければならない。

 子供みたいに好き勝手はしゃいでいたらお金も、仕事も、人間関係も手に入らないのではないか――


 ぐるぐると頭の中で考えが渦のように襲ってきた。


「ま、まだ時間はあるんだし、ゆっくり考えたら?」


 麗は「そろそろ時間だから」といって立ち上がる。


「今日はありがとう。話を聞いてもらったおかげで、自分の中でも色々と整理が出来たみたい」

「それは何より。じゃ、また明日ね」


 麗が立ち去った――と思ったら、すぐに戻って来た。忘れものだろうか?


「ちなみに、紗奈は自然に道徳とか信念を含めていたけれど、あたしに言わせれば全然自然な感じはしない」


「そんだけ」と言って、右手をひらひらをさせながら、去って行った。友人の有難い忠告に従って、私はノートに書いてある文字を消しゴムで消していく。

 

 ビリッ。

 

 消しゴム圧が強すぎて、ノートが破れてしまった。

 同時に『まもなく図書館の閉館時間です』というアナウンスが流れる。

 

 私は大きなため息をついて、麗が来る前と同じようにデスクに突っ伏した。

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