第10話

 リクは諏訪部博士の研究室に入るところだったようで、諏訪部博士の研究室前にいた。


「リクさん。少しお話うかがえますか?」


 柔らかな口調で話すリュウノ。しかし、その頬は若干引きつっているような気がする。


「……少しなら」


 リクの返事を聞き、リュウノは言葉を続けた。


「ありがとうございます。一昨日の諏訪部博士の行動についてお聞きしたいのですが、一昨日は諏訪部博士、何をしていましたか?」


「研究室で研究をしていました。僕はその手伝いをしていたので間違いないです」


 リクは決められた解答のように、そう淡々と口にする。それを聞いたリュウノは眉を顰めた。


「え? リクさん、一昨日は横溝さんに研究所の中を案内していたのではなかったですか?」


 デルタはハッと気づく。昨日、横溝研究員と話した内容を思い出した。


 ――昨日今日と、リクさんにこの研究所内を案内してもらっていたんです。2日とも1リクさんを借りてしまっているので、諏訪部博士には本当に申し訳ないと思っています。


 昨日の昨日といえば、今日の一昨日。1日中リクと横溝研究員が一緒にいたのならば、先程の話はおかしい。


 リクは目を逸らすと、記憶を辿っているのか床を見つめた。


「確かに、横溝さんを案内していました。でも、諏訪部博士と研究していたんです」


 矛盾のある言葉に、リュウノがさらに問い詰める。


「それはおかしいですよ。リクさんの体はひとつ。同時にそれら2つのことを実施するのは不可能です」


「そんな、はずは――」


 リクは混乱しているようで、頭を抑えその場に屈み込んでしまった。リュウノが慌ててその側に駆け寄る。


 デルタはその様子を見ながら、得られた情報から瞬時に推理をした。


 ――恐らく、一昨日は諏訪部博士と研究していたと言うよう命令を受けていたのだろう。しかし実際の記憶は横溝研究員を案内している。命令のため諏訪部博士と一緒にいなかったことを言えず、記憶回路と思考回路に障害が出ているのではないだろうか。このままではバグが生じる恐れがある。


 デルタはそう考えるや否、諏訪部博士の研究室の扉を叩いた。


「どちら様かな?」


 のんびりとした諏訪部博士の声に、デルタは迷いなく扉を開けた。


 扉を開けた先には驚いたように目を丸くしこちらを見ている諏訪部博士がいる。突然扉を開けられるとは思っていなかったのだろう。


「突然、申し訳ありません。リクさんがエラーを起こしているので、みていただきたいのですが」


 デルタの緊迫とした雰囲気に、諏訪部博士も表情を真剣なものにした。そして「こちらへ」と研究室の奥へと案内する。


 デルタは廊下に視線を向けた。リュウノがリクの肩を支え、立ち上がっていた。デルタはリュウノと反対側の肩を支えると、研究室の奥へと向かう。リクの体が若干熱くなっているような気がする。――オーバーワークだ。


 諏訪部博士の指示に従い、充電のできるベッドへリクを乗せる。諏訪部博士が近くのコンピューターを使って原因を調べ始めた。


「記憶回路と思考回路に障害が生じているな。原因は――オーナーからの命令。命令と違う記憶に思考回路がついていかなかったのか。やはり、リクに嘘を吐かせるのは難しいと……」


 諏訪部博士はそう呟くと、ため息をついてリクを強制停止させた。リクの苦しそうに歪んでいた顔が、和らぐ。こう見ると、ただ眠っているだけのように見える。


 リュウノが少し怒ったように口を開いた。


「どうして、リクさんに嘘を吐かせるようなことをしたんですか。もし記憶と命令に差異が生じれば、エラーが起きバグ――故障するかもしれなかったんですよ」


 諏訪部博士は乾いた笑いを浮かべる。


「そのエラーを引き起こした君達が僕を責めるのかい? 大方、あの火事に疑問を持ち調べて、僕が怪しいと思いリクから話を聞いたんだろう。僕はその件でしかリクに嘘を吐くような命令を出していないからね。君達がリクを問い詰めなければ、こうはならなかったはずだ」


「それは……」


 顔を俯かせるリュウノ。鋭い諏訪部博士に、デルタは自らの推理に確信を持ち始めた。しかしその確信も、諏訪部博士が続けた言葉によって崩れ落ちる。


「ちなみに言っておくけど、あの火事を引き起こしたのは僕ではない。本当に、あれは悲惨な事故だよ」


 諏訪部博士はそう哀れみの表情を浮かべた。彼の言葉に、リュウノが衝動的に彼へ襲いかかろうとする。デルタはリュウノの腕を取って、それを抑えた。今、冷静さを失ってはいけない。真実を見逃してしまう。


 デルタは深く息を吐くと、諏訪部博士に尋ねた。


「それでは、一昨日うちの研究所に来て何をしていたんですか? コンピューターを操作していましたよね」


 核心をつく質問に、諏訪部博士は困ったように頭を掻く。 


「芥田博士の死んだ今なら、言ってもいいか。君達に逃げ場はないわけだからね」


 諏訪部博士は白衣のポケットからUSBメモリを取り出すと、言葉を続けた。


「これは芥田博士の研究データのコピーだ。君達も知っての通り、感情を人工的に作り出す研究のね。これを手に入れるために僕は研究所へ侵入した」


「芥田博士の研究データをコピーするなんて……。データの盗用でもする気だったんですか?」


 リュウノが怒った声色で言う。デルタは何も言わず諏訪部博士を睨んだ。


 芥田博士は自身の研究データが流出することを恐れていた。コンピューターのある部屋に芥田博士とデルタとリュウノしか入れないようにしていたのは、そのためだ。もちろん、警備システムも完璧に施していた。それなのにさすが博士というべきか、すべての警備システムをハッキングして侵入したのだろう。


 二人の反応に、諏訪部博士が薄く笑った。


「芥田博士は人工的に感情を作る研究に限って、研究データの共有をしてくれなかったからね。仕方ないだろう。――まあ、データをコピーしたところでパスワードがなければ見られないよう細工されていたから中身は見られなかったけど」


 ため息を吐く諏訪部博士。デルタは瞬時にそのパスワードが芥田博士の生前くれたナノチップの数字の羅列だと推測する。そして導き出された筋の通る答えに、唇を噛みしめた。


 ――芥田博士は研究データのコピーが何者かにとられたことを知って、今回の火災を計画したのではないだろうか。デルタとリュウノにパスワードを教えたのは、研究データのコピーを削除させるため。デルタとリュウノならこの推理にたどり着くと信じてのことだったのではないだろうか。


 その時、場の空気を壊すように電子音が鳴った。諏訪部博士の連絡用端末だ。諏訪部博士はそれを取ると、二人から視線を外した。

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