第8話

 それから二人は部屋へと帰り、体を休めた。部屋にはシャワー室などなく、二人は温めた濡れタオルで体を拭く。


「お風呂に入らず体を拭くなんて、久しぶりだよね」


 リュウノの言葉に、デルタは頷いた。


「芥田博士の研究が忙しい時にしかやらなかったからね。芥田博士に今までどれほど人間らしい生活をさせてもらっていたのか、今になって痛感するよ」


「そうだね」


 リュウノの寂しそうな声を最後に、沈黙が流れる。デルタはこれ以上芥田博士のことについて考えたくなかったため、あえて何も言葉を続けなかった。その意図を感づいたのだろう。しばらくしてリュウノが話題を変えた。


「そういえば、明日はどうする? 芥田博士の研究所に行って調べてみる?」


「リュウノがよければ、そうしたい。ほとんど燃えてしまっているかもしれないけれど、小さな手掛かりでも見つけたいから」


 デルタの力のこもった声に、リュウノは「分かった」と嬉しそうな声を出す。


「いろいろと調べられるよう、端末も持っていこう。今日は私が活躍したけど、明日はデルタが活躍する日だね」


「なんでそんなに嬉しそうなの?」


 おかしそうに笑うデルタに、リュウノは頬を緩ませたまま答えた。


「だって、私、デルタの仕事している姿好きだから。デルタ自身は気づいていないかもしれないけれど、仕事をしているとき――というか、端末機器をいじっている時、すごく楽しそうなんだよ」


 想像していなかった返答に、デルタは目を丸くする。確かに端末機器を操作しているときは楽しいが、自分は顔に表せるほど発達した感情こころを持っていない。


「え? 僕、そんなに顔に出てる?」


「うん。デルタは自分のことを感情こころが未発達だから表情がないって気にしていたけど、そんなことはないよ。本当に好きなことをしている時、デルタは楽しそうな表情をしている。そんなデルタを見た時、『自分では気づかないものだね』って芥田博士と一緒に笑いあったんだから。芥田博士が言っていたけど、人間の中にも感情が顔に出にくい人はいるんだって。デルタはそういうタイプらしいよ」


 リュウノがそう優しい口調で言う。デルタは戸惑いを隠すよう、頬に手を当てた。それを見たリュウノが小さく微笑む。


「ほら、今だって眉が下がっている。困っている時、どうしたらいいか分からない時に出る表情」


「え?」


 首を傾げるデルタに、リュウノは鏡の前へとデルタを連れて行く。鏡には、少し困ったような表情を浮かべた自分がいた。


「……本当だ」


 デルタの顔が驚きのものに変化する。表情のない自分が嫌で鏡をずっと見ていなかったが、自分が思っているよりも表情があったらしい。それはデルタにとって嬉しい発見だった。


「だから、自分はまだ未発達だ、とか欠陥品だ、とかはもう思わないで。デルタは人間ではないけれど、人間に限りなく近い感情こころを持っている。私と一緒だよ」


 リュウノの優しい声に、デルタは自分の頬が下がるのを感じた。この感情をデルタは知っている。芥田博士と一緒に生活していた時にも感じたことのある、『嬉しい』というものだ。


「ありがとう、リュウノ」


 不意にこぼれた言葉に、リュウノが「お礼を言われるようなことなんて何もしていないよ」と笑った。


「さ、寝る前に明日の準備をしよう。明日はきっとたくさん動くことになる。充電をしておかなくちゃ」


 空気を変えるように手を一度叩くリュウノ。デルタは頷いて、明日の準備をするために動き始めた。


 ――リュウノと一緒で、本当によかった。



***


 翌日の早朝、デルタとリュウノは芥田博士の研究所――元の家があった場所へと向かった。早朝に向かったのは、日中は警察が捜査をすると思ったからだ。


  二人は跡形もなくなっている研究所に、表情を暗くさせる。昨日の朝までは当たり前にあった建物が、そこにはない。大切な人と共に消えてしまった居場所に、デルタは逃げ出したくなった。顔も自然と俯いていき、このまま帰ってしまおうかなんて考えも浮かんでくる。


 そんな思考からデルタを引き戻したのは、リュウノの一言だった。


「さあ、警察が来る前に、調べよう。芥田博士の死の真相を突き止めるんでしょう?」


 デルタは顔を上げリュウノを見た。リュウノは泣きそうな顔で、微笑んでいた。それが彼女なりの強がりだと分かったデルタは、頷いてリュウノに返す。


 ――リュウノも辛い気持ちを堪えてここにいるのだ。一刻も早く調査を終えて、この気持ちにケリをつけたい。


 デルタは覚悟を決めると、目の前に広がる瓦礫へ踏み込んだ。


「足場が悪いから、気を付けてね」


 後ろからリュウノの声が聞こえる。デルタは頷き、一歩、また一歩と歩を進めた。


 そうして数歩歩いた先に見つけたのはキーホルダーだった。見覚えのあるキーホルダーに、デルタはそれを拾ってよく見る。


「これは……」


 それは想像通りのもので、以前デルタとリュウノと芥田博士で買い物に出かけた時、三人のお揃いで買った猫のキーホルダーだった。確か、芥田博士はコンピューター起動の鍵につけていた気がする。ということは、ここは元々コンピューターがあった部屋なのだろう。


 デルタは屈みこんで、さらによく観察する。そうしてひとつのナノチップを見つけた。デルタはそれを持ってきていた端末機器に読み込ませ、中身を見る。それはプログラムの一部らしく、文字数列が並んでいた。


 デルタは自身の学習の記憶からそのプログラムを解析する。そしてそれがコンピューターに過負荷をかけるコードだと分かった。


 ――やはり、この火事は仕組まれたことだったのだ。


 デルタは悔しくなり、唇を噛みしめた。


 ――一体、誰が? 何のために?


 答えの出ない疑問が思考を支配する。怒りからか、動揺からか、体が自然と動かなくなっていた。


「デルタ? 何か分かったの?」


 微動だにしなくなったデルタを不思議に思ったのか、リュウノがそう声をかけ近づいてくる。


「私もいろいろ見てきたけど、何も分からなかった。研究データは全滅だね。バックアップしたデータも、見つからなかった」


 リュウノの声が近くなり、デルタはハッと我に返った。デルタは立ち上がると、端末機器と反対の手に持った芥田博士の猫のキーホルダーを強く握りしめる。横目でリュウノが驚いたように後ろにのけぞったのが分かった。


「帰ろう。色々と調べたいことがあるんだ」

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