第2話:13日(木) 夕刻
麗と別れた後、電車を降りて自宅へ向かう途中で、商店街で見知った顔と出会った。
「千花」
「あ、お姉ちゃん」
私が呼びかけると、彼女はさらさらのポニーテールを揺らしながら近付いて来る。
紺のブレザーにスカート姿、背中には小柄な体格にしてはやや大きめのリュックを背負っている。
どうやら学校帰りらしい妹は、クリっとした大きな目を煌めかせて、ニッと笑っていた。
「千花、こんな時間にどうしたの?」
「こんな時間って……まだ夕方だけどね。私は買い物だけど、お姉ちゃんは大学の帰り?」
千花はレジ袋を掲げなら言った。
「うん。買い物って、お菓子作りの?」
「そ。今度、パネトーネを作ろうと思って」
「ぱねとーね?」
千花曰く、パネトーネとは「イタリアでクリスマスに食べる焼き菓子」だそうだ。
どうしてクリスマス用のお菓子を今?と思わないでもないけれど、彼女の思考回路は、十数年一緒に暮らしている私にもよく分からない。
千花はお菓子作りが趣味だった。
趣味、というより熱愛といった方が適切かもしれない。
三度のご飯よりも、家族や友達、勉強よりもお菓子を作ることに命を燃やしているのだった。
お小遣いの全てはお菓子作りに費やしており、時には県外のお菓子屋さんへ一人で出かけたりして、私や母をやきもきさせている。
その行動力、探究心、そして情熱。
同じ姉妹なのに、どうしてこうも違うのだろう?
しかも千花は毎日のようにお菓子を作って食べているのに、一向に太らない体質のようで、軽く嫉妬するレベル。
私だって美容には気を遣っているのに……
身内贔屓ながら「きちんとおしゃれをしたら、すごくモテるんだろうなぁ」と思うのだけど、ファッションやお化粧にはまったく興味がないらしく、いつも最低限の身だしなみを整えるだけで済ませている。
そんな将来が楽しみでもあり不安な妹だが、私にとっては大事な家族の一員であることに変わりない。
「そういえばお母さんがね、今夜は遅くなりそうだから夕飯先に食べておいて、って」
「そうなの? 私は聞いてないけど……」
「お姉ちゃん、連絡しても反応鈍いからでしょ」
それを言われるとぐうの音も出ない。
私の交友関係といえば家族を除けば麗と従姉くらいだ。
麗とは大学へ行けば大抵会えるし、従姉とも長期休暇中は毎日のように顔を合わせているから、必然的に私のスマホは普段バッグの中で眠っていて、確認する習慣も育っていないのである。
「なら、お買い物していかなきゃね。千花、何食べたい?」
「パネトーネ」
「それはお菓子でしょう。そういうこと言うなら、千花の嫌いなニンジン料理にしちゃおうかなー?」
「それだけはやめてっ! せめてニンジンケーキにして!」
ニンジンケーキもお菓子の範疇でしょうに……相変わらずの子だった。
そういえば、千花がお菓子好きになったきっかけがニンジンケーキだったっけ。
ニンジン嫌いな千花のために、母が作ったのが始まりだった。
嫌いな食べ物でもお菓子にするとあら不思議、するすると喉を通って行く――
そんな感動があったのか、それ以来、千花はお菓子作りにハマっていたのだった。
結局、夕飯はすったもんだの挙句、肉じゃがになった――もちろん、ニンジンは抜きで。
そうと決まると、私たちは近くのスーパーへ寄って、買い物をしなが他愛のない話を続けた。
「そういえば千花、高校にはもう慣れた?」
「うん。放課後にお菓子を配って歩いたら、友達がいっぱい出来た」
へへん、とドヤ顔で笑いながら、玉ねぎを私の持っているカゴに入れる千花。
「友達が出来たのはいい事だけど……校則とか、大丈夫なの?」
「さあ?」
「さあって……」
お菓子作りに夢中になり過ぎて、そのうち犯罪に手を染めるのではないかと心配になってくる。
「だいじょぶだいじょぶ、放課後に内緒でやってたから。それにお菓子作りの同好会を作ったから、これからは堂々とお菓子を配って歩けるし」
「同好会を作ったって……千花が?」
「そだよ?」
何を当たり前の事を?とでも言いたげに、千花はキョトンと首を傾げた。私はジャガイモをカゴに入れてから、気になったことを聞いた。
「じゃあ、千花が部長――じゃなくて、同好会だから会長になるの?」
「そうなるねー」
大して興味も無さそうに言ってのける。
この子は本当に、お菓子作りが出来れば他の事はどうでもいいみたいだ。
「お菓子を配って歩くのは、友達作りのため?」
「あははっ、まさか。味の感想が欲しいだけ。こっちはタダでお菓子を食べさせてるんだから、それくらいはね?」
……それで出来た友達というのは、果たして本当に友と呼べるのだろうか?
