第6話

「おや、二人とも。どうしたんだい?」


 扉を開けた諏訪部博士が、研究室の前にいるデルタとリュウノを見て不思議そうに尋ねる。人のよさそうな笑顔は相変わらずだ。


 リュウノが申し訳無さそうに眉を下げ、口を開いた。


「お忙しいところ、申し訳ありません。今少しお時間をいただけるでしょうか。芥田博士のことで、お話を伺いたくて」


「芥田博士のことで? それまた、どうして?」


 意外そうな顔を浮かべる諏訪部博士。リュウノが瞼を伏せながらその疑問に答えた。


「整理をつけるため、です。芥田博士がどんな人間だったのか、私達は一部の側面しか知りません。私達は芥田博士の死を受け入れるためにも、芥田博士のすべてを知りたいんです」


 リュウノの真剣な声に、諏訪部博士が数回頷く。


「分かった。僕にできる話はすべてしよう。中へどうぞ」


 諏訪部博士はそう言うと扉を開けたまま室内に入った。その後に、リュウノ、デルタの順で続く。デルタは最後に、扉を静かに閉めた。


 諏訪部博士の研究室は、特に目立つところのない部屋だった。シンプルな机と棚、コンピューターなどが置いてある至って普通といえる研究室だ。


 二人は諏訪部博士の声掛けを受けてソファーに腰掛ける。諏訪部博士が机を挟んだ正面に座り、「そういえば――」と先に口を開いた。


「ずっと気になっていたんだけど、デルタ君。君は女性型だよね?」


 諏訪部博士の視線がデルタに向けられる。デルタは戸惑いながらも頷いて答えた。


 その反応を見て、諏訪部博士は眉を顰める。


「それなのに、一人称が『僕』なのかい?」


 リュウノが隣で口を挟もうと前のめりになった。デルタがそれを手で制する。


 ――これは自分の問題だ。自分で話さなければいけない。


 デルタは一呼吸置くと、真っ直ぐに諏訪部博士を見た。


「性別というものを学習した際、女性の一人称は『私』がだと学びました。しかし、それを実際に使ってみると違和感があって……。『私』というのはなんだか気恥ずかしく感じてしまい、『僕』という方がしっくりきました。そのことを芥田博士に伝えると、芥田博士は正式な場以外だったら一人称を好きに呼んでいいと言ってくれました。人間は正式な場だと男女関わらず『私』という一人称を使うため、そういう場では『私』が望ましいから、と」


 諏訪部博士がため息を吐いた。彼は額に手を当てていて、悩まし気な表情を浮かべている。その意味が分からず、デルタは小さく首を傾げた。いい印象を抱かれていないことだけは何となく分かる。


「なるほど。芥田博士はを修正せず見逃していたということか」


「「バグ?」」


 デルタとリュウノの言葉が重なった。今まで縁のなかった言葉に、デルタは不安になる。


 諏訪部博士はデルタを見ないまま、優しい口調で言葉を続ける。


「性認識はバグがなければプログラム通りのはずだ。一人称などに違和感を覚えることなどあるはずがない」


 柔らかな声色に反し、内容はデルタにとって厳しいものだった。


 ――それはすなわち、欠陥品であるということか。


 デルタは怖くなり、両腕を抱える。反論をしようにも、自分がおかしいのならばその反論自体間違っているのではないかという不安が口を塞いでしまう。


 その様子を見て、リュウノが反論した。


「デルタはバグがあるわけではありません。性認識はプログラムと一致する女性ですし、一人称の男女の分け方に違和感を覚えただけです。たとえ性認識が男性だとしても、それは決してバグなどではないと思います。人間だって、そういう人はいるでしょう? それが心のせいならば、感情こころを持つAIロボットにだって有り得ること。私達はより人間に近いAIロボットだからこそ、デルタのようながあるのです」


 諏訪部博士は何かを考え込むように数秒黙り込む。そして考えがまとまったのか、ゆっくりと頷いた。


「なるほど。リュウノ君の意見も一理ある。僕はトランスジェンダーなどジェンダーの多様性に関して否定的なわけではないからね。あくまでバグではなく人間らしさと言うならば肯定しよう」


 自分を認めてくれる言葉を聞いても、何故かデルタの中で不安が残った。諏訪部博士がまだ真剣な表情をしているからだろうか。否、デルタ自身が自分を肯定しきることができていないからだろう。デルタは顔を俯かせ、あとのことはリュウノへ任せることにした。


 そんな思いを汲み取ったのか、リュウノが話を変えた。


「諏訪部博士。早速本題に入ってもよろしいでしょうか」


「ああ、そうだったね。すまない、違う話になってしまった」


 諏訪部博士はそう言うと、声色を和らげて言葉を続けた。


「芥田博士についてだったね。芥田博士は本当に優秀な博士だった。論理的な思考で結論を導き出したかと思えば、読解力と独自の発想力で新しいアイディアを生み出したりする。そう――君達二人を合わせたような人だったよ」


 デルタは思わず顔を上げる。諏訪部博士から見たら、芥田博士は自分達二人を合わせたような人――すなわち完璧な人間だったのか。


 そう思ったのはリュウノも同じようで、眉を顰めていた。


「私達を合わせたような人間だったのですか?」


 諏訪部博士は寂しそうに微笑むと、静かに頷く。


「文系思考と理系思考を併せ持つ、そんな人だった。僕はそれが羨ましくてね。同時に一緒に研究できることが嬉しかった。彼女と一緒ならば、僕の悲願を達成できるような気がしていたんだ」


 諏訪部博士の視線が仕事のデスクの端へと向けられる。そこには、一人の美しい女性の写真があった。年齢は、諏訪部博士と同じくらいだろうか。


「もし差し支えなければ、その悲願について教えていただいてもよろしいですか?」


 デルタは迷惑かもしれないと思いつつ、そう質問した。諏訪部博士の悲願が、もしかしたら博士の死亡と関わっているのかもしれない。


 諏訪部博士は瞼を落とすと、ゆっくりと口を開く。


「大切な人を取り戻すことさ。それには芥田君の人工的に感情を作り出す研究が必要不可欠だった。君達のような感情こころを持ったAIロボットは、芥田君の研究成果とも言えるだろう」


 そこまで言うと、諏訪部博士がハッとしたように目を開けた。


「そうだ。君達、芥田君から何かデータや暗号のようなものを聞いていないかい?」


 デルタの脳裏に、昨日芥田博士からデザートとしてもらったナノチップがよぎる。あのナノチップの内容は、ある意味暗号のような数字の羅列だ。デルタはそれを口にしようとしたが、芥田博士からの命令がそれを拒んだ。


 ――芥田博士の命令に従わなければ。


 デルタは首を横に振った。リュウノも命令を思い出したのか、首を横に振る。


「いいえ。何も、聞いていません」


 諏訪部博士は「そうか」と残念そうに呟くと、立ち上がった。そして自身の腕に付けた端末へ視線を向ける。


「そろそろいいかな。研究を進めたいんだ」


 デルタとリュウノは顔を見合わせると、頷きあって立ち上がった。そして時間を取ってくれたことに対しお礼を言うと、二人は研究室から出て行く。


「また、何かあれば来るといい。いつでも相談にのるよ」


 最後に聞こえた諏訪部博士のその言葉に、デルタとリュウノは振り返り小さく頭を下げた。優しい声色に、少しだけ安堵する。


 扉が閉まる音が聞こえ、デルタとリュウノは顔を見合わせると、その場を後にした。

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