千花は意外にもギブアンドテイクというか、ビジネスライクな関係を築くのが得意なのかもしれない。
「同好会の会員はどれくらいいるの?」
「わたしを入れて三人だよ。といっても、これ以上増やす気も減らす気もないけど」
千花曰く、「お菓子作りのための予算と設備があればそれでいい」らしい。
会員が三人というのは『同好会の設立要件が三人以上』という学則に従っているとの事。
人数を増やせば部に昇格して予算が増えるそうなのだが、「部員の管理等が面倒になるし、本当にお菓子が好きな人しか来てほしくない」というのが千花の言い分だった。
「そういうお姉ちゃんは?」
「私?」
「うん。最近、何かあった?」
あった、と言えばあった。
けど、「同じ男性に二回も告白されました」なんて、恋愛に興味のなさそうな妹に言って何になるというのだろう?
私は絹さやをカゴに入れながら言った。
「そうね……特にはない、かな?」
「ふーん。お姉ちゃんさ、ちゃんと人生楽しんでる?」
「なあに、突然?」
「いやぁ、わたしはお菓子作りが大好きで楽しくて、それだけで人生丸儲け? みたいな感じなんだけど、お姉ちゃんはいつもぼーっとしているというか、のんびりしているというか、人生つまんなさそうだな、って」
千花はシラタキをカゴに放り込みながら言う。その表情から感情は伺えなかった。
「……私は、一人が好きだから」
「も~、そんなこと言ってるから、『気取ってる』とか『鼻持ちならない』とか言われちゃうんじゃないの?」
さっき、麗にも同じようなことを言われた気がする。
そう言われても、これが私なのだ。
千花や麗みたいに、好きな事とかやりたい事なんてないし、人付き合いをするより一人の方が気楽でいい。
たまに家族とこうして夕飯の買い物をしているだけで、十分に満ち足りている感じがする。
私の人生、他に何がいるのだろう?
他に何かが無ければいけないのだろうか?
何かが足りていないとするなら、それは何なのだろう?
しかし、どんなに考えても、答えが出るはずもない。
「ヴァイオリン、やめなきゃ良かったのに」
私の思考を他所に、千花がつぶやいた。また、イヤな事を思い出させてくれる。
「……私には、向いてなかったんだよ」
「そ~かなぁ?」
「そうなの」
私は無理やり話題を終えるように、豚肉をカゴに入れた。
「お姉ちゃん、それ豚肉だよ?」
「? そうだけど?」
「肉じゃがといえば、牛肉じゃないの?」
「こっちの方がコクが出るから」
千花は「ふぅん」とだけ言ってレジへ向かった。
同じ料理とはいえ、お菓子以外にはとことん興味を示さないあたり、千花らしいと言えばらしかった。
会計をスーパーを出ると、すっかり陽が陰っていた。
「あ、そうそう。明後日、ゆみ子さんの所へ行くけど、千花はどうする?」
ゆみ子さんは私と千花の従姉だ。私たちよりひと回り以上年上だから『さん付け』で呼んでいる。
ゆみ子さんの旦那さんがカフェを経営していて、私も大学が長期休暇の時はたまにアルバイトをさせてもらっている。
「ん~……行かない。パネトーネ作りたいから」
「そっか。うん、わかった」
私たちは気持ち速足で、自宅へと向かった。
